3月は年度末ともあって人事異動や卒業式などの記事が、日付では1日の「ビキニ被ばく70年」、8日の「国際女性デー」、11日の「東日本大震災」に関連した内容も加わり感慨も深まった。同時代を生きる人がどう受け止めているのかと気になる中、2日「こちさが」による「政倫審」緊急アンケート結果が掲載されたことは、生の声を聞くようで胸が熱くなった。

 ふと朝鮮王朝時代に王様に直訴する申聞鼓(シンムンゴ)という太鼓のことが浮かんだ。日本でも古くは大化の改新から、下っては目安箱など民意が政策変更に及ぶという画期的な政治制度があった。「ひろば」はもとより「こちさが」を通して市井の声を紙面に反映させてほしい。

 半面、最近気になることがある。それは用語の使われ方だ。既に日常用語となっている駆け引きや出張も元を正せば軍事用語。広告業界で使用頻度の高いターゲットやキャンペーンもしかり、スポーツにおいても浸透している。「号砲」も「開幕」でよいのではと首をかしげた。

 同時に用語が世相を映し出すと気に掛かったのが、県立大「人への投資の中核」(2日18面)という見出しだった。2月22日に山口祥義知事が説明した提案理由だ。ここまで来たかと「投資」という用語にくぎ付けになった。24日の「司書のつどい」に子どもの本コーナーはまるでビジネス書という記事があった。世の趨勢(すうせい)は経済主導で、人は育むのではなく投資の対象という風潮が少子化の一原因とも受け止められる。

 吉田太郎氏は「心の教育や命の教育は数値化できるものではない」(9日、きょうのことば)と見据えていた。7日の有明抄で「優」は人への百の愛と捉えていた。3月に卒業を迎えた子どもたちが寄せた「みんなの夢」の大多数は「困った人を助けたい」「みんなの役に立ちたい」という優しさに溢れていた。蛇足だが、近代日本経済の父といわれる渋沢栄一が新紙幣の1万円札の顔となる。ちなみに台湾では最高額の紙幣は子どもが印刷されている。卒業生たちの夢がかなう社会の礎が優しさであったなら、介護従事者にも弱者にも未来があってしかり。

 三権分立を推進した江藤新平が没して150年目を迎えた佐賀では、21日に自衛隊駐屯地工事の差し止めを求めた仮処分申請が却下され、記者日記「よぎる」(5日)が甦(よみがえ)った。

 生涯反核を訴えた見崎吉男さんが生前建立した墓の石碑には、大切なのは「波のように何度でも立ち上がったかだ」(2日)と刻まれているという。核の脅威は今も解消されていない。マーシャル諸島、玄海、志賀と海はつながる。有明の沖縄の海に立つ波のように紙面に期待する。

 (うらかわ・ひろこ、佐賀市)