小渕内閣と森内閣で官房長官、その後自民党参院議員会長を務め「参院のドン」と呼ばれた青木幹雄氏のお別れの会(自民党葬)が、8月29日に都内で執り行われました。そこで弔辞を述べた森喜朗元首相を青木氏の“カイライ”と呼ぶのは、辛口評論家として知られる佐高信さん。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』では、松田賢弥著『逆臣 青木幹雄』などの記述を引きながら、青木幹雄という人物について思うところを忌憚のない言葉で綴っています。

本当のワルの青木幹雄

8月29日、竹下登の秘書から「参議院のドン」に成り上がった青木幹雄の自民党葬が行われた。そこで森喜朗が「私にとっては父親でもあり兄貴でもあり、先生でもあった」と弔辞を述べたというが、森を操って悪事を為したのは青木である。“サメの脳みそ、ノミの心臓、オットセイの下半身”と言われた森に知恵はない。その森をカイライにして青木は悪事の限りを尽くした。

小渕恵三が現役首相として倒れた時、官房長官だった青木は小渕に「よろしく頼む」と言われたと発表したが、その時点ですでに小渕の意識ははっきりしていなかった。

松田賢弥は『逆臣 青木幹雄』(講談社)で、そして森に首相の座をバトンタッチさせたことを「自作自演のクーデター」と呼ぶ。この時、森を含む野中広務、亀井静香、村上正邦、そして青木で森後継を決めたことが密室人事と批判されるが、意図的に加藤紘一ははずされた。そのことが「加藤の乱」につながっていく。

『逆臣』にこんな一節がある。

青木にとって森は、早稲田大学の一年後輩、サークル、早稲田雄弁会で同じ釜の飯を食った仲間であり、麻雀仲間でもあった。小渕は三年後輩の雄弁会仲間だった

青木と森は一体の、切っても切れない関係だ。二人は、たとえて言うならば、永田町というヘドロのような生簀で、その沼底深く棲息し、ぬくぬくと太った雷魚のようなものだ

小泉純一郎が「自民党をぶっ壊す」と言った時、その自民党とは田中(角栄)派のことだった。青木は田中派の系譜にいながら、小泉を支持して郵政民営化ならぬ会社化などを認める。それで田中派の会合は荒れた。橋本龍太郎が会長で野中広務や野呂田芳成が属していた会の模様を当時の新聞が伝える。

「小泉から、政策転換や内閣改造で一札取るといったじゃないか。あるなら見せろ」と野呂田が迫ると、青木は、「こんなところで言う話じゃない」と逃げ、野中が、「青木さん、それ違うんじゃないか」と異議を申し立て、橋本が、「あんたは竹下さんが手塩にかけた派閥をつぶすつもりか」と怒ると、こう居直った。「竹下がつくった派閥を、青木が壊して、いったいどこが悪い」

郵政民営化ならぬ会社化はパブリックをなくして郵便局を儲けの道具にするものだった。だから、新自由主義ならぬジャングルの自由主義の竹中平蔵がそれを推進したわけである。

リクルート事件で追いつめられた竹下の秘書の青木伊平が自殺して竹下は助かったが、助かったのは竹下以上に青木幹雄だった。同じ青木姓でも親戚ではない。小渕が倒れていた時、杉良太郎と伍代夏子の結婚式があり、橋本は青木から「お前が小渕の代返をしろ。細かいことは言えないが、小渕は病院に運ばれた」と言われたという。

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