全国で広がる社会実験

 3月29日、北九州市は2023年秋に初めて実施した「地域公共交通市内1日無料デー」の結果を発表した。

 同市では、2023年9〜11月の日曜日に1日ずつ、北九州モノレールや西鉄バス、市営バスなど市内五つの公共交通機関を対象に、市民以外も含めて運賃を無料とした。その結果、利用者数が前年同時期の2倍にあたる

「58万3000人」

に上ったことが明らかになった。

 市が実施したアンケート調査では、利用者の約8割が「大変満足」「満足」と回答。約3割が無料デーを契機に外出し、約2割がマイカーから公共交通に乗り換えたことがわかった。自家用車利用の削減台数は3日間で

「約4万9000台(6%減)」

に上り、渋滞緩和や環境負荷低減の効果もあったと見られる。市は商業施設への来訪者増加などによる経済波及効果を約3億5000万円と推計。市有施設の利用者数も前年比1.4倍に伸びた。公共交通の利便性を実感する機会を提供することで、利用促進と地域活性化の相乗効果を生んだ格好だ。

いま、特定の日に公共交通を一斉に無料化する社会実験は、全国各地で広がりを見せている。その先駆けとなったのが、2019年9月に熊本市で行われた「バス・電車無料の日」だ。

 これは、熊本市中心部の再開発施設「SAKURA MACHI Kumamoto」のオープンに合わせて実施されたものである。九州産交バス(熊本市)などほぼ全ての路線バスと市電、熊本電鉄の運賃が終日無料となった。

 同グループは、オープンにあたり、施設周辺の渋滞対策として公共交通の利用促進が不可欠と判断し、無料の日を実施した。これには、バスターミナルの利便性を周知し、中心市街地の活性化にも寄与する狙いがあった。実施にあたり、運賃補填や広告宣伝、警備などの総費用約2500万円は九州産交グループが負担した。

 この大規模な取り組みでは、交通事業者や行政、大学などが連携し、バスの乗降データやアンケート、ビッグデータなどさまざまなデータを活用して多角的な分析が行われた。

「地域公共交通おでかけ支援事業 地域公共交通市内1日無料デープレミアム付きタクシー券 実施結果」(画像:北九州市)

交通とまちに多面的効果

 その分析結果をまとめた、今釜卓哉・太田恒平・大屋誠・溝上章志「「熊本県内バス・電車無料の日」が交通とまちに与えた多面的効果」(『土木学会論文集D3(土木計画学)』77巻1号)をもとに、無料の日の効果を見ていこう。

 無料の日の実施によって、まず

「バス・電車の利用は2.5倍、地方路線も全て増加、中心部周辺道路網での交通混雑緩和、中心市街地への来訪は1.5倍」

と利用者は大幅な伸びを見せた。また、天草や阿蘇など周辺観光地への来訪者も増加する効果も見られた。利用者数は前週と比べてバスが2.9倍の17.9万人、電車が1.9倍の6.9万人であった。

 利用者アンケートでは、36%が普段は公共交通を使わない層だったが、そのうち85%が「運賃が無料だから」利用したと回答している。これを踏まえて論文では

「今回の公共交通の利用経験によって公共交通を利用し続ける人の割合はかなり高いと考えられる」

という見解を示している。

 利用者増によって、中心市街地への回遊も活発化する効果が見られた。主要商店街の歩行者通行量は前週比1.54倍の9.3万人を数えた。位置情報ビッグデータの分析でも、SAKURA MACHI Kumamoto周辺の主要エリアで最大2.1倍の入り込み増が確認された。

 また、データからは広範囲から人が訪れていることがわかっている。居住地別の来訪状況を見ると、熊本市北区から15倍、東区から12倍、郊外の玉名市から30倍の来訪者増があった。さらに、SAKURA MACHI Kumamotoと長距離バス路線で結ばれた天草・阿蘇・菊池・三角・南関・山鹿・久留米(県外)などとの移動も活発化し、広い範囲で熊本市への来訪が見られたこともわかる。

「地域公共交通おでかけ支援事業 地域公共交通市内1日無料デープレミアム付きタクシー券 実施結果」(画像:北九州市)

経済波及効果は費用の20倍

 さらに、移動が自家用車から公共交通にシフトしたことで、交通渋滞にも変化が見られた。

 利用者増にともない、一部の長距離路線では20分以上の遅延が発生したものの、中心部周辺の道路では渋滞が緩和する効果も見られた。警察の常時観測データによると、時速20km/h以下の渋滞区間の総延長は、前後の週末が17.9km、27.1kmだったのに対し、当日は15.1kmにとどまっている。

そして、経済波及効果は4億9600万円と試算されている。費用2500万円の

「約20倍」

の経済効果が確認されたのである。これを論文では

「運賃無料化のような公共交通機関の持つポテンシャルを引き出す施策を打つことで,商業施設・中心街の活性,道路の効率的利用,中心街にとどまらない観光地の活性など,さまざまな好循環が起きることが実証された」

と総括している。

 この熊本市での成功が、その後の各地で実施されている交通無料化社会実験のきっかけになったことは間違いない。熊本市ではその後も毎年無料の日を実施。2023年は熊本市内で路線バスがあまり走っていない地域や、宇土、合志、益城、山都の2市2町のコミュニティー交通にも実施エリアを広げた。

 同様に、岡山県岡山市や高知県高知市でも運賃無料の日を設ける社会実験を実施。北海道札幌市でも路面電車に限り運賃無料の日が実施された。また、滋賀県の近江鉄道は事業者単体で、無料の日を実施している。これらの施策では、いずれも通常より利用者が増加し、好評のうちに終わっている。

「地域公共交通おでかけ支援事業 地域公共交通市内1日無料デープレミアム付きタクシー券 実施結果」(画像:北九州市)

成功の鍵は都市計画との連携

 ただ、こうした無料化社会実験を恒常的に実施することは難しい面もある。

 多くの地域では、原資としてコロナでの交通崩壊を防ぐための臨時交付金など自治体からの負担によって実施してきた。つまり、

「国や地方自治体からの支援」

がなければ、交通事業者にとっては、運賃収入を失うだけになってしまうのだ。この点について、前述の今釜氏らの論文は次のように提言している。

「行政の支援を得ながら、中長期的に増収増益につなげる工夫が求められる。移動データの分析・活用を通じ、まちづくりや地域振興とも連動させることが重要だ」

つまり、運賃無料の日は、

「それ単体で成立するイベント」

ではない。都市計画やまちづくりの将来ビジョンと緊密に連携させ、公共交通の利便性向上や沿線開発など、地域の活性化戦略の一環として息の長い取り組みを継続していくことが肝要というわけだ。

 さて、無料の日に利用者が増えていることは、運賃が無料あるいは安ければ、多くの人が自家用車ではなく公共交通を利用する可能性があることを示唆している。世界では、この点を重視して公共交通の運賃を税金で賄う、無料化施策を実施しているところもある。

 例えば、フランスでは1970年代以降約30の自治体がバスを無料化。2020年にはルクセンブルクで全国の鉄道、路面電車、バスが無料化されている。

「地域公共交通おでかけ支援事業 地域公共交通市内1日無料デープレミアム付きタクシー券 実施結果」(画像:北九州市)

公共交通無料化の政治的課題

 ただし、無料化すればすぐに利用者が増えて、公共交通をめぐる状況が改善されるわけではない。無料化に踏み切る前に、さまざまな角度から検討し、課題を洗い出しておく必要がある。

 ドイツでは、大気汚染対策の一環として地域公共交通の無料化が検討された事例がある。交通経済研究所主任研究員の土方まりこ氏の「地域公共交通の無料化の是非−ドイツを事例として−」(『運輸と経済』81巻3号)では、この議論の経緯と内容が紹介されている。

 ドイツでは、2017年に欧州委員会がドイツの28都市圏で大気汚染物質の濃度が環境基準を上回っていると警告を発したこと受け、連邦政府が大気汚染対策の一環として地域公共交通の無料化を検討する姿勢を見せた。しかし、この動きに対し、地方政府や交通事業者からは反発の声が上がった。最大の懸念は、無料化にともなう

「運賃収入の減少」

を連邦政府が補填してくれるのかという点だ。ドイツ交通事業者連盟(VDV)の試算では、仮にドイツ全土で公共交通を無料化した場合、

「年間約130億ユーロ(約2兆1290億円)」

もの運賃収入が失われるとされた。さらにVDVは、エストニアの首都タリンの事例を参照し、無料化によって自転車や徒歩からの転換は進むものの、自家用車利用者のシフトは低調となる可能性を指摘した。そもそも運賃は利用者の

「交通手段選択における一要因」

に過ぎず、まずはサービスの拡充を図るべきだと訴えたのだ。

 一方、無料化という選択肢が議論の俎上(そじょう)に載ったことで、各地で運賃を大幅に割り引く動きが加速した。いくつかの都市では高校生以下や高齢者向けに、年365ユーロで乗り放題となる定期券の導入が行われた。

 ただし、こうした割り引き定期券でさえ、VDVは利用者の大幅な増加にはつながらないと懐疑的であった。むしろ、

「もともと公共交通を利用していた人が割安な定期券に乗り換える」

だけで、運賃収入の減少を招くリスクの方が大きいとの見方を示したのだ。この事例を紹介した上で、土方氏は次のような見解を述べている。

「地域公共交通の継続的な運営を可能とし,かつ受益と負担を一致させるという観点からも,その運賃は適正な水準に設定すべきであると考えられる。しかし,政治的な思惑の前では,こうした側面は必ずしも十分に顧慮されるわけではない。そして,いったん実行に移された施策は,その妥当性の有無に関わらず,前例となって運賃のあり方そのものに変化を及ぼすことも十分に想定されよう」

 しかし、公共交通を無料化することで、移動の機会を経済的な理由で制限されることなく、誰もが自由に移動できる環境を整備することができるのは事実である。そのため、可能であれば、公共交通は税金によってまかない図書館や病院のように無料、あるいは格安で利用できるようにすることも考えられるべきだろう。

 特に、貧困層や移動制約者にとって、交通費の負担は大きな障壁となる。公共交通を無料化することで、こうした人々の社会参加を後押しできる。また、自家用車から公共交通へのシフトが進めば、渋滞緩和や環境負荷の低減、中心市街地の活性化など、経済的な効果も期待できる。

「地域公共交通おでかけ支援事業 地域公共交通市内1日無料デープレミアム付きタクシー券 実施結果」(画像:北九州市)

求められる住民理解

 しかし、これは簡単なことではない。

 運賃収入の減少を税金で補填しなければならない以上、地元住民が

「財政負担をよしとする」

ための説得が必要だ。現状の日本では「誰もが移動の自由を享受できるべきだ」という交通権の概念が社会に十分浸透しているとはいいがたい。そうしたなかで、地域の実情を考慮せずに無理に無料化を提唱しても、住民の理解は得られまい。

 では、全国で相次ぐ運賃無料の日の意義とはなんだろうか。

 各地で実施が続く背景には、少子高齢化や人口減少で、路線バスや地方鉄道の存続が危ぶまれるという共通の課題がある。モータリゼーションの進展で利用者が減り続ける一方、運転手不足も深刻化している。とりわけバスは減便や廃止の動きが相次ぎ

「公共交通空白地」

が拡大しつつある。こうしたなか、無料の日は住民に公共交通の重要性を再認識してもらう格好の機会となる。そこには、地域の足を守るとだけでなく、

「地域をみんなで支え合う意識」

を共有する目的がある。それこそが、無料の日の最大の狙いといえるだろう。

 とりわけ、コンパクトシティ化を目指す自治体にとって、鉄道や基幹バスの維持は不可欠だ。それを支える住民の合意形成を促すのも、無料の日の役割といえる。全国で相次ぐ無料の日の実施は、交通政策のみならず、30年後、50年後の日本の姿を考える契機となるだろう。