「中年カップルのペアルックや手繋ぎ」と題する女性からの投稿が、掲示板サイト「発言小町」に寄せられました。40代後半のトピ主さんは、50代前半の恋人と3年間交際しています。2人はペアルックで出かけるのが好きで、腕を組んだり、手をつないだりして歩くことも多いそうです。たまに道行く人から凝視されることがあり、先日は偶然会った友人に「いい年して恥ずかしくないの?」とあきれた口調で言われたのだとか。ショックを受けたトピ主さんは、「中年カップルがペアルックで、しかも手までつないで歩いているのを見ると、やはり違和感がありますか?」と問いかけています。

普段は「おのおのの考え方の違いなので、どう言われても『好きで着ているんだから』と思っている」というトピ主さん。しかし、今回の友人の一言で「周りの方の目も気にしないといけないかなと思い始めた」とつづっています。

日本は、社会的な秩序や「他人に迷惑をかけないこと」を非常に重んじる国ですよね。迷惑をかけていなくても、目立つことによる無用な攻撃を避けるために、先んじて目立たない身なりや振る舞いを選択する人もいます。広く世界を見渡せば、他人に迷惑をかけないことよりも個人の自由を尊重する国はありますし、欧米のような“カップル社会”との違いを考えると、今回のお悩みはお国柄ゆえ、という側面はあるのでしょう。

こういった日本の社会を窮屈に感じ、「他人のことを気にしすぎるのをやめて、お互いもうちょっと自由に生きようよ」と思っている人は、トピ主さん以外にも大勢いると思います。一方で、個々の自由な振る舞いを尊重してくれる国の社会はいいことずくめなのかというと、必ずしもそうとは言えない気がします。過度に人に気を使って行動する人が少ない分、強い主張が必要になったり、時に迷惑を被ったりすることも許容する必要があるからです。

「どちらの社会が居心地いいか」は人それぞれ違うと思いますが、物事には必ず一長一短があるもの。「ちょっと窮屈だけど、こういう社会にいて、自分たちも恩恵を受けている部分があるのかも?」といった視点を持っておくと、少しだけ世の中の見え方が変わってくるように思いました。

トピ主さんの彼氏は、自分たちを批判した友人について「(自分たちのことが)きっと羨ましいんじゃないかな」と言っていたそうですね。トピ主さんも、その友人は夫婦仲があまり良くないようだ、と追記しています。

その友人だけでなく、トピ主さんたちも「相手をさげすむことで自分の価値観を正当化する」という方法を選択しており、それは攻撃を受けた際の現実的な対処法の一つなのかもしれません。ただ、より賢明な方法を考えるとすれば、「『人の幸せを喜ぶ』という行為は、実はそう簡単なことではない」という視点を持ってみるのがおすすめです。

このテーマについては、東南アジアを中心に根付いている「上座部仏教」の教えがヒントになると思います。人間はもともと嫉妬やエゴなどの感情を持っており、“人の幸せを本気で願うことができる心”を手に入れるのは、そう簡単ではない。だからこそ、お坊さんたちは長年修行をして、エゴを上手に消し去って心を広げていく訓練をし、最終的には自分や他人の枠を超えて、「生きとし生けるものが幸せでありますように」という境地に至ることを目指すそうです。

確かに、世の中が「自分の幸せと同じくらい、他人の幸せを願い喜べる人」ばかりだったら、戦争や社会問題の大半は起こらないでしょう。自分と関係のない人の幸せは喜べても、友人など身近な人の幸せには嫉妬してしまう(その逆もしかり)、といった人もいるかと思います。

誰かの幸せそうな様子を見て、「幸せでいいね」と受け止めることは、少なくない人にとって簡単ではない。だから、幸せそうな人を目にすると感情を乱され、時に攻撃までしてくる人がいるのだな――。こうした人の心のありようについて理解を深めることも、今回のお悩みを考えるにあたって役立つと思います。「人の心がそういうものなら、こういう時にはこうしたほうがいいな」と柔軟に考えられるようになり、トピ主さんがいる環境の中で、できるだけ自由に振る舞うための知恵が得られるかもしれません。

のちの投稿で、「(今後も)曲げずにおそろいの服は着ますし、手もつなぎますし、腕も組みます」と決意を記しているトピ主さん。寄せられた賛否両論を受け止めつつ、「中年カップルを好意的に見てくれる世の中になってほしい」といった願いもつづられています。

上述した仏教の教えの中に、こんな言葉がありました。「他人を嫌う人の心は、小さな殻の中に縮こまっています。(中略)小さな殻に籠っている人には『私を嫌う自由』を与えてあげる。関係の中で自由を与えてあげると、その人はほっとして安心して、すごくいい気分になります。いい気分になって、心がやわらかくなって、結局は自分で自分の殻を破りはじめるのです」(引用:アルボムッレ・スマナサーラ著「ブッダ―大人になる道」)

今回の件でも「彼らにも自分たちを好意的に見ない自由がある」と考えてみるのは一案かと思います。そうすることで敵対心を収めることができ、トピ主さん自身の気持ちがラクになるはず。「自分たちがどう振る舞うか」の自由を尊重しつつ、同じように「人が自分たちをどう思うか」の自由も尊重し、特に共感や賛同を求めることもなくニコニコしている――。そんなカップルでいられたら、周りの人の気持ちが自然に変化し、結果的に2人を取り巻く状況も好転していくこともあるのではと思いました。応援しています。(フリーライター 外山ゆひら)