弊サイトでも既報の甲南医療センター男性勤務医の自死事件をはじめ、後を絶たない過労自殺。なぜ彼ら彼女らは、自ら死を選択せざるを得ない状況に追い込まれてしまったのでしょうか。今回のメルマガ『デキる男は尻がイイ−河合薫の『社会の窓』』では健康社会学者の河合さんが、過労自殺が続発するこの国の異常性を指摘。その上で、欧米の常識を当たり前にできない日本社会に対して強く疑問を呈しています。

※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:日本の常識、世界の非常識?

プロフィール:河合薫(かわい・かおる)
健康社会学者(Ph.D.,保健学)、気象予報士。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D)。ANA国際線CAを経たのち、気象予報士として「ニュースステーション」などに出演。2007年に博士号(Ph.D)取得後は、産業ストレスを専門に調査研究を進めている。主な著書に、同メルマガの連載を元にした『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアムシリーズ)など多数。

うつ病を発症し過労自殺は長時間労働が原因。日本の常識は世界の非常識?

自己研鑽の時間は、労働時間か?個人の自由か?あなたはどう思いますか?

甲南医療センターの勤務医だった男性が(当時26歳)、うつ病を発症し過労自死したのは長時間労働が原因として、公益財団法人甲南会と、理事長で同センター院長に対し、2億3,400万円の損害賠償を求めた裁判の第1回口頭弁論が開かれました(4月22日)。

この問題は本コラムでも取り上げていたとおり、西宮労基署の報告では、男性医師の自死直前1カ月の時間外労働は207時間50分だったのに対し、自己申告していた時間外労働はたったの7時間。過労死ラインを大きく上回り、亡くなるまで100日連続で休みなく勤務していました。

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また、男性医師が亡くなる以前から、甲南医療センターでは医師らが専攻医の長時間労働を訴え、業務の改善を求めていたこともわかっています。

ところが医療センター側は、1年以上が経って初めて男性の自殺を公表し、「病院として過重な労働を負荷していたっていう認識はございません」「(労基署が認めた長時間労働は)本人の自主性の中で自己研鑽を加えた結果でしかない」「医師には自己研鑽というものがこの職業とコインの表裏のようについている」などと発言していました。

そして、今回の初弁論で原告側が「通常の診療を受け持つ傍ら、専門医の取得に向け学会発表の準備に追われていた。こうした活動は上司の指示により、業務にあたる」と主張したのに対し、病院側は一貫して否定。「学会発表は専攻医の自律的な取り組みで指揮命令関係はなく、労働ではない」と答弁書で反論しました。業務量も「標準的かそれ以下」で、過重労働はなかったなどと主張しています。

口頭弁論後の記者会見で男性医師の母親は「命を預ける医師の過労問題を自分事として感じてほしい」と訴えていましたが、いったい何人の命が奪われれば、この国の意思決定の場のお偉い人たちは「過労自殺」と正面から向き合うのでしょうか。

私は過労自殺について、これまでさまざまなメディアで取り上げ、問題点を指摘してきました。しかし、一向に変わらないのです。ご家族がどんなに訴えても、被害者はあとをたちません。

昨年の年末。広告広告代理店の社員だった娘を8年前に過労自殺で失った母親が手記を公表し、「悲しみが癒えることはない」「最も大切なのは、働く全ての人の人権を尊重した経営を行うことだ」と訴えました。前年の2022年の年末には、「命より大切な仕事はない。経営者は、働く人が生き生きと健康に働ける環境を整備する義務があるのを忘れないで」と訴えていましたが、「人の命」も「人権」も軽視され続けています。

確かに、以前に比べれば多くの企業で長時間労働は改善されています。しかし、「自己研鑽」という抜け穴をいまだに都合よく利用する姿勢には怒りしか湧いてきません。

そもそも過労自殺は、長時間労働が直接的な原因ではありません。過労自殺は、仕事上の強い心理的負荷により、生きる力がなえた末の死です。重い責任、過重なノルマ、達成困難な目標設定などにより精神的に追い詰められ、長時間労働で肉体的にも極限状態に追い込まれる。特に“overwork”すなわち「自分の能力的、精神的許容量を超えた業務がある」という自覚が強まると、過労自殺を招く確率が高まります。

本当はSOSを出したいのに、受け止めてくれる人がいない。本当はもっと生きたい。でも、生きているのがつらい――。その葛藤に疲れた末路が、「死」という悲しい選択なのです。

「人」の命は何よりも重いことを否定する人はいません。しかし、「人」が「労働者」になった途端、命が軽んじられている。「人」を守るはずの医療の現場で、「労働者=人」が悲しい選択を余儀なくされているのです。

しかも、当直勤務を労働時間にカウントしない病院も増え続けている。「宿日直」の許可を受ければ、労働時間に含まなくていいというルールがあり、許可件数は年々増加。2021年144件、2022年233件、2023年は9月の段階ですでに734件に上り、前年の3倍超の件数に。医師の時間外労働の上限規制が適用される24年の4月にむけ、さらに増えたとされています。

アメリカでは当直は労働時間として算定され、当直時間を含めて週80時間の上限を設定。外部へ出張して当直する時間に関しても、勤務先の労働時間に合算されます。EUも同様に当直を労働時間として算定する体制が整備されていて、当直に関しては、active on-call(院内当直に相当)とinactive on-call(宅直に相当すると考えられる)の両者が定義され、労働時間とみなされています。

つまり、病院内に滞在して診療に従事するactive on-callだけではなく、電話相談をするだけで登院する必要のないinactive on-callに関しても労働時間に含まれているのです。

自己研鑽問題は、欧米にもありますが、労働時間が徹底的に管理されているので、日本と違い、自分の時間を取りやすい。しかも、論文などを発表する学会によって病院名で発表する場合や、医師の個人名で発表する場合があるので、病院側と事前に相談して「労働時間に含めるか否か」を決めるのが一般的です。

なぜ、欧米の当たり前が、日本の当たり前にできないのか?「医師は労働者じゃない」と言う人もいますが、雇われている以上医師であれ労働者であり、「人」です。

過労自殺という言葉がない社会にするには、何が必要なのか?

改めて考えてみたいと思います。

みなさまのご意見、感想、経験などお聞かせください。

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