平安時代に詠まれた和歌をみてみると、今では驚くような「平安貴族の恋愛模様」が浮かび上がってきます。貴族が好んだ「におい」や「下着」へのフェティシズムとは? 歴史書には載っていない平安貴族の裏話を紹介します。

※本稿は、山口博著『悩める平安貴族たち』(PHP新書)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

【山口博(やまぐち・ひろし)】
1932年、東京生まれ。東京都立大学大学院博士課程単位取得退学。富山大学・聖徳大学名誉教授、元新潟大学教授。文学博士。カルチャースクールでの物語性あふれる語り口に定評がある。著書に、『王朝歌檀の研究』(桜楓社)、『王朝貴族物語』(講談社現代新書)、『平安貴族のシルクロード』(角川選書)、『こんなにも面白い日本の古典』(角川ソフィア文庫)、『創られたスサノオ神話』(中公叢書)、『こんなにも面白い万葉集』(PHP研究所)などがある。


宮廷に干された「汗はじき」

宮廷の女の部屋を局というが、多くは一部屋ずつ仕切る壁はなく、カーテンのような几帳や屏風などで室内や廊下を仕切った空間である。

そのような局に汗まみれの肌着が干してあれば、興ざめの風景だ。文人・歌人として著名であり、従四位下に至った藤原輔尹(すけただ)が、夏の暑さの中、宮廷の局の前を通りかかると、何と、夏に汗取りのために着る「汗はじき」という肌着が干してあるではないか。

もちろん局だから女の肌着だ。輔尹は今脱ぎ捨てたかのように息衝いている肌着の汗の体臭から、男女の戯れ合う姿を想像した。そこで歌を詠み、局の中に投げ入れた。


睦まじき夏の衣を脱ぎ捨てて いと戯れ難き汗はじきかな
(睦みあって汗だらけになり、汗臭くなった汗はじきを脱ぎ捨てて干してあるとは。夏は暑くて戯れ難いのだろうね)

藤原輔尹(『実方(さねかた)中将集』)

輔尹は女の返歌があるかと思っていたのだろうが、投げ返されてきたのは、藤原実方の歌だった。


古(いにしえ)の真間(まま)の手児良(てこら)が織り布も 曝(さら)せばさるるものにやはあらぬ 
(昔、下総《千葉県北部と茨城県南西部》の美少女真間の手児名《てこな》が織ったという粗末な布も、水に曝せば綺麗な布になるもの。汗だらけの臭い布だって、水に曝せば綺麗になるのではないですか)

藤原実方(『実方中将集』)

万葉歌人山部赤人(やまべのあかひと)が下総を訪れて「真間の手児名」を詠んでおり、「東国語で『ままのてご』という」とある。手児良は手児名のことである。真間は入江のほとりなので、織った布を海水で曝したのだろう。

輔尹が「戯れ難き」と詠んだのを、実方は「曝す」の意味を掛けて「さるる」と言ったのか。暑い中、女と戯れ合っていたのは、実方だったのだ。女の名は分からないが、『実方中将集』には清少納言、平安中期の名歌人である女房小大君(こおおきみ)など多くの女の名が見られる。

実方は十世紀末の歌人で、位は正四位下に至り、才気煥発、魅力ある社交術を身に付けていた。その上ハンサムで女にもてて、光源氏のモデル説もある。

しかし、正四位下相当の近衛中将でありながら、従五位下相当の陸奥(東北地方)守として左遷され、赴任地で落馬して非業の死を遂げた。

左遷の理由は藤原行成(ゆきなり)と和歌について口論になり、実方が行成の冠を投げ捨てたので天皇の怒りを買い、天皇から「歌の名所である歌枕を見て参れ」と陸奥に左遷を命じられたという。冠を取られるということは男には恥辱甚だしく、病床で見舞い客に会う時にも冠を被ったというほどだ。


「におい」はフェティシズムか、恋の終わりか

次は、枕は枕でも歌枕ではなく本物の枕の話。小大君の局に、男と共に使用した枕があり、垢が付いて臭かった。そこで、


しきしまやおどろの髪に馴らされて 積もれる香こそくさまくらなれ
(枕を敷いて共寝をしている間に乱れた髪に馴らされて、髪の臭いが積もり積もって臭い枕になったわ)

小大君(『小大君集』)

と歌った。第五句の「くさまくら」がいい。旅寝の「草枕」に「臭枕」を掛けている。「積もれる香」は特定の男の臭いが積もったのか。それとも複数の男の香か。臭いを嗅ぎながら男を偲んでいるのか、鼻をつまんでいるのか。

今度は頭の枕から下がって足の臭い靴下(襪《しとうず》)の話。十世紀前半のある年の正月、某女が寺に参籠したところ、隣の部屋に愛人らしき男の気配がする。明け方、男は帰ったが、部屋の中に汚い靴下を残していった。女はその靴下を持ち帰り、歌を添えて男に送った。


あしのうらのいと汚くも見ゆるかな 波は寄りても洗はざりけり
(芦の生えている浦は、波が寄せても洗われずにゴミが絡まったりして汚いように、貴方の靴下は女が近くに居ても、その女は洗わないらしく、汚いわ)

よみ人知らず(『後撰和歌集』雑四)

「芦の浦」に「足の裏」を掛けている。形式も内容も軽妙洒脱、勅撰和歌集撰者も靴下の臭いに惑わされ、採択したのだろうか。

わざわざ男のいた部屋を覗いたのは、男に未練があり、せめてその残り香をという気持ちだったのだろうが、残り香などとんでもなく、思わず顔をそむけ鼻をつまんだ。

臭い靴下では100年の恋も覚める。臭い靴下が縁の切れ目、女はこれで恋も終わりと言いたかったのか。いや、靴下の臭いに男の体臭を感じたのか。どちらにしても、男の汚い靴下を持ち帰るなんて、どこか異常だ。                                                                                    

汗の臭いの沁み込んだ女の肌着に惹かれる男、臭い枕や汚い靴下に男の体臭を感じる女、日常的に香を薫き染め、物語には薫君や匂宮を登場させるほど、臭覚の発達していた王朝人の、これはまた王朝フェティシズムというべきか。

素性(そせい)法師が歌った歌も、匂いを敏感に感じる王朝人ならではの歌だ。


主(ぬし)知らぬ香(か)こそ匂へれ秋の野に 誰(た)が脱ぎ掛けし藤袴(ふじばかま)ぞも 
(野原でプーンと匂いがし、藤色の袴が脱ぎ捨ててあるが、誰のだろう)

素性(『古今和歌集』秋上)

まさか袴を脱いで野糞? いやいやとんでもない。「にほへれ」は「臭へれ」ではなく「匂へれ」、「藤袴」は着物の袴ではなく秋の七草のフジバカマ。野原にフジバカマの匂いが漂う様を、誰が袴を草の上に掛けたのだろうと、面白おかしく歌ったものだ。