人生100年時代を生きるビジネスパーソンは、ロールモデルのない働き方や生き方を求められ、様々な悩みや不安を抱えている。

本記事では、激動の時代を生き抜くヒントとして、松下幸之助の言葉から、その思考に迫る。グローバル企業パナソニックを一代で築き上げた敏腕経営者の生き方、考え方とは?

【松下幸之助(まつしたこうのすけ)】
1894年生まれ。9歳で商売の世界に入り、苦労を重ね、パナソニック(旧松下電器産業)グループを創業する。1946年、PHP研究所を創設。89年、94歳で没。

※本稿は、『THE21』2022年12月号に掲載された「松下幸之助の順境よし、逆境さらによし〜人間は万物の王者である」を一部編集したものです。


「自分探し」の時代に松下幸之助が提示した「人間観」

「人間なんて ラララ ラララララ」

繰り返されるフレーズ。熱狂する長髪の若者たち。1971年夏、現在の岐阜県中津川市で開催された野外フェス「全日本フォークジャンボリー」で、デビュー間もない吉田拓郎さんが、作詞・作曲を手掛けた『人間なんて』を一時間以上にわたって歌い続けた。サブステージでの演奏だったものの、今では伝説のライブと言われている。

「何かが欲しい オイラ それが何だかは わからない だけど 何かが たりないよ」

そう続く歌詞は、心が満たされない当時の若者の内面を表現したのだろうか。経済優先・学歴優先の社会にあって人生の成功経路が単線化する中、多くの若者は多様な人生のあり方を求め、自分探しをしつつも不安を抱えていた。「生きがい」という言葉が流行した時代である。

翌72年、こうした人間の生き方を悲観的にみる風潮に抗うかのように、松下幸之助は「人間は万物の王者である」と、人間を全面肯定する本を出版した。

題名は『人間を考える──新しい人間観の提唱』(PHP研究所)。幸之助自身、最も力を入れた本であると述べている。今回は刊行50年を機に、現代のビジネスパーソンにとって本書の持つ意義を考えてみたい。


「崇高にして偉大な存在」の人間がなぜ相争うのか

とはいえ、『人間を考える』は、いわゆる"ビジネス書"ではない。人間観についての書である。その目次には、「人間」「宇宙」「天命」などの言葉が並び、哲学書か思想書にみえる。通常の幸之助の著作とは異なり、仕事や経営などの具体的なやり方に関する記述がほとんど見当たらない。

そのためか、出版当時の世間の反応は正直なところ、大きいとはいえなかった。ただ、幸之助が築き上げた松下電器産業(現パナソニックグループ)社内では、多くの職場で本書の勉強会が開かれたという。

もっとも、勉強会でもしなければ、容易に内容の理解できない本である。難解な理由は、学術書のように抽象的な概念を駆使しているからではなく、幸之助の独特の世界観による。

初めて本書を読む人は、幸之助がまず人間を、「万物の王者」「崇高にして偉大な存在」と断言していることに戸惑いを覚えるだろう。幸之助によると、人間は「万物の王者」や「偉大な存在」たることを自覚していれば、戦争はむろん、些細な争いに明け暮れることなく、繁栄・平和・幸福の実現に注力するはずだという。

幸之助が人間観の探究を始めたきっかけは、戦争の不条理だった。万物の霊長と言われる人間同士が相争うことに疑問を覚え、人間の本来の役割や使命を考え抜く。

人間を「万物の王者である」と表現したのは、この世を繁栄・平和・幸福の実現に導く責務を人間に求めたからだ。人間には優れた資質が備わっているがゆえに、この世におけるその役割はそれだけ重たいと見なしたのである。「王者」とは、人間が暴君として、この世を制覇するという意味ではない。

幸之助は本書の中で、「自然の理法」という言葉を繰り返し用いた。「王者」であっても、この「理法」には従わねばならない。幸之助いわく、宇宙の生成発展は自然の理法である。その生成発展の過程において、地球が誕生し、人間が出現した。そして人間は、この地球上での生成発展、つまり繁栄・平和・幸福の実現の役割を担っているというのだ。

このように考える幸之助にとって、「生きがいが見つからない」という若者の悩みは本来、あり得ないことだった。人間誰しも例外なく、生成発展の一翼を担っているからだ。

こうした見方は、幸之助の宇宙観が前提とされているのではないかと批判する向きもあるだろう。けれども幸之助自身にとっては、個々の社員の長所や持ち味を信じて経営を続けていくうちに、会社が成長して社会に貢献できるようになった実際の経験は大きかったはずだ。

人間は本来、互いに良き面を活かし合えば、この世の生成発展に寄与することが真理であると確信したのである。


「万物の王者」も一人の力には限界がある...だから衆知を集めることが大事

幸之助は、「人間は万物の王者である」と訴える半面、個々の人間の知恵や知識には限界があると主張した。実際、自社の社員に対してもたびたび、小さな人知にとらわれることを戒めた。自分の能力を過信するのは危ないのだと。

しかし同時に、個々それぞれには必ず、何かしらの優れた一面が備わっていることも併せて強調した。人間の個々の特性はそれぞれ、宇宙の生成発展のために天から与えられたものだと見なし、そもそも無用な人間など存在するはずがないと考えたのである。ならば、人間の多様性を活かし、衆知を集めることで、生成発展を推進する大きな力が発揮されると訴えた。

よく幸之助は「人を大事にする経営者」と言われるが、それは雇用の保障や教育熱心といった次元にとどまるのではなく、以上のような人間観が根底にあることを強調しておきたい。

社員にとって会社は単に労働力を提供する場ではなく、自分の持ち味を発揮することで「生きがい」を見いだす場であるというのだ。だから会社側も、社員の能力が発揮できるように、適材適所に配置すべきだと強調した。人間本位の経営である。

『人間を考える』は当初、特段の大きな反響を呼んだわけではなかったが、徐々に読者が増え、刊行から50年たった現在、文庫版などを含めて発行部数は20万部を超えている。世界が暗い雰囲気に包まれている今だからこそ、あらためて本書を通じて、私たち人間の役割や使命を考えてみてはどうだろうか。