先日掲載の「悪いのはジャニーズだけじゃない。名物芸能レポーターがTV界から干された真相」では、故梨元勝氏が表舞台から姿を消した真の理由を誌面で暴露した、ジャーナリストの上杉隆さん。今回上杉さんは自身のメルマガ『上杉隆の「ニッポンの問題点」』で、二十数年前に自らがジャニー喜多川氏の性加害を追い始めたきっかけを紹介するともに、その後現在に至るまで続く、大手メディアを巻き込んだジャニーズ事務所サイドからの徹底した報復行為を白日の下に晒しています。

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【ジャニーズカルテル(2)】ジャニー喜多川氏本人に直接取材した唯一のジャーナリスト

村西とおる監督がジャニーズ問題で干されたようです。残念ながら、私は村西さんとはお会いしたことがなく、事実関係を確認していませんが、梨元勝さんからフォーリーブスの件に絡んで村西さんのことは聞いていたこともあり、きっとお話ししている通りなんだなと思います。

思えば、ジャニー喜多川氏本人に直接取材したのは、今日ではジャーナリストしては私、上杉隆だけになってしまったんではないでしょうか。だからこそ、これまでは黙していましたが、語らなくてはならない責務が生じたのだと思っています。

本題に入る前に、ジャニーズ取材の背景を解説したいと思います。この間、ノート、メルマガ、ホームページ、あるいはTwitter(X)やFacebookなどに幾たびか経緯をアップしています。ちなみに、Instagramだけはですね、こうしたジャーナリスティックなことは触れないようにしています。私の上杉のインスタをフォローしている方からは、なぜジャーナリスティックはポストがないんだと言われますが、もうそこは自分自身の人生の中で仕事は抜きに楽しみとしてのSNSとして使っているんでご海容いただきたいと思います。

さて、ジャニーズ事務所に取材し、報じたことで、私は20年以上にわたって同事務所のタレントとの共演NGを余儀なくされました。その報復がどれほど仕事に影響を与えたかというと、やられていない人には絶対にわからないほど徹底して行われました。ひとことでいえば、組織的な業務妨害と社会的な報復行為ですね。

きっかけは1999年の終わりでした。当時、週刊文春のみがジャニーズ問題を扱っていました。編集長の松井清人さん、デスクの木俣正剛さんを中心とした(途中で島田真さん)取材チームがニューヨークタイムズを訪ねてきてくれて、ジャニーズ問題についての報道を伝えてくれたんですね。

ちょうど、私自身も、週刊文春で政治関係の連載(不定期)を始めたばかりということもあって、信頼関係を結び始めた時期にあたりました。さっそく、東京支局長経由でニューヨーク本社に掛け合ってもらい、ジャニー喜多川さんの少年虐待の取材の是非についての判断を仰いでもらいました。

当時、ジャニーズ問題については、週刊文春のみが取り上げており、日本のメディアの中で孤立していました。唯一追随したのは東京スポーツ。しかし、メディアとしての信頼度からいえば圧倒的に低く、報道のひとつとしてカウントされていませんでした。もちろん、他のメディアやジャーナリストは、現在の状況からもわかるようにすべて完全に沈黙をしていた状況でした。

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そのような中で、のぞみ総合法律事務所の矢田次男弁護士が暗躍し始めます。週刊文春がデマを流してる、それはもう二次被害であり、後追いをすれば訴訟も辞さないという脅しがなされるのでした。のぞみ総合法律事務所サイドに付いたのは、全テレビ局、全ラジオ局、全新聞社、全通信社に文春を除く全雑誌です。のちに文春も途中で離脱した時期があったので、まぁ、出版社っていうのは意外にご都合主義なのですが、それでも、この矢田弁護士はその後、TOKIOの山口さんが起こしたスキャンダルでの最初の謝罪会見で、みずからマイクを握って司会をして、自爆していくのですが、まぁ、世の中の無常と因果を感じざるを得ませんでした。(※編集部註:弁護士事務所の名称に一部誤りがあり修正いたしました。関係者各位に深くお詫びを申し上げます)

あとは東京スポーツでしょうか、実はもともとジャニーズ事務所から出入り禁止処分を受けていたゆえに、週刊文春の記事をそのまま載せるという形での報道が可能でした。ただ、積極的に取材をしたわけではなく、週刊文春やニューヨークタイムズの記事をそのまま載せるという形だったと記憶しています。当時の担当は延一臣さん、のちの私の連載の担当でもありましたが、正義感のある良い記者でした。週刊文春は、芸能担当の中村竜太郎さんが担当していたと思いますが、それでも何人かいる担当者のうちのひとりでしたね。

私が取材を開始した頃は、ちょうど週刊文春は、ジャニーズ事務所と裁判になることを想定し、補強材料が欲しかったのだと思います。当時の文春は日本社会では圧倒的に孤立し、同業のメディアからも、広告代理店の電通からも追い込まれていましたからね。島田真さん(のちの編集長)から助けてほしいと依頼され、そこで、木俣正剛さん(副編集長)や松井清人編集長と話をしたうえで、これは、ニューヨークタイムズの本社を口説いてでも、書かれるべき内容だと考えたのです。文藝春秋の顧問弁護士である喜田村洋一さんの誠実な姿勢もタイムズ本社に好感を与えたと思っています。

個人的には、シムズ特派員の語った言葉が印象的で、それが取材を遂行するにあたっての使命感のようなものになっていったのを思い出します。シムズ特派員曰く、「これは、ジャニー喜多川という人物による『個人的な犯罪』ではなくて、社会全体が許容している『組織的な児童虐待』だ。座視すべきではない」というのです。それは確かにその通りでした。

取材すればするほど、心の痛む事実が明らかになってきました。何十件もの児童虐待が行われ、誰もがそれに気づいているのに、まさか広告代理店やテレビ局が共犯となって、その後、20年以上もの報復が続くとは当時は微塵も考えませんでした。彼らのやり口は巧妙です。ジャニーズ問題とはまったく無関係のことを持ち出して私たちジャーナリストを攻撃し、弁護士や同業者からの信用棄損と人格攻撃によって、社会的に抹殺していくのです。この国のメディアの醜悪な限界を知った瞬間でした。

仮に、性的な関係だけならば、同意さえあれば、それは当人同士の問題であり、あるいは、民事事案であり、ニューヨークタイムズが取材することもなかったでしょう。なにしろ、当時の日本にはLGBTという概念すらなく、雑誌やスポーツ紙の表紙には平気で「ホモ疑惑」などと書かれている時代でしたから。

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百歩譲って、成人同士だったら問題はここまで深刻ではなかったかもしれません。ところが、被害者の少年の中には、当時12歳とか11歳とか小学生、中学生がいたんですよ。確か14歳以下との人物との性交渉は当時の法律でも、仮に合意のもとで行われていても、強制わいせつ、あるいは暴行傷害罪になったはずです。もっといえば、子供たちへの性犯罪は児童虐待に当たります。現在、米国のエプスタイン事件やバチカンでの少年レイプ事件がなぜ世界中で大騒ぎになっているといえば、まさにペドフィリアによる児童虐待だからです。

これは明確に凶悪犯罪なんです。しかも、組織的な隠ぺいも行われているという。ニューヨークタイムズの取材は、カルビン・シムズ特派員と、超優秀なリサーチャーの常岡千恵子さんと私上杉隆の3人がチームを組んで、この問題を追いました。

とはいえ、取材を開始したとはいえ、まだ噂レベルの情報がほとんどで、週刊文春の記事だけではとてもではないが記事化できるはずもない。結論からいえば、のべ50人ぐらいのジャニーズ関係者(タレント含む)、もしくは元ジュニアの方などに直接取材をしました。そして、私自身は当のジャニー喜多川さんを追いかけることになったのです。

連日、彼の自宅と合宿所に通い詰めました。当時の事務所は六本木のアークヒルズにあったんですが、そこは合宿所と呼ばれていて、ジュニアたちの宿泊が可能な自宅も兼ねていました。セキュリティのガードマンのいる正面玄関で、ピンポン、ピンポンと部屋番号を鳴らしたものです。最初のうちはジャニーさんと接触できたのですが、コンシェルジュから顔を覚えられた後は通知がいくのでしょう、私が来るとジャニーさんは外出しなくなりましたね。そうした時は、のぞみ法律事務所に行ったり、乃木坂の隠しマンションに行ったりしました。

それでもしつこく取材を続けていたら、そのうちに弁護士が警察に通報したのでしょう、私が到着するとすぐに麻布署の警官が来るようになりました。警察官も何度も来られていて気の毒でした。もともと議員秘書時代から警視庁には知己がいたので、本庁からも連絡が入って「上杉さん、もうほんとに勘弁してくださいよ」っていう感じになってました。

現場では、「これ以上続けるようでしたら事情聴取をしなくてはなりません」と警官に警告されたこともありました。もちろん逮捕に至ることはありませんでしたが、正当な取材活動ですら、警察がここまで気をつかうのですから、当時からジャニーズ事務所の力は相当だったのでしょうね。

(次回配信号に続く)

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image by: Ned Snowman / Shutterstock.com

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