今年4月、「第64代横綱」として貴乃花や若乃花の“若貴”らとともに平成初期の相撲ブームを牽引した曙太郎さんが亡くなった。曙さんと同じく1988年(昭和63年)3月場所に初土俵を踏んだ力士たちは、若貴をはじめ後の関取経験者も多く「花の六三組」と呼ばれた。そんな黄金世代の同期力士がいま振り返る、「六三組」の絆とは。<前後編の後編/前編から読む>

 曙や若貴兄弟など逸材揃いと目された「花の六三組」だが、デビューから3年後には、同期95人のうち半数近い45人が角界を去っている。これも勝負の世界の厳しい現実だ。

 初土俵を踏んだ力士はまず本名で相撲を取り、番付が上がってくると、郷土に由来する四股名を与えられることが多い。だが、序ノ口、序二段で足踏みするような力士は四股名ももらえないまま引退していくことになる。

「六三組」の1人で、押尾川部屋の力士(元幕下・若隆盛)だった古市満朝氏(大阪府出身、51歳)はかつての喧騒をこう振り返る。

「いまでも同期の間で話題に上るのが、九重部屋に入門したIとCです。2人はそれぞれ16歳、19歳のとき亡くなってしまったんです。でも当時、その件について大きく報道されることはなかったと記憶しています」

「六三組」デビュー当時の九重部屋(師匠は元横綱・北の富士)は千代の富士、北勝海の2横綱を擁する全盛期。福井県出身のIは初土俵からわずか半年後、巡業先の松山で浴衣の帯で首を吊り、自殺を遂げた。

「当時、九重部屋のある部屋付き親方のロレックスがなくなるという事件があり、有望力士だった16歳のIは疑いをかけられ苦にしていた。19歳のCは、1990年の名古屋場所の千秋楽の翌日に“心不全”で急死しました。部屋のなかで何か問題があったと聞きましたが、この噂もやがて立ち消えになりました」

 若貴フィーバーの陰で、同期の力士たちが悲劇的な死を遂げていたことはほとんど知られていない。

 いまでこそ相撲協会にコンプライアンス委員会が設置され、暴力根絶の方針が打ち出されているが、当時はまだ相撲部屋に「悪しき伝統」も残存していた時代だった。

大スターの貴花田から受けた「説教」

「六三組」のなかで、もっとも早い十両昇進を果たしたのは貴花田(当時)である。デビューからわずか1年半、1989年9月場所で幕下優勝(7戦全勝)を飾り、早くも関取の仲間入りを果たした。

「貴花田が幕内に昇進したころ、巡業先の佐賀の宿舎で、2人で話したことがありました」

 当時、すでに角界一の人気者となっていた貴花田を一目見ようと、多くのファンが宿舎に押しかけていた。

「お前何やコラ、ここに貴花田はおらんぞ」――集まってくる野次馬たちを古市氏が追い払っていたところ、それを見咎めた貴花田が、古市氏を宿舎の奥の飲食スペースに呼び出したという。

「貴花田からは『あのさあ古市。いつまでも、いつまでも、ヤンキーみたいなことしてたらダメだよ!』と説教されました。当時、お互いにまだ10代でしたが、貴花田はすでに大スター、僕は三段目と番付では大きく差がついていた。それでも当時は気軽に話ができる間柄でしたから、相撲界における同期の絆には、特別の重みがあったように思います」

 若貴兄弟は、父が成し得なかった「横綱昇進」の夢をともに実現し、相撲界に一時代を築いた。その一方で、兄弟の深刻な不仲が取りざたされ、一家の断絶が報じられるなど、私生活上のスキャンダルが途絶えることはなかった。

「お兄ちゃん」の若乃花は現役引退後、すぐに相撲協会を退職。貴乃花は親方となり、若くして相撲協会の理事もつとめたが、弟子が受けた暴行事件などをめぐり協会執行部との軋轢を深め、2018年に協会を去った。

「貴乃花に対する評価はいろいろあると思いますが、僕自身は尊敬していました」

 古市氏は押尾川部屋時代、「白いウルフ」と呼ばれた元関脇・益荒雄(後の阿武松親方)の付け人だった。古市氏はそんな兄弟子が、上位力士を倒していく姿に憧れていたという。

「親方時代の貴乃花を阿武松親方(益荒雄)は最後まで支え続けた。“変人どうしでウマが合うんだろう”と揶揄する向きもありましたが、その信頼関係は、2人の信念に貫かれていたものでした。将来の理事長候補だった貴乃花が協会を退職したとき、『六三組』の歴史は事実上、終わったような気がします」

貴乃花親方(当時)も「仲間がいるのは嬉しいですね」

 いまから11年前の2013年、あるドキュメンタリー番組が放送された。『土俵探し 今なお 大相撲 昭和63年春組』(NHK)と題されたその番組には、在りし日の曙や相撲協会の現役理事だった貴乃花らが登場(※若乃花は登場せず)。「六三会」メンバーが経営していた名古屋のちゃんこ店に総勢19人が集まり、盛大な同窓会が開かれた。

 貴乃花親方(当時)はこんな「近況報告」をしている。

<え〜貴花田です。相撲部屋やってます>

 すると、名もなきメンバーから「え? マジですか?」と軽妙な突っ込みが入り、照れくさそうに満面の笑みを浮かべる貴乃花。25年前、同じ目標を夢見て横一線のスタートラインに立った青春群像の主人公は、永遠に「貴花田」なのである。

 貴乃花は番組でこう語っていた。

<仲間がいるのは嬉しいですね。苦しいときを過ごしてきましたので、話さなくても分かってもらえますから……>

 相撲界で9年間の現役生活を送った古市氏が語る。

「1本のレールがやがて分岐を迎えるように、人生も結局は、自分だけの道を歩くことになるのだと思います。たとえ相撲界を離れても、メンバーそれぞれの記憶のなかで“六三組”は生き続けるのでしょう」

 大相撲“史上最強”と呼ばれた「花の六三組」の物語は、まだ終わっていない。

文=欠端大林

photograph by (L)JIJI PRESS、(R)Hiroki Kakehata