両手を挙げ、笑顔で森井勇磨(京都陸協)はフィニッシュラインを駆け抜けた。

 はじけるような、心からの笑顔だった。

 市民ランナーの森井が、ワールドマラソンメジャーズの1つ、ボストン・マラソンで自身初のサブ10(2時間10分切り)となる2時間9分59秒で8位入賞を果たした。

 日本人選手の2時間10分切りは1981年に優勝した瀬古利彦以来43年ぶりだっただけでなく、初の海外レースで自己ベスト(2時間14分15秒)を4分以上更新という激走ぶり。パリ五輪のマラソン代表で前日本記録保持者の大迫傑にも先着した。

「10位以内、サブ10という目標を達成できてびっくりしています。日本のエースである大迫選手に勝てたこともものすごく嬉しかったです。本当に100点以上の走りができました」

 疲れを見せず、森井は快活にレースを振り返った。

スタート直後の下り坂から「爆走」

 注目を集めたのはスタート直後のことだ。

 号砲と共に飛び出した森井は、快調にペースを上げていく。

 森井の飛び出しを見たテレビの解説者が「過去の優勝者たちは皆『我慢強さ』を強調していました。スタート直後は少しペースが速くなりがちですが、この辺からは冷静にペースを刻む必要がありますね」と解説するが、それとは裏腹に上下黒のユニフォーム、黄色いキャップの森井はボストン・マラソン名物の下り坂を軽快に下っていく。 

 無謀なのか、計画通りなのか。

 周囲の心配をよそに、沿道からの声援に時々手を挙げるなど森井は楽しそうに足を進める。

 最初の1kmを森井は2分34秒、追いかける集団は13秒差の2分47秒前後で入る。

「さすがにペースが速すぎて、その後の上りでお尻あたりがきつかった」と笑うが、森井のペースに後続集団が刺激されたのか早々とレースが動く。

 優勝したシサイ・レマ(エチオピア)が後続集団を引っ張り、森井を追いかけ4km前後で集団に吸収された。しかしその後も森井はリラックスした様子でレースを進める。

 エントリーの段階で森井の自己ベストは出場選手中29番目で、最も速い記録を持つ2時間1分48秒のレマとは13分もの差があった。それでも、怯む様子は微塵もなかった。世界のトップと肩を並べて走ることを、心から楽しんでいるようにさえ見えた。

「金閣寺の上り坂」で脚力アップ!

 森井はユニークな経歴の持ち主だ。

 京都市出身の33歳で、府立山城高から山梨学院大に進学し、箱根駅伝にも1度出場している。

 その後は実業団2チームで走ったのち、現在は京都陸協に所属し、西京極陸上競技場の運営会社でフルタイムで働きながら練習する市民ランナーだ。

 当然、大学や実業団の時のように朝と夕方の二部練習は難しい。一流ランナーであれば1000kmを超えることも珍しくない月間走行距離も、760kmに留まっている。

「1回ずつ質の高い練習をすれば、走行距離を補うことができます。仕事内容も陸上関連の勤務なので、選手の気持ちなども以前より把握できるようになりました。どう発信し、対応したらいいか『考える力』がついたことも結果的に競技力に結びついています」

 市民ランナーという立場を前向きに捉えているが、苦労はある。

「日程の理由でボストン到着がレース2日前の夕方でした。あと1日、2日早くボストン入りしていたら、動きがどう変わったのだろうとは思います。でもコンディショニングの不安よりも気持ちが勝っていたので、今出せるパフォーマンスができたのは良かったです」

 2月18日の京都マラソンで優勝し、京都市と姉妹都市であるボストン開催の今大会への派遣が決まったため、練習期間は1カ月半と短かかった。それでも8位入賞、サブ10達成には確固とした要因がある。

 出場が決まるとすぐにボストンのコースを確認し、アップダウンに対応できる練習を行った。

「金閣寺のそばにある坂を走った成果が出ました」

 京都の風光明媚な観光名所とマラソン練習というのは、京都市外の人にはなかなか結びつかないが、森井は金閣寺のそばにある「原谷(はらだに)」について力説する。

 調べると金閣寺から桜の名所として知られる原谷苑手前まで高低差が90mほどの2kmの上り坂があるほか、周囲はアップダウンの激しい厳しいコースが多い。

「ジョグやポイント練習やスピードの変化をつけながら走るファルトレクなどを原谷の傾斜のきつい上り坂で行ったのですが、特に今日のレース終盤に効果があったように思います。2週間前のポイント練習でそこで自己ベストが出せたので、絶対にいけるという自信がありました。原谷でやったことが全部出せたと思います」

 金閣寺も原谷もこんな形でお礼をされるとは思っていなかったのではないだろうか。

 とにかく必要な練習を自分で考え、実行する力も森井の強さだろう。

「川内さんができるなら僕もできる」

 またレース展開などをシミュレーションした際には、2018年のボストン・マラソンで優勝した川内優輝から大いに刺激を受けたという。

 2018年の同大会は大寒波に見舞われ、スタート時の気温が5度を下回る寒さと土砂降りという悪天候だった。

 スローペースを嫌う川内はスタートから飛び出し、その後ケニア選手と接戦を繰り広げ、40kmからのロングスパートでレースを制した。

「川内さんはめちゃくちゃなコンディションの中で自分のレースをして優勝した。『自分のレース』をすることが目標に繋がると思ったし、川内さんができるなら僕もできると思いました」

 自分にはできない、アフリカ選手よりも自己ベストが遅いから……と相手のペースで走るのではなく、自信を持って臨んだ結果のスタートからの飛び出しだったのだ。

30kmから「ますます元気が出た」

 森井は「自分のレースを心がけた」と話すように自分のペースを守った。13km前後で第2集団にいた大迫に追いつかれると、そこから30km前後まで並走する。

「大会記録を狙っていた」と5km以降独走したレマはハーフ地点を60分19秒で、森井と大迫は16位前後の64分05秒で通過する。

 ボストンは25kmすぎから34kmまでアップダウンが続く厳しいコースで、そこでペースダウンする選手も多い。

「上りはあまり苦にならなかったし、大迫選手よりも僕の方がいい感じで走れていた」と疲労が出る後半も軽快だった。

 言葉通り、30km以降に大迫を振り切り、さらに前を追いかけた。

「前の選手との差も詰まってきて、『これはチャンスがある』と思って、むしろどんどん元気が出ました」と笑顔で飄々と振り返る。

 落ちてくる選手を次々と躱し、35kmでは12位、40kmでは10位まで順位を上げたが、圧巻だったのは最後の2.195kmだ。

 ほとんどの選手がペースを大きく落とす中、森井はトップ10入りした選手中2番目となる6分47秒で、さらに順位も2つ上げて8位でフィニッシュラインを駆け抜けた。

 まさに「100点満点」のレースだった。

 初の海外マラソンで8位入賞、そして市民ランナーというユニークな経歴により、今後、海外マラソン出場への扉が開くだろう。

「ペースメーカーがいてパターン化されるレースよりは、ボストンやニューヨークのような勝負する、サバイバルレースを走ってみたいです」

 夢は広がるばかりだ。

 京都から世界へ。

「市民ランナー」森井の次の挑戦にもぜひ注目してほしい。

文=及川彩子

photograph by JIJI PRESS