「母の日」なぜ5月の第2日曜日なの?

 5月12日(日)は、お母さんに日頃の感謝の気持ちを伝える「母の日」です。母の日は5月の第2日曜日と決められているため、その年によって日にちは変わります。

 では、なぜ5月の第2日曜日なのでしょうか? その理由は、母の日の始まりが関係しています。1850年代、アメリカ・ウエストバージニア州に住むアン・ジャービスという女性が「母の日ワーククラブ」という組織を立ち上げ、乳児の死亡率軽減のための活動を行なっていました。南北戦争が勃発すると、彼女は南北双方の負傷兵を分け隔てなく看護する活動も行なっていたそうです。

 そんなアン・ジャービスは平和活動に一生を捧げ、1905年5月9日にこの世を去ります。その3年後の1908年、彼女の娘・アンナ・ジャービスは、亡くなった母の活動を後世に残すためと、お母さんが生きているうちに感謝と敬意を示す日を作るべきだと考え、母が生前に活動を行なっていた教会で記念会を催しました。

 アンナの母の日活動は徐々にアメリカ全土へと広がっていきます。そして1914年には当時のアメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンが5月の第2日曜日を母の日として制定し、正式な祝日になりました。

 日本で母の日の普及に貢献したのは、青山女学院で教鞭を振るっていたアメリカ人女性たちだと言われています。マイラ・E・ドレーバーは、アメリカで普及しつつあった母の日のことを知り、これを広めようと日本での活動をスタート。1913年に日本初の母の日の行事を行ったとされています。その後、青山学院院長を勤めたファニー・G・ウィルソンが日本の各界の著名人たちに働きかけ、1932年には日本で初めて母の日が公式行事として祝われるまでになりました。

 母の日の活動を知ったお菓子メーカー「森永製菓」が、心温まる行事を全国に広めようと、1937年に「森永母の日大会」という大きなイベントを開催。その後も、母の日を広める活動を続けた結果、母の日は日本中で認知される習慣となったのです。その後、1947年にはアメリカに倣って第2日曜日が母の日として正式に制定されました。

「母の日」は、なぜカーネーションを贈るの?

「母の日」は、なぜカーネーションを贈るの?

 母の日の贈り物といえば、カーネーションが一番に思い浮かぶ人が多いでしょう。カーネーションが選ばれている理由は、母の日の創始者アンナ・ジャービスが、母が好きだった白色のカーネーションを参加者に配り、みんなで祭壇に手向けたことが起源になっています。それ以来、カーネーションは母の日のシンボルとなりました。

 ただ、母の日のカーネーションとしてよく見かけるのは赤色。存命のお母さんには赤色を、亡くなったお母さんを偲んで贈るのなら白色と、区別がされているそうです。

 アメリカや日本でカーネーションが選ばれていますが、オーストラリアで選ばれているのは菊の花。その理由は、菊が英語で「mum(マム)」でお母さんという意味もあるからです。

所変われば日にちも違う!世界でみる「母の日」

所変われば日にちも違う!世界でみる「母の日」

 日本の母の日はアメリカの習慣を真似て取り入れたれたため、5月の第2日曜日と制定されていますが、世界ではそれ以外の日に母の日を祝っている国もあります。

 イギリスの母の日は3月。イースターの3週間前の日曜日に行われます。もとはこの日のことを「マザリング・サンデー」と呼び、自分が洗礼を受けた教会へ礼拝に行く日でした。その日はメイドたちも帰省が許されてお母さんに会うことがでたことから、この日がイギリスの母の日と変わっていったそうです。

 日本のお隣、韓国には母の日はなく、その代わりに5月8日を「両親の日(オボイナル)」としてお祝いします。この日は両親に感謝の気持ちを伝え、プレゼントや現金を贈ったりします。

 タイの母の日は8月12日です。この日は、現在のタイの王様ラマ10世の母親、王妃シリキットの誕生日です。この日に子どもたちは、母親にプレゼントや花、ジャスミンの花を繋げて作る花輪「プアンマーライ」を贈ります。また、王妃の誕生日が金曜日だったことから、金曜日の色である水色の服をみんなで着てお祝いをするそうです。

 地球の裏側にあるアルゼンチンの母の日は10月の第3日曜日。10月になった明確な理由はわかっていないようです。ただ、南半球に位置するアルゼンチンの10月といえば、春。花々が咲き乱れる季節のため、種類は問わずお母さんにお花を贈る習慣があるようです。また、友だち同士でも「母の日おめでとう!」と声を掛け合ってお祝いをします。

 世界中にいろいろなスタイルがあるとはいえ、お母さんに感謝の気持ちを伝える日であることは世界共通ですね。まだ感謝の気持ちを伝えられていない人は、今からでも遅くないのでぜひ伝えてくださいね♪

(水浦裕美)