【パリ五輪を目指す注目女子アスリートの履歴書】

 原わか花
 (女子ラグビー/24歳・東京山九フェニックス) 第1回

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 祖父母の家のこたつでミカンをつまみながら眺めていたスポーツ中継が人生を変えた。中学2年の冬だった。

 新潟県新潟市で3人姉妹の長女として誕生。市立荻川小時代にダンスと陸上、市立新津第二中に上がるとバレーボールに打ち込んだ。もともと運動が得意で、市内の陸上大会の100メートル走では5位に入賞したこともある。

「中学時代は部活だけではなく、クラブチームに入っていたくらいバレーが好きでしたが、やっぱり身長(156センチ)が足りなくて。走ることへの未練もあった。そんなことを思っていた2年の冬、たまたま眺めていたラグビー大学選手権決勝の中継を見て、心を奪われたんです。なぜだかわかりませんが、『コレだ! 私にはコレかもしれない!』と(笑)。当時からスマホを持っていたので、すぐに『女子ラグビー 強い高校』などと検索。トップに表示された石見智翠館(島根)に、そのまま資料請求をしました」

 両親に相談はしていなかったが、すぐさま“親バレ”することになる。資料請求のフォーマットで求められたメールアドレスに、うっかり母のものを入力してしまったからだ。

「資料が届くよりも先に、母の元へ磯谷竜也監督から連絡があったんです。『ラグビーに興味があるんですか』と。母にとっては寝耳に水。『アンタ! ちょっとこのメールなに!?』って(笑)」

 両親は当初こそ面食らっていたものの、反対することはなかった。むしろ、自ら行動を起こした娘の気持ちを尊重。バレーボール部を引退した3年夏は家族で島根まで車を飛ばし、石見智翠館の見学に訪れた。

 現地は自然に囲まれていて、ラグビーに打ち込むにはもってこいの環境だ。両親の後押しもあり、志望校が決まった。入学までトントン拍子で進み、新潟県を離れて寮生活を送ることになった。

 原の新たな門出は友人やバレー部の顧問、親戚、ご近所さんにも知れわたり、多くの応援メッセージが寄せられたという。ところが、ただひとりだけ、ラグビー留学を隠していた人物がいる。実家から車で15分ほどのところに住む父方の祖父だ。

「ちょっと昭和的な考え方をする人だったので、女子の私がラグビーをすることに反対するかも……と。両親とも話し合い、祖父にはバレーを続けていることにしました」 (つづく)

▽原わか花(はら・わかば) 2000年1月6日、新潟県新潟市生まれ。石見智翠館高(島根)でラグビーを始め、3年時に日本代表入り。慶大に進むと、学校の体育会には所属せずに東京山九フェニックスに入団。21年東京五輪に出場した。好きな食べ物は新潟県の特産品であるサーモンの塩辛と白米。