文=松原孝臣 撮影=積紫乃

劇団四季からキャリアをスタート

 ダンサー、振り付け、演出家として活動する鈴木ゆまは、そのスタートをこう語る。

「もともと私はダンスよりも先にお芝居をやりたいと思って始めました。大学に入ったとき演劇サークルに入ろうと思ったらそこがちょっと小さくて、たまたま隣の部屋でやっていたミュージカルサークルがすごく盛り上がっていて、ミュージカルを始めたんですね。歌と芝居と踊りをやる中で在学中から川崎悦子先生という方に師事して習いに行ったりしていました」

 川崎悦子はダンサー、振付師として長年にわたり幅広く活躍。演劇関係では「劇団第三舞台」などの振り付けを手がけている。

「踊る気持ちを大切にするダンスに惹かれて、なんでその人は踊るのかとか誰と踊っていてその人との関係性は何かとか、喋るように踊ることが好きでした」

 ただ大学を卒業後に進む道として考えていたわけではなかった。

「テレビ番組がつくりたくて、就職先も決まっていたんです。でも、たまたま劇団四季のオーディションを受けたら受かってしまって」

 決まっていた就職先ではなく、劇団四季を選択しキャリアをスタートさせることになった。劇団四季の後は音楽座に加わり、そのほかにもさまざまな活動に励んでいた中で、川崎悦子とともにもう1人、心に残る出会いがあったという。

「もう亡くなってしまったんですけど、夏まゆみ先生(2023年6月21日死去)です。モーニング娘。のダンス指導、振り付けをされていて、私もダンス指導を任せられて帯同していたんですけど、夏先生が作るフォーメーションが緻密で計算されていて隙がなくて、そばで学ぶ機会になりました。それは今にもいかされていると思いますし、まったく踊れない役者さんの振り付けなどもしていたので、踊った経験のないスケーターのいる『滑走屋』でも怖くないというか、今まで自分のフィールドでやってきたことだったので入りやすかったです」

 これまでの経験がいかされたところはほかにもある。

「例えばブロードウェイミュージカルや劇団四季は、絶対的な台本と絶対的な演出があるんですね。そのもとで動くんですけれど、音楽座では真逆でした。演出、振り付けの人はいるんですけれど、みんなが演出家、みんなが振付家のように、一つのナンバー、シーンをみんなが責任を持ってどうすればいいかを考える劇団でした。そこで振り付け、演出的な観点を学んだところもたくさんありました」

 それがいきた一つが『Cut My Fingers Off』だという。