センバツ優勝候補に挙げられる石川・星稜。同校を率いるのが、山下智将(としまさ)監督、42歳だ。2023年春に監督に就任し、同年秋の明治神宮大会を32年ぶりに制覇。名将の父・智茂氏への思い、令和で変えた指導とは? 山下監督がインタビューに応じた。〈全3回の1回目〉

――古くは松井秀喜さん(元ヤンキース)がいたとき、近年では奥川恭伸選手(ヤクルト)や山瀬慎之助選手(巨人)がいたとき、星稜が強いときは、選手たちがすごく自立している気がします。今年のチームはそのあたりはどうなのでしょう。

山下 私が今まで見た中では奥川たちのチームに非常に似てると思います。奥川の代は監督がいなくてもキャプテンの山瀬を中心に自分たちで練習メニューを決めていました。今のチームも個々の能力では1つ上の代の方が高かったと思うんですけど、自分たちで考える力や感性は抜けていると思います。だから、チームワークもいい。そこがいちばんの強みだと思っています。

「考える力」が出た…ある衝撃プレー

――昨秋の北信越大会の決勝、敦賀気比戦のタイブレークでも、このチームを象徴するようなスーパープレーがあったんですよね。

山下 あれはすごかったですね。うちが後攻めで、ずっと0−0で。10回表、バントを決められて、1アウト二、三塁になったんです。1点はしょうがないと考えるのが正しいのかもしれませんけど、9回まで0が続いていたので1点がすごく重くなる気がして。内野手を前に出したんです。ショートの吉田(大吾)はものすごく野球勘のある子なので、「本当にいいんですか?」というジェスチャーを送ってきたんですけど、いいんだ、いいんだ、と。

 場面的にピッチャーは三振をねらいにいってくれたんですが、バットに当てられてライトの方にフライが上がった。ファウルは(犠牲フライで1点入るので)捕るなというサインまでは出せていなくて。ライトの専徒(大和)が追いかけて行ったとき、センターの芦硲(晃太/あしさこ・こうた)は「捕るな! 捕るな!」と指示を出したそうなんです。後で聞いたら、専徒は「声も聞こえてたし、自分もファウルなら落とすつもりでいました」と。結局、そのフライをファウルにしてくれて、ピッチャーが三振を取ってくれた。2アウト後、ファーストゴロで0点に抑え、その裏、うちが1点を取って勝ったんです。

――タッチアップの1点を与えないために、意図的にファウルフライを落とした。監督の意図を汲んで、それを瞬時に判断できるのは、確かにすごいですね。

山下 守備能力はもともと高いチームだったんですけど、加えて、試合の流れを読み、どういう守備がいいのかという状況判断もできる。

2人が直訴「キャプテンをやらせてほしい」

――キャプテンの芦硲君は、自らキャプテンをやりたいと言ってきたと聞きました。

山下 去年の夏の甲子園、初戦の創成館戦で負けた日の夜でした。夕食が終わってからだったので7時半とか8時ぐらいだと思うんですけど、芦硲が私の部屋に来まして。そもそも私の部屋に生徒が尋ねてくることなんてないので驚いたんですけど、「自分にキャプテンをやらせてほしい」と。部長時代も通じて、生徒の方からやりたいと言ってきたことなんてなかったと思います。

――その場で「わかった」と?

山下 いや、通常、キャプテンはこちらが指名するんですけど、彼ともう1人、候補がいたんです。なので「もちろん、お前に引っ張ってもらわなきゃいかんよ」とだけ言って、即答はしませんでした。そうしたら、新チームの練習初日、竹下(史紘)という選手がいちばん早くに来ていて「先生、お話が」って。「どうした?」と言ったら、「僕がキャプテンとして引っ張っていきたい」と。彼がもう1人のキャプテン候補だったんです。

――芦硲君がキャプテンに立候補したことを知って、竹下君も来たわけですか。

山下 いや、そこは互いに知らなかったと思います。そのときも「もちろんお前にも引っ張ってもらわなきゃいかんよ」と言って即答はしませんでした。最終的には芦硲の方がより自分で考えて、自分の言葉で伝えることができるタイプなのでチームの可能性を広げてくれるかなと思って、彼をキャプテンに指名しました。真っ直ぐで、非常に真面目なタイプの竹下には副キャプテンとして芦硲を支えてくれ、と。

――2人もキャプテンをしたいと言ってくるなんて頼もしいですよね。元監督の林(和成)さんも選手に任せている雰囲気がありましたけど、その感じを踏襲しているからでしょうか。

山下 任せるというか、生徒に意見を聞いたりはしていましたよね。「こうしなさい」ではなくて、「これどう思う?」みたいな感じで。そこはある程度、引き継いでいるところはあるかもしれませんね。

「慶応だからできる」は本当か?

――昨年夏、「エンジョイベースボール」を掲げる慶応が優勝し、話題になりました。一方、星稜も2014年に掲げた「必笑」というスローガンが今もチームの伝統になっています。両校とも選手が自由に意見を言える雰囲気がありますし、いろいろと共通点があるように映るのですが。

山下 いや、どうでしょう。あそこまでできるかな。うちは、まだ丸刈りだし。インタビューとかを聞いていると慶応の選手たちはうち以上に個々が自立していますよね。

――慶応のスタイルを見て、指導者はよく「慶応の選手だからできる」という言い方をしますけど、それも一理ありますか。

山下 そうなんじゃないかな。全国の学校がどこも同じようなやり方ができるとは思わないですね。自主性に任せても、うまくいかないところもあると思います。監督が管理するスタイルも、それはそれでひとつの野球だろうし。ただ、私がガチガチに管理するチームづくりができるかといったら、それは無理なので。やりたくもないですし。かといって、うちのチームも今の上級生が抜けたら、ここまで任せる野球はできないと思います。

坊主に「こだわりはない」

――その年の選手の資質によって、できることとできないことがあるわけですね。

山下 次の学年は、まずはこちらが主導でやってあげないと、ちょっと難しいと思います。ただ、世の中に出たとき、自分で考える力は絶対必要になってくるので、少しずつそういう力を育んでいってほしいなとは思っているんですけど。

――慶応が優勝してから、やはり星稜も「なぜ坊主なんですか?」と聞かれますか。

山下 もともとの理由は何でなんでしょうね。うちは伝統的に坊主だったので今もそのままにしているだけなんですけど。選手たちもそうじゃないかな。自分自身、正直こだわりはないですし、そこに神経は使いたくないですね。別に伸ばしてもいいですし。もし、明日、校長が伸ばせと言えば伸ばすかもしれないです。

〈つづく〉

文=中村計

photograph by Kei Nakamura