三笘薫をはじめ、多くの日本代表選手を輩出してきた名門・筑波大学蹴球部。今季から実質、トップチームの指揮を執るのが大学4年生の戸田伊吹だ。現役大学生ヘッドコーチ誕生の舞台裏に迫った〈全2回の前編〉

 戦術ボードのマグネットを動かしながら、鋭い眼光で指示を送る。強い信念を感じさせる堂々たる佇まいに目を奪われた。

 3月中旬、関東大学サッカーリーグ開幕を前に行われた「IBARAKI大学サッカーフェスティバル」でのワンシーン。前年度の関東大学リーグ王者・筑波大を指揮していたのは、春から大学4年生になった戸田伊吹だった。肩書きは、もちろん「選手」ではなく「ヘッドコーチ」である。

数少ない推薦組「プロになれる素材」

 柏レイソル下部組織出身の戸田はU-15、U-18と順調にキャリアアップを重ね、トップチーム昇格こそ実現しなかったものの、狭き門と言われる筑波大・体育専門学群の推薦入試を突破。名門の一員としてプレーしていた。

 センターバックやボランチ、サイドバックと守備的なポジションならどこでもこなす戸田は1年生の頃から出番を掴んだ。多くのJリーガーを輩出してきた小井土正亮監督は、戸田のプレーヤーとしての才能を高く評価する。

「インテリジェンスがあって、ゲームに必要なプレーを選べる。技術も高く、十分にプロになれる素材だと思っていました。さらに自分の言葉で喋れる選手なので、ピッチ上の指揮官になってくれたらいいなと思っていました」

 しかし、当の本人が望んでいたのは「ピッチ上の指揮官」ではなく「指揮官」そのものだった。

 高校時代から指導者の道を志していた戸田は、将来を見据えて筑波大にやってきた。当初は選手キャリアを全うしてからという思いだったが、考え方が180度変わったのは、大学1年の負傷がきっかけだった。

「もともと、高校時代に2種登録をさせてもらって、プロの練習試合にも何度か参加させてもらったのですが、選手としての限界をものすごく感じていました。(トップチームに)上がれなかったこともそうですが、プロになれたとしてもそこから自分が活躍する姿が何も描けなかった。(大学生になってからも)自分の将来を選手としてベットする勇気がなかったんです。

 そんな時に、シーズン途中で足首の怪我とグローインペイン症候群(鼠径部の怪我)でプレーができない時期があり、レイソル時代にお世話になった山中真さん(現・町田コーチ)、飯塚浩一郎さん(現・横浜FMユースコーチ)など、これまでお世話になった指導者の方々とサッカーについて、将来についてたくさん話をする機会がありました」

 負傷離脱中に重ねた会話が戸田の意欲を一層、掻き立てた。「一度火がついたら、止まらなくなっちゃうタイプなので」と、笑みを浮かべるがその決意は本物だった。

大学1年秋で、選手キャリアを捨てる

 筑波大蹴球部では小井土監督の他に学生コーチが数名在籍しており、そのほとんどを大学院生が務めている。ただ、トップチームでプレーする戸田であれば、選手を続けながら下のカテゴリーを指導する学生コーチの兼任も可能だった。だが、「どちらも中途半端になってしまう」と指導者に専念するために選手のキャリアをスパッと捨てた。

「今、決断すれば、大学院生にならないとできないことを残りの3年間でできる。卒業後の時間を指導者としてブラッシュアップする期間にも充てることができる。それはアドバンテージだと思ったんです。何より、小井土さんの下で学びたい気持ちが強くなりました」

 創部128年目を迎える蹴球部において、所属する現役選手がコーチになること自体、ここ30年を振り返っても非常に稀な出来事ではあるが、さらに戸田の場合は数少ない“推薦組”の選手だ。トップチームの大きな戦力ダウンも意味する。練習後のグラウンドの片隅で戸田に覚悟を打ち明けられた小井土監督は、当時をこう回顧する。

「予兆がなかったので、『話があります』と言われたときは『なんだろう?』と思いました。言われた後は正直驚きましたが、『お前の考えていることは分かったけど、もうちょっと考えた方がいいんじゃないか』と伝えましたね。僕はやれるところまで選手としてやって、限界を知って、もっといろいろな経験を積んだ上で指導者になった方が深みは出るだろうなと思っていたので」

 その後、自身の研究室に呼んで説得を重ねた。しかし、戸田の意思は揺らがなかった。そこで小井土監督はある構想をひらめく。

 選手を引退した戸田が指導者としての歩みを始めた2022年、このときコーチを務めていたのが元日本代表・平山相太(現・仙台大監督)だった。戸田を平山の右腕に育て上げ、いずれ平山が大学院を卒業したあとに現場の指揮を託そうというビジョンだった。

「僕が監督になってから、“ヘッドコーチが采配の全権を握る”というかつての筑波大の風習がなくなっていました。2023年はヘッドコーチとして平山に全権を渡し、その流れを1年で終わらせないよう、その間に伊吹に成長してもらおうと思いました」

 2022年はセカンドチームのヘッドコーチとして指揮を取り、2023年は平山ヘッドコーチのアシスタントコーチとして1年間、トップチームの指導に携わった。かつての仲間たちとピッチ外で一緒にいることはほとんどなくなったが、逆に平山をはじめとした大学院生とサッカー談義する時間は増え、院生の控え室に入り浸るほどだった。

「選手時代とは違った新しい仲間ができたので、そこに対する寂しさは一切なかった」

小井土監督「指導者としての筋がいい」

 溢れる知的好奇心と指導者としての向上心。悩みを抱えながらプレーしていた1年生の頃とは打って変わって、貪欲にサッカーに取り組めている自分がいた。近くで見守ってきた小井土監督も確かな手応えを口にする。

「いろいろなことに気を回して、先回りして動くことができるし、ベンチでの佇まいも雰囲気があるんです。指導者として筋がいいなと見ています」

 指導者としての才能を発揮した戸田は、2023年に新人戦の指揮を執るとチームを全国大会出場に導いた。そして今季、チームの全権を握るヘッドコーチに就任した。

 4月6日に開幕する関東大学サッカーリーグを前に、率直な質問をぶつけた。かつての仲間たちを「使う側」にまわることに葛藤はないのか。時には「使わない」という選択を強いられるかもしれない、と。

「(関係性は)全然、違いますね。今はもう責任感の方が強い。大げさかもしれませんが、彼らの将来を僕が握っているわけじゃないですか。もう生半可な気持ち、中途半端な覚悟では臨めません」

 ヘッドコーチになったことで、孤独感を覚えることもある。でも、仲間たちに明確な線引きをすることで、冷静にチームを見つめることができている。

「今年はアグレッシブなアタッキングフットボールを展開しようという話を選手にはしていますし、僕は僕で思い切って勇敢にやるだけだと思っています」

 世界を見渡せば、30歳前後でトップカテゴリーのクラブを率いる若手監督が現れている。コーチングのプロを目指す上で、戸田のように早くからキャリアを決断するケースは今後も増えていくだろう。21歳の若さでチームの責任を背負う経験は何にも変え難い。

 だが、そんな勇ましい姿にリスペクトの思いを抱きながらも、複雑な表情を浮かべるのは“使われる側”だ。中でも、柏U-15時代から戸田と苦楽を共にしてきた同級生のMF田村蒼生の言葉には、胸を締め付けられた。

〈後編へ続く〉

文=安藤隆人

photograph by Takahito Ando