1.FCケルンと聞けば、日本には馴染みの深いドイツクラブではなかろうか。

1970年代に奥寺康彦さんが日本人初のブンデスリーガーとして活躍したクラブ。その後、槙野智章、大迫勇也、長沢和輝も所属したことで知られる。

また、1963年にスタートしたブンデスリーガの初代王者でもある。そのケルンが、日本との関わりを深めようとしている。

21年9月からサンフレッチェ広島と育成業務を提携する中、4月上旬にクラブ社長のマークス・レヤェック氏、アカデミー・ダイレクターのルーカス・ベルク氏ら代表団が来日。広島において、両クラブ間の結び付きをより強めるべく話し合いの場を持ち、27年までの契約期間の延長を発表した。

■「国際化」担当の笹原丈氏に聞く

もともとブンデスリーガ(DFL)が進める「国際化(海外進出)」に則り、育成力に定評がある両クラブが結びついたものだ。育成や強化はもとより、今後はクラブの経営面も含めた人的交流を行い、双方の発展に協力していくこととなった。

その来日した今回の代表団にあって、両クラブの重要な橋渡し役となっているのがクラブの「国際化プロジェクトマネジャー」を務める笹原丈氏。あらためて笹原氏に、ドイツとのオンライン取材でクラブの思惑や狙いについて尋ねた。

−もともとDFLが掲げる「国際化」とはどういう意図なのでしょうか

「各国リーグの売り上げ、知名度といったものから規模を測ると、世界的にメジャーリーグと呼ばれるところではイングランドのプレミアリーグを一番抜けていて、続いてスペインのラ・リーガ、続いてブンデスリーガとセリエAが並んでいるいう状態が何年も続いていると思います。そこでどうやって魅力あるリーグとして知名度を上げていくかという活動が推進されています。ブンデスリーガの魅力は地域に根付いて、お金に左右されすぎず、本当のサッカーの魅力を失っていないところだと思います。そういう魅力を伝えていくところが大事なことの1つです」

■奥寺さんから始まる日本との縁

−アジアは大きなマーケットになっていると思います。それだけに、そこをどう開拓していくか? のように思います

「DFLが国際化を進めていく中で、ターゲットとする国々をピックアップして、その国々の中で各クラブが独自に活動しています。我々は奥寺さんから始まって、日本とは深い関係性があり、ずっと親密にやらせていていただいたのでその中で日本を選び、日本で活動をさせていただいてます」

−経済的な狙いが大きいのですか

「国際化イコールお金をすぐに取りに行くというイメージではありません。そこはサッカークラブとして日本での知名度を高めたいというのが我々の狙いです。我々はバイエルンやドルトムントと違って小さなクラブです。ですので、まずは日本で。その中でも提携先のある地域からどんどん広げていきましょうと」

−広島と提携に至った理由は何でしょうか

「提携先を見つけるに当たって、まったく共通点がないことをしてもしょうがない。我々は育成クラブですので、日本の育成クラブのトップであるサンフレッチェさんとお話をさせていただいて、ここまで至っています。やはり提携するに当たってお互いが成長するというのがすごく大事になると思います」

−提携して何か変化はありましたか

「知名度のところで言うと提携後、多くの活動は広島でやらせていただきますけど、X(旧ツイッター)の日本からのフォロワーは広島の方が多いですし、そこでの知名度は上がっているのかなと思います」

■両クラブの成長が一番の目的

−提携関係をこれからの3年間で強めるようですが、具体的にどうしたいですか? 来日会見では日本人選手の獲得についても質問が出ましたが

「一番の目的はクラブ同士が成長していくことです。今ケルンではこういうことをやっているという定期的な情報交換をさせていただいたり、広島の選手が実際にドイツにやってきてチーム練習に参加したり。もちろん選手の動き(移籍)があれば、注目度も高いと思いますので、もちろん視野に入れながら今回は提携を延長させていただきました」

−他にどういう取り組みを考えているのでしょうか

「我々はケルンの地域では人気がすごく高いクラブです。ほとんどの方がケルンのファンと言っても過言ではありません。我々にできることとして、例えば日本企業がドイツに進出したいという時に我々がプラットフォームになれると思っています。我々を使っていただければ、ドイツで日本企業の知名度を高めることができます。少し余談になりますが、奥寺さんがいらっしゃった1970年代はまだユニホームの胸スポンサーとかが入っていなくて、80年代前半に入るようになって最初の企業は日本のパイオニアでした。そのパイオニアがヨーロッパへ広げていったという例もありますし、当時アメリカのペプシも我々の胸スポンサーとなってドイツでのシェアを広げたというのもあります。我々をプラットフォームとして使ってもらい、同時にヨーロッパに進出していくというのは、パートナーとしてやっていけることだと思っています。やっぱりサッカーは世界的に見ても一番影響力のあるスポーツの1つです」

■クラブスローガン“唯一無二”

−ケルンという地域はどんな特徴があるのでしょうか

「ケルン市というのはドイツの中でもすごく陽気な街として知られています。世界で一番大きなストリートカーニバルがあって、売りにしているところです。我々のクラブのスローガンは、日本語にすると“唯一無二”。ほかとは違うというのを長く使っています」

−今回の来日で広島に行って、実際にどんな話をされたのでしょうか

「まずはこの提携をよりいい方向に、今までやってきた3年間をベースにして、さらにいい関係を築きたいということです。具体的には育成年代の指導者だけではなく、より選手同士での交流を深めていきたいと思っています。若い年代での海外での経験というのはサッカー選手としてだけでなく人間としても成長につながると確信しています。あとはサッカースクールを日本で拡大していくことだったり。先ほども申しましたが、我々のクラブは育成力にはすごく力を入れています。現トップチームもユース出身者が多く活躍しています。わがクラブでなく残念なのですが、レーバークーゼンで活躍しているフローリア・ビルツも我々の育成出身者です」

フローリアン・ビルツ。今シーズン公式戦無敗を誇り、欧州を席巻しているレーバークーゼンで21歳にして10番を背負う有望株。17歳34日にしてブンデスリーガ1部で得点を記録し、リーグ史上最年少スコアラーとなっている。ドイツ代表としても今夏の欧州選手権での活躍が期待されている選手だ。

−広島のスキッベ監督はドイツ人ですが、そこは何か関わりがあったのですか

「それは偶然でした。スキッベさんはシャルケやドルトムントで指導していた方です。ドイツでは育成を得意とすることで有名です。若い選手を使いながら結果を出しているのが素晴らしいし、我々ともマッチします。それと幸いなことに、我々のトップチームのスタッフとドイツ語で話ができるというのは大きいです」

−この「ドイツつながり」は、両クラブがともに成長する上で大事なファクターになりそうです

「実際にサンフレッチェとお話をさせてもらっても、すごくドイツから学びたいということを言ってくださいます。仙田社長が常々おっしゃてくださるのですが、広島でサッカーを教えてくれたのはドイツ人だと。戦時中にドイツ人が広島で日本人とサッカーをして、その広島からサッカーが広がったという歴史があるそうです」

■共通点多いドイツ人と日本人

−いろんな点と点がつながって線となっている印象を受けます。この線をどんどん太くしていくことに

「我々が育成クラブとして有名なことを日本でも、もっと知ってもらうことが大事だと思っています。これから日本に行く頻度や、逆にドイツに来てもらう回数を増やしていく予定です。選手だけでなく指導者交流も続けていきます。やはり2つのクラブが成長していく上で、オンラインという便利なツールはありますが、サッカーの部分ではフェース・トゥー・フェースでお話しするのが一番。実際に肌で感じてもらうことを、これからの3年間でやっていきたいと考えています」

レヤェック社長、アカデミーを統括するベルク氏は4月に来日した際、会見で繰り返していたのはドイツ人と日本人のマインドの共通点だった。勤勉であり、他者へのリスペクトを忘れずフェアプレー精神を持つ。そこに笹原氏の言葉を重ねれば、ケルン×広島は未来へ大きな相乗効果をもたらしそうだ。

両クラブが今後どう発展を遂げていくのか、興味は尽きない。【佐藤隆志】(ニッカンスポーツコム/サッカーコラム「サカバカ日誌」)

◆1.FCケルン ドイツのノルトライン・ヴェストファーレン州ケルンに1948年に創設。63−64年に創設されたブンデスリーガの初代王者、リーグ優勝は2回。ドイツ杯は優勝4回。熱狂的なソシオ(会員)に支えられたケルン最大の総合スポーツクラブ。チームマスコットはヤギ、歴代の本物のヤギがスタジアムで応援する。今季はティモ・シュルツ監督のもとリーグ戦18チーム中17位に終わり、来季は2部に降格。本拠地はラインエネルギー・シュタディオン(5万人収容)。