能登半島地震により大きな被害を受け、運休を余儀なくされた「のと鉄道」
地震発生からおよそ3か月経った6日、七尾駅と穴水駅の間の全線が開通しました。
能登復興へのけん引役として地元の足を守るのと鉄道ですが、地震発生以降は苦悩もありました。一方で未来への光も。のと鉄道のこれからです。
穴水駅一日駅長・佐藤まゆみさん(のと鉄道七尾線全線開通出発式、6日)「出発進行!」
震災後、運休となっていた「のと鉄道」は、6日3か月ぶりに七尾駅と穴水駅の間、33.1キロの全線で運転が再開されました。
震災当日に勤務していたのと鉄道旅行センターの山崎研一所長は、地震発生直後に映像を撮影していました。
名物車掌としてファンも多く、2007年に発生した地震の後も能登の観光地復興に向け尽力してきた山崎さんでしたが、「今回の震災の本震が来た時は終わったかなと初めて思った」と振り返ります。
数カ所で起きた土砂崩れがトンネルを塞ぎ、線路も寸断。
穴水駅の社屋やホームも大きな被害を受けました。被災した本社も立ち入り禁止となる中、社員一丸となり地域の足を守るため動き出しました。
のと鉄道旅行センター・山崎研一所長「七尾方面行きの方お乗りください」
1月下旬、七尾―穴水駅間でバスを使った代替輸送をスタートします。
のと鉄道旅行センター・山崎研一所長「鉄道を維持するため、あなたたちの足を守るためにも外にも目を向けないといけないところもあるから、そこが痛し痒しだったけど、今はほぼ地元の客が中心」
バスの利用者は地元の人がほとんど。のと鉄道は、「観光客に偏重した営業では」との批判があった中、山崎さんは地元の声をこれまで以上に聞く貴重な機会になったと振り返ります。
利用者「本当に感謝しかないです」
2月中旬には、七尾―能登中島駅間で列車の運行が再開されました。
のと鉄道旅行センター・山崎研一所長「これでやっと時が動き出したな」
「時が動き出した」
のと鉄道にとって、将来の課題を解決する「動き出した」ことがもう一つありました。
のと鉄道運転士・山本兼司さん「はい、わかりました。中島到着10分くらい遅れるということですね。わかりました」
3月上旬、地震による被害が残る穴水駅で全線の再開に向け準備をする山本兼司さん。山本さんは3年前にのと鉄道に入社し、去年12月列車の運転免許を取得しました。
のと鉄道・小林栄一常務「期待の星ですね。14年ぶりの期待の星です」
42歳の山本さんは、のと鉄道で14年ぶりに誕生した運転士です。10人いる運転士の中では最年少です。
のと鉄道運転士・山本兼司さん「最初は特別なりたいと思ってなかったけど、仕事をしていくうちに運転士を見てたり、いっしょに仕事したりしたら(運転士に)なりたいなと思ってきた」
当初、2月にはデビューする予定でしたが、地震の影響で延期に…。
のと鉄道運転士・山本兼司さん「本当は今、運転士として一人でやっていたかなと思うんですけど、地震が起きてこうなったらこうなったで仕方がないことなんで特別どうという考えはない」
ぼくとつな性格の山本さん、デビューに向け先輩運転士の指導を受けながら日々列車を運転し、技術の習得に努めています。
のと鉄道・小林栄一常務「運転が好きなんでしょうね。見てますけども運転技術もすぐ上達しましたし、さらに磨きがかかっていくという事なんで本人にとっても会社にとっても良かったなと思っている」
おととい午前5時過ぎの穴水駅。のと鉄道全線再開の日です。
山本さんがやってきました。
のと鉄道運転士・山本兼司さん「緊張しています」
落ち着かない様子の山本さん。それもそのはず。山本さんのデビューが始発列車の運転となったのです。
そして、出発式の時を迎えます。
のと鉄道中田哲也社長「きょうの運行再開は、公共交通機関のただの運行再開にとどまりません。これは私たちの絆、強さ、そして未来への希望の象徴となるものです」
穴水駅一日駅長・佐藤まゆみさんの「出発進行」の合図で出発です。
のと鉄道運転士・山本兼司さん「ちょこちょこ失敗もしたんですけどまあまあうまくいったところもあり良かったと思っている」
大きな被害を受け、廃線の危機にさらされながらも、新たな運転士の誕生など将来に向けた明るい光も差したのと鉄道。地域の復興に向けた牽引役として、これからも能登路を走り続けます。