【柴田惣一のプロレス現在過去未来】

今年もジュニアの祭典、新日本プロレスの「BEST OF THE SUPER Jr.31」が開戦。新日本戦士を始め、ノアのHAYATA、ニンジャ・マック、ドラゴンゲートのドラゴン・ダイヤ、ROHのブレイク・クリスチャンらが参戦し、白熱のバトルが連日、展開。中盤戦の5・19愛知・名古屋国際会議場大会で、全勝選手がいなくなるなど、過酷なバトルの連続となっている。

決勝戦は6・9大阪城ホール大会。同大会ではIWGP世界ヘビー級王者ジョン・モクスリーに遺恨が重なるEVILが挑戦する大一番を押しのけ、メインイベントで争われることになった。ファンの期待そして注目の証しだろう。

ジュニアの祭典は1988年に「TOP〜」としてスタートし、91年〜93年に開催され、94年からは「BEST〜」と改称され、世紀をまたいで受け継がれている。

88年大会で栄冠を掴んだのは越中詩郎、その後も獣神サンダー・ライガー、金本浩二、4代目タイガーマスク、飯伏幸太、ウィル・オスプレイ、高橋ヒロムら名だたる名選手が、優勝者リストにその名を連ねている。

生涯ジュニアを貫く者、飯伏、オスプレイらのようにヘビー級に転身していく者もいるが、ヘビー級バトルに勝るとも劣らない熱闘がマット史に刻まれ続けている。

思えば、日本マット界の「ジュニア」を確立したのは藤波辰巳(現・辰爾)だった。それまではジュニアヘビー級という概念がなかった日本マット界に、ヘビー級に比べれば小柄ながら、大型選手にはないスピーディーな動きや華麗な空中殺法でファンを魅了し、ジュニアを定着させた功績は大きい。

78年にニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンでWWWF(現・WWE)ジュニアヘビー級王座を獲得。その衝撃たるや「I NEVER GIVE UP 」のセリフと共に、今でも鮮明に思い出す。日本に凱旋するやドラゴン・ブームを巻き起こした。

それまで、スーツ姿の男性ファンが大半を占めていた会場に女性や子どものファンを呼び込んだ。藤波個人を応援するファンクラブがいくつも発足し、黄色い歓声が飛び交うようになった。

藤波に負けじと登場したのが初代タイガーマスク。アニメの人気キャラクターが、81年に現実のマットに出現する。謎のマスクマンがアニメを上回るような動き、ファイトを披露し、一大ブームとなった。その人気、実力は藤波をもしのぐほどで、藤波のヘビー級転向を後押している。

2年にも満たない活躍で、いったん引退したタイガーマスクだが、正体を明かし佐山聡そして初代タイガーマスクとして、今でも大きな影響を与えている。

タイガーマスクの人気に対抗するため、全日本プロレスのジャイアント馬場は、大仁田厚をジュニアの騎士として売り出した。初代の引退後には2代目のタイガーマスク(三沢光晴)を誕生させている。

大仁田や三沢のその後の活躍を踏まえて見ても、初代のインパクトは日本マット史の流れを左右するほどだったと言える。

藤波、タイガーマスクと続き、これまたアニメの世界から飛び出した獣神サンダー・ライガーが大暴れしてきたジュニア。若者が彼らに憧れ、プロレスラーを目指して、プロレス界に入門してきている。

現在は高橋ヒロム、エル・デスペラードらがジュニア界をリード。2人は他団体にも積極的に打って出ており、ジュニア人気は不動のモノとなっている。

今年のジュニアの祭典を制するのは一体誰なのか。目の離せないサバイバルウオーが6・9決戦まで続く。(文中敬称略)