わが子が学校ではどんな友達と交流しているのか、もし友達に影響されて非行に走ってしまったら...と「子どもの交友関係」に不安を抱いている親御さんは多いものです。しかし、思春期の子どもの交友関係をコントロールするのは"過干渉"だと、児童精神科医のさわさんは語ります。

※本稿は、精神科医さわ著『児童精神科医が「子育てが不安なお母さん」に伝えたい 子どもが本当に思っていること』(日本実業出版社)から一部抜粋・編集したものです。


子どもの交友関係にまで介入するお母さん

あるお母さんは中学生の娘さんの友だち関係が心配で、学校の担任の先生に相談に行ったそうです。娘さんが仲よくしている同級生が髪を茶色く染めて制服を着崩していたので、わが子がそのような友だちに感化されないか心配だったからです。

家に帰ってお母さんは、娘さんに「成績がいい子とだけ仲よくしなさい」と言いました。それを聞いた娘さんは強く反発し、それまでは反抗らしきこともしていなかったのに、一気に反抗期に突入してしまったそうです。

私の母も昔、同じようなことを姉に対してしていました。姉は進学校に進みましたが、金髪で目立っている同級生がいて、姉が仲よくしていたところ、母は学校に電話をかけて、翌年度のクラス分けではその子とクラスを分けるように姉に内緒で先生に依頼したのです。

私は姉からその友人がどんな子か聞いていたので、髪は金髪にしていたけれど、とても性格のいい子だと思っていました。子どもながらに、「母はなんでそんなことするんだろうな。心配なのはわかるけど、少しやりすぎじゃないかな」と思ったことを覚えています。

私の母はとても愛情深い人なので心配で心配でしかたがなかったんだと思います。自分も母親になった今は、母の気持ちも理解できます。けれども、思春期の子どもの交友関係に親が介入することには、児童精神科医としては警鐘を鳴らさざるをえません。

思春期というのは、友だちとの関わりや外の世界を大切にするようになり、徐々に家庭外での自分の世界を広げていく時期です。ですから、親に友だちのことを言われて子どもが反発するというのは、中学生くらいの子どもの正常な精神発達とも言えます。

そうしたなかで、親のこうした行為はやはり過干渉と言わざるをえないと思います。もちろん、基本的には子どものことを思ってやっているはずですし、わが子が悪影響を与えられるのではないかと心配になる気持ちもわからないではありません。

ですが、親が子どもの人間関係や行動を把握してコントロールするなどの過干渉を受け続けると、子どもはどう感じるでしょう?


親に信じてもらえない子どもの悲しさ

もしも、わが子が実際に非行に走ったり、生活態度が極端に悪くなっているなどがあれば、交友関係や行動について本人に聞いてみる必要はあるかもしれません。

しかし、子どもの交友関係を制限したりコントロールしようとするのは、子どもの自立を妨げる行為なのだということを知ってほしいです。

「お母さんは私のことを信じていない」と子どもに思われたら悲しくなりませんか。そのような子どもへの過干渉は、親が「手を貸さなければ、この子はなにもできない」と言っているようなものですから、それを感じた子どもは自信をなくしてしまう可能性もあります。

また、過干渉な親は、わが子が失敗しないように、道からはずれないようにと願って事前にリスクを排除しようとしますが、それでは子ども自身がやっていいこととダメなことを見極めて判断する力や、失敗から立ち直る力を育てていくことはできません。

どの親も、子どもが成長するにつれて自立してほしいと思っているのに、自らの手でその芽を摘んでしまっているとしたら......。


子どもが本音を話せる場づくり

子どもは、自分の話をちゃんと聞いてもらえると思えないと、なかなか本音を口に出してくれません。

不安の強いお母さんは、診察室で子どもの代わりに横から口を出す傾向があり、おそらく学校の先生と話すときも、親せきや知り合いの人と話すときも、とにかくいろいろなシーンで子どもの代わりに答えてしまっているのだと思います。

だから、子どもがなにか自分の話をする場面では、まずは親が黙って、子ども本人が安心して話せるような状況をつくってあげてください。どうしても子どもより先に話したいことがあったら、「お母さんが代わりに話していい?」と、子どもにひと言かけてから話しましょう。

どんなにもどかしく感じても、子どもが話す機会を親が奪ってはいけません。とくに診察室では、その子がなにを感じて、なにを思っているのか、いやいや連れて来られたにしても、どうしてここに来てくれたのかを子ども本人の口から聞きたいのです。

子どもがうまく答えられなかったら恥ずかしいと思うかもしれませんが、まわりの人がどう思うかを気にするより、まずは子どもの声に耳を傾けてください。世間の目よりも、子どもの目を見て、子どもの声を聞いてほしいのです。