八坂銀行を紹介した1907年〜1918年発行の絵はがき

 八坂甚八(やさかじんぱち)(1853〜1929年)は近代の鳥栖地域の発展に大きな貢献をした人物で、以前紹介した八坂牧場をはじめ、銀行や運輸会社などを設立し、地域の開発に取り組みました。

 甚八は1897(明治30)年に貴族院議員に選出されると、佐賀県農工銀行設立準備委員に任命されました。地域の発展に金融業が欠かせないと考えた甚八は1900(明治33)年12月5日、株式会社八坂銀行を設立し頭取に就任します。資本金は15万円で、轟木村大字鳥栖74番地に本店が置かれました。25年発行の『鳥栖商工案内』では、現在の鳥栖市秋葉町に鎮座する秋葉神社南側に本店があったことが記されています。

 八坂銀行は鳥栖地域で初めての銀行であり、地元の人々の歓迎のなか米穀や農産物を主な融資対象として業績を伸ばしていき、鳥栖の南隣である福岡県久留米市に支店・派出所を開設、倉庫業も兼営するなど業務を拡大していきました。

 しかし、第1次世界大戦後の不況により業績が厳しくなり、27(昭和2)年に制定された銀行法で他業兼営が禁止されると倉庫業を営むことができなくなり経営が悪化。そのため、28年7月23日の株主総会で銀行の解散を決議し、同年10月に大阪府の山口銀行(のちの三和銀行)に営業が譲渡され、地域発展のための重要な金融業は引き継がれていきました。(地域リポーター・田中健一=鳥栖市儀徳町)