一流アスリートの親はどう“天才”を育てたのか――NumberWeb特集『アスリート親子論』では、さまざまな競技で活躍するアスリートの原点に迫った記事を配信中。本稿では、あの吉田沙保里さんを超える「公式戦133連勝」をマークしているレスリング日本代表・藤波朱理(20歳)の父・俊一さんのインタビューをお届けします。「決して強制はしない」「娘から学ぶことも多い」――パリオリンピックで金メダルの大本命と目される“最強の愛娘”の才能を引き出した、現代的な親子関係に迫りました。(全2回の2回目/前編へ)

育てたのは娘だけではなく…レスリング界の名伯楽

 ここ数年でレスリング強豪校の勢力図は大きく変わりつつある。今夏のパリオリンピックのレスリングにスポットを当ててみると、日本体育大から女子選手として初めて藤波朱理が出場する。同大の男子レスリングの歴史は古く、1949年の創部より70年以上の歴史を誇る。オリンピックでも1964年の東京大会でOBの花原勉が金メダルを獲得して以来、数多くのメダリストを輩出してきた。

 そんな名門の歴史に、朱理は新たに自らの名を刻もうとしている。ここまでレスラーとしての朱理を育てたのは父親でもある藤波俊一さんだ。現役時代は国体で優勝するなどの実績を残し、引退後は三重県でいなべ総合学園高校の教員を務めながら部活やクラブでレスリングを教えていた。現在は同校の外部コーチとして指導を続ける傍ら、娘が通う日本体育大の女子レスリングのコーチを務めている。

 俊一さんの指導を受けて世界に羽ばたく選手は朱理だけではない。2017年の世界選手権の男子フリースタイル57kg級で優勝し東京五輪で日本代表になった高橋侑希、同選手権男子フリースタイル70kg級で銅メダルを獲得した長男の藤波勇飛、先日キルギスで行なわれたアジア選手権で優勝した男子フリースタイル57kg級の弓矢健人、一昨年の世界選手権男子フリー70kg級を制した成國大志も、いなべ総合学園高校の出身だ。

「まさかフォールするとは…」父も驚いた急成長

 勝負には実力とともに運やタイミングも必要になる。朱理にとっては、高校2年生で初出場した2020年の全日本選手権がまさにそうだった。俊一さんが内幕を明かす。

「高1のときにインターハイで優勝していたけど、全日本の中では序列が下。枠は8名だったので、申し込んだ時点では出られるかどうかわからなかったんですよ」

 翌年への延期が決まっていた東京オリンピックに出場する向田(現・志土地)真優は不出場を表明していたが、同級の元世界王者の奥野春菜、前年の世界選手権55kg級で準優勝の実績を持つ入江ななみは出場する可能性が高かった。

 藤波親子も当初は、五輪階級の53kg級と非五輪階級でひとつ上の55kg級で迷っていた。どちらがベストな選択になるのか――俊一さんは誰がエントリーするのか、緻密な予想を立てながら勝負に出た。

「55kg級だとたぶん枠に入れるけど、53kg級だとギリギリだった。それでも53kg級にエントリーしました。9番目だったらアウトだったけど、8番目に入りました」

 試練は続く。初戦の相手は優勝候補の奥野だった。すでに強化合宿では奥野と当たる機会もあり、その内容を聞く限り勝機は十分にあると睨んでいた。結果は朱理のフォール勝ち。その瞬間、場内は大きなどよめきに包まれた。俊一さんにとってはうれしい誤算だった。

「最初から勝つつもりだったけど、まさかフォールするとは思いませんでした」

 その勢いで朱理は決勝でマークしていた入江も下し、全試合無失点で優勝を果たした。さらに翌21年6月の全日本選抜選手権でも奥野と入江を返り討ちにして優勝を飾り、世界選手権への切符を手にした。俊一さんは「シニアの世界でも絶対に優勝できる」と予想していた。

「この年は延期になったオリンピックが2カ月前に行なわれていたので、強い選手はそんなに出ていない。それでも、世代交代のチャンスだと思いました。さすがに試合内容までは予想できなかったですけどね」

「性格的にはマスコミに注目してもらいたいタイプ」

 初めてのシニアの世界の舞台で、朱理は圧巻の強さを見せつけた。初戦から決勝まで全試合テクニカルフォール(現テクニカルスペリオリティー)勝ち。フォールならまぐれもあるが、得点差による「コールド勝ち」は実力差がないとできない。その意味でもセンセーショナルな世界デビューだった。

 筆者はこの大会を現場で取材しているが、朱理が緊張している素振りを微塵も感じさせなかったことを覚えている。大舞台でもまったく物おじしない性格なのだ。

 いみじくも俊一さんは言う。

「性格的にはマスコミに注目してもらいたいタイプ。記者に囲まれる方が喜んでいる」

 初の世界選手権での衝撃は続く。ミックスゾーンで筆者が日本語でやりとりしたあと、UWW(世界レスリング連合)の取材が待ち受けていた。通訳は用意されていなかったが、英語での質問を受けるたびに朱理は迷うことなく、よどみない英語を返していたのだ。

 俊一さんは「英語でのやりとりは事前に準備していました」と打ち明ける。

「子供のときからレスリングと英語だけは習わせていました。自分も引率で海外に行く機会があるけど、現地では英語の重要性を痛感します。コミュニケーションがとれなければ、もったいないじゃないですか。世界選手権に行く前に、英語の先生に問答のレクチャーをしっかり受けていました。最初から本人も優勝する気でいたんでしょうね」

“ともに学んでいく”親子の関係性

 俊一さんは朱理にこんなことを言ったことがある。「今まで誰もやっていないことをやろうぜ」。とはいえ、全てが順風満帆というわけではない。今春には練習中に右ヒジを脱臼。その影響で4月のアジア選手権は辞退することになってしまった。一昨年の世界選手権前にも、足の甲を負傷して出場できなかった。常に全力で練習するタイプだけに、無事是名馬というわけにはいかないのだ。

 ケガをしたあとの復帰までの道のりは、ふたりで話し合いながら決めている。朱理とのやりとりで、俊一さんは自分が未熟者だと感じさせられるときがあるという。

「ケガをしたときも不安をあまり表に出さない子なので、大したものだと思います。むしろ自分の方が不安になって、一緒に車に乗っているときにため息をついたりしている。僕の方からプレッシャーをかけてしまっているのかもしれない。サポートしなければならない立場なのに、逆に学ばせてもらっていますね」

 減量期や試合直前など朱里がピリピリしているときには、自分が“当たられ役”でもいいとも思っている。全てはオリンピックのために。

「去年の世界選手権でアップしているときも、僕が計っている時間がちょっとでも遅れたら怒られました。普段はそうでもないんですけどね(笑)」

 かつてスポーツの親子鷹といえば、漫画『巨人の星』に出てくる父・星一徹と息子・星飛雄馬のような、時には鉄拳制裁も辞さないような苛烈な親子関係が鉄板だった。時代は変わる。いまは藤波親子のように、“ともに学んでいく”関係性が求められる時代なのか。

<前編から続く>

文=布施鋼治

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