現代では老若男女問わず、メンタルに問題を抱えている人が増えています。周囲と自分を比較して自信を失ったり、不安を抱えてしまうことが原因の1つとなっているのです。不安やストレスに振り回されず、強い心を持つにはどうしたらいいのでしょうか。僧侶の大愚元勝さんが語ります。


メンタル疾患を抱える若者が増えている?

厚生労働省が行った調査によると、メンタル疾患を抱える人々が、過去15年間で約1.6倍に増えていると言います。

東洋経済ONLINEが東邦大学医学部精神神経医学講座教授の水野雅文医師に取材したところによると、精神疾患を持つ方の半数は10代半ばまでに発症しており、全体の約7割は20代半ばまでに発症しているそうです。

私はYouTubeで『一問一答』というお悩み相談番組を配信しているのですが、そこには毎日のように、学校に行けなくなってしまった、会社にいけなくなってしまったという、若い世代からの悲痛な叫びが届きます。

このような現状に対して何かできないかと考えた私は、5年前から自身が住職を務める愛知県小牧市にある福厳寺にて、「内弟子道場」と称して2年の期間設定をし、修行を希望する若者の受け入れを始めました。

門を叩く若者たちは、「お寺の子」ではありません。実家のお寺を継ぐために、僧侶の資格を取るために修行に来るわけではありません。「弱い自分を何とかしたい」と、自分を変えるためにやってきています。

ものすごく人生で困っている訳ではない、でも何となく日々「自分は何のために生きているのだろうか」「自分の人生はこのままでいいのだろうか」「自分の将来はどうなってしまうのだろうか」などと思い悩む。でもどうすればいいかわからない。何をすればいいのかが分からない。

「社会」という壁、「自分」という壁に突き当たり、葛藤を抱えた若者たちが福厳寺の門を叩くのです。

心を病んで学校や会社を去る若者が増えている一方で、何とかして自分を克服したい、どうにかして強く生きたいと願って行動を起こす若者もいるのです。

そしてこのような願いを持つのは、決して若い世代だけではないということも分かりました。

内弟子道場を開始してからというもの、20〜30代に限らず、もっと上の年代の人々からも、「短期で受け入れてもらえるならば、少しでも自分と向き合う修業がしたい」と訴える声が続々と届くのです。


他人との比較、自分の理想像との比較で病んでしまう

そこで、年齢を問わず1週間単位で参禅修行に来られる「テンプルステイ」を始めたところ、40代、50代はざらに、60代、70代の方々までもが参禅に訪れるようになったのです。

「自分を変えたい」と集まる参禅者と接していると感じることがあります。

それは、「自分を他人と比べて卑下してしまう人が多い」ということ。

参禅者には日々「作務(さむ)」と呼ばれる、道場内での多様な作業を共に行っていただくのですが、集団の中にあって初めての作業をしたり講義を聞いたりする毎に、すぐに他者と比較をしてしまうのです。

「私は、他の人より劣っている」「自分だけ、あれができない」と落ち込んだり、逆に「自分はあの人よりできる」「この中で一番よく知っている」と思い上がったり、また、一生懸命頑張っているのに「自分が理想とする自分」に近づけないことに葛藤している人も少なくありません。

いちいち他人と比較して自分に優劣をつけ、できない自分を責めたり、他人に嫉妬したりして、身心を疲労させているのです。

けれども実は、こうした他人との比較してしまうというのは本能なのです。なぜならば、私たち人類の祖先はその進化の過程において、生き延びるために群れを作って生活するという生き方を選んだからです。

1人より2人、2人より3人、3人より4人、と数が増えることによって、肉体的には脆弱な人間が厳しいサバンナの中で、助け合って生き延びてきたのです。

しかも、一人一人が全く違った個性を発揮することによって、多様な危機に対応しやすくなります。それがゆえに、人は人の間に生きていく「人間」という生き方を選びました。

けれども、多様な個性が集まるということは、時に突拍子もない、ともすると群れを危険にさらしてしまうような身勝手な行動を取ることもあります。

なので、群れの中にあって、自分のこと以上に他人の行動が気になるようにできており、それが長じて、自分と他人を比較してしまうのです。

また、自分自身の中に理想像を作り出して、現実の自分と理想の自分とのギャップ比較をしてしまうのも、人として当然のことです。

自然界においては、より生きる能力に優れたものが生き延びやすく、異性からも求められやすいこともあって、脳が異常に進化した動物である人間も、より優れた個体になろうとして、理想の自分と現実の自分を比べてしまうのです。

今から2600年近くも昔のインドに、この「比較」という心理を、苦しみの一因として指摘し、そこから解き放つ方法を教えた人がいます。

それがお釈迦様です。

お釈迦様は、私たち人間が他人を見た時に、あらゆる人を瞬時に次の3つに分類する習性があると指摘されました。

その3つとは、①自分より上であるか、②自分より下であるか、③自分と同じくらいか、です。

どうやら私たちは無意識のうちに、人を見るとあらゆる点において、あらゆる場面において、上・下・同に分けて見てしまうのです。

例えば、「この人は私よりも、可愛い・可愛くない・同じくらい」、「この人は私よりも、細い・太い・同じくらい」、「この人は私よりも年収が高い・低い・同じくらい」......。

そうやって常に周囲と自分を比較して、傲慢になったり、落ち込んだり、安心したりしているのです。

仏教では、この自分と他人を比較する心理のことを「慢(まん)」と呼びます。

慢は本能なので、誰にでもあります。しかし、慢が強すぎると、慢にとらわれすぎると、私たちは心を病んでしまうのです。