中国の東北部から来日、東京・上野で飲食チェーンを成功させた宝島竜太郎さん(55)と妻の幸子さん(56)夫妻が殺害され、焼かれた遺体が栃木県那須町で見つかった殺人・死体遺棄・死体損壊事件。未曾有の猟奇的事件を企図して首謀したとみられるのは、夫妻の長女の内縁の夫であり、飲食チェーンの番頭的存在だった関根誠端容疑者(32)だ。

全身刺青の一見コワモテだがイケメンかつオシャレな着道楽。外車好きで話術にも長けており、女性にある種の魅力を放つタイプであったという。金に異常なまでに執着する男が、典型的な「女喰い」でのしあがっていった過程を、古くからの友人Z氏が証言した。

「姉と母親にあげるからこの洋服もらっていい?」

関根容疑者は台東区に生まれ、小学生時代に両親が離婚してからは母と姉とともに江東区内のマンションで暮らした。中学は文京区内の公立校、高校は渋谷区内の国際教育に力を入れる私立校を卒業し、専門学校に進んでいる。

「セイハ(誠端)の家庭環境は複雑ではあったと思います。お母さんとお父さんは別れていて、お母さんはその後再婚していると聞いています。
セイハはお姉ちゃんとお母さんについてはよく話をしていましたが、父親のことは一切話しませんでしたね。知りあったセレブな女性たちが『この洋服もういらなくなったわ』と処分しようとすると『姉と母親にあげるからこの洋服もらっていい?』と引き取っていたくらいなので、お姉ちゃんとお母さんのことは好きだったんだと思います。

あとはとにかくおじいちゃん子だったと言っていました。専門学校を卒業したあとは上野でキャッチをしていたらしく、『キャッチをやってると水商売の子たちの裏側を見てしまうから(キャバクラなどには)行こうとは思わない』とこぼしていましたね」

女性が多い家庭で育った関根容疑者には、女性と自然に会話する術が身についていたのだろうか。水商売のキャッチは性に合っていたようだ。そして、早くに結婚して娘も生まれたが、離婚したという。

「セイハは20代前半のころ、すごく可愛らしい名前の嫁さんと結婚して、埼玉県に住んでいました。今ごろ小学生になっているはずの娘がいて『娘に服を買ってあげるから一緒に選んで』と娘へのプレゼント選びに付き合ってやったこともあります。でも、当時就いていた携帯電話関連の仕事が出張ばかりで、それがもとで離婚したと言ってましたね。それで雇われが嫌になり、自分で会社を立ち上げたんです。

『俺就職できなかったから使われるの嫌だし、会社を始めた』と言っていました。会社の所在地は当初は吉祥寺でしたが、なぜか住所を『成城』に移したがっていましたね」

「脳に腫瘍ができた」「事故を起こしたから」と数百万ずつ借りていた 

セレブイメージに憧れたのか、実際に6年ほど前に関根容疑者は、♯28で詳報したように世田谷区成城の高級住宅街に拠点を移した。

「セイハの『成城』や『世田谷区』へのこだわりは異常なほどで、成城の家は自宅兼会社にしてました。もともと経営者になるくらいですからお金は好きだったのでしょうが、成城に行ってからそれがますます加速していったように思います。セイハが経営していたのは携帯電話ショップに人材派遣する会社で、派遣するだけでなくセイハ自身も成城の携帯ショップの店頭で働いていました。セイハを『女好き』だと思ったことはないのですが、女性の先にあるお金にはやたら鼻が利くといった印象でした」

関根容疑者は携帯電話ショップに訪れる女性客と親しくなっては自宅兼事務所に招くことを繰り返していたという。赤ちゃん連れの女性、中年の女性、派手目の女性などいろいろだったが、彼女たちに共通するのは“カネの匂いがする”ことだっという。

「セイハは携帯ショップに訪れるお客さんとすぐに打ち解けて、いろいろなことを自然に聞きだしてしまうんです。しかも勤務時間中に近隣のセレクトショップなどに顔を出し、誰とでも仲良くなっていきました。その中からお金を持っていそうな女性を物色していたのだと思います。一部週刊誌に2000万円を騙し取られた女性がいると出ていましたが、その方は成城の超高級住宅街エリアに住む無尽蔵な資産家で、セイハは『脳に腫瘍ができたから』『事故を起こしたから』といってはお金を数百万ずつ借りていたようです。

他にも同じように『カネを引っ張る』40~50代の女性が大勢いたそうです。こうした成城マダムたちを通して本物のお金持ちの暮らしを目の当たりにして、セイハは羨んだのだと思います」

「セイハ」の金に対する“こだわり”は、成城マダムの影響だったのかもしれない。だが成城を拠点にしてからわずか1年ほどで、セイハは身から出たサビでこの地を放り出されることになる。

「セイハが成城にいられなくなったのは、お金を騙し取られた女性たちが多くいたことに加え、同時期に携帯ショップから仕事を打ち切られて金回りが悪くなったからです。ちょうどこの頃、セイハは今回の事件の被害者夫婦の娘さんの話もしていました。昔付き合っていたとかそういう話ではなく、小学校だか中学校だかの同級生に『上野で飲食店をやってる子がいるんだ』と言っていました。セイハがイタリアンの飲食店をやりたがっていたのもちょうど成城にいる時期でしたね」

宝島夫妻の長女と付き合いだした経緯は定かではないが、こうして「セイハ」は拠点を成城から上野に移した。そして、得意の話術で上野の“焼肉王”にのぼり詰めた宝島夫妻に食い込み、あっという間に新店プロデュースを任せされるようになるなど、信頼を得た。しかし、♯22などで詳報したような主導権争いから「取られるくらいなら取ってやる」とクーデターを画策したとみられる。

「逮捕時に顔を隠していたジャケットはセイハの好きな『デンハム』というデニムのブランドです。セイハは大の洋服好きで二子玉川の高島屋や、ここ最近は銀座でよく洋服を買っていて、羽振りのいいときは月に30万円以上も洋服代に費やしていたくらいです」

「お金を持っている女性が好きという感じでした」

「反社」や「半グレ」を彷彿とさせる全身の刺青も、オシャレの一部だったようだ。

「刺青についてもファッションの一環という側面が強かったように思います。なぜそんなに刺青するのかと聞いたときには『育った町が浅草だからさ、自然に周りにそういう人がたくさんいたから、入ってるのが普通というかさ』と説明していました。だからかなり若いころから入れ始めていたと思いますよ。

あと、セイハは下戸で、本人も『お酒は飲めない』と公言していたので、飲み屋やキャバクラに通うイメージはありません。女好きというよりはお金を持っている女性が好きという感じで、趣味といえば洋服と車でした。車はベントレー、ベンツのゲレンデなどを売っては買っての繰り返しで乗り換えていました。ギャンブルはしないけど基本的に金遣いは荒く、女性からお金を引っ張る一方で、周囲の人間に羽振りよく奢ったりもしていました」

頸部圧迫で殺害、幸子さんにいたっては顔が判別できないほどハンマーで殴打し、遺体に火を放って遺棄するという残忍な犯行に及んだことを、Z氏はどう解釈しているのだろう。

「たぶんですが、セイハは殴り合いの喧嘩はできないし、したことがないんじゃないかなと思います。だって本当にビビリで鳥が大の苦手で、カラスやハトが近づくとに『ヒャー』と情けない声をあげていたくらいです。その印象からあんな残虐な計画は立てられないような気もするけど、一方でビビリだから人に頼んだのかなとも思います。

弱い人間に強く当たるところは何度か見たことがありました。車を運転中に歩行者のおばさんに窓を開けて『どけやババア』と怒鳴ったり、自分の会社の社員を家に住まわせて身の回りの世話をさせ、追い詰めた挙句その親御さんを怒らせたこともありました。その一方で子どもには優しかったり、犬好きな一面もありました」

台東区の下町に生まれ、人当たりよく育った道楽者が、なぜここまで残忍な事件をおこしたのか。前代未聞の事件の全容解明には、もう少しピースが必要なようだ。

※「集英社オンライン」では、今回の事件について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。

メールアドレス:
shueisha.online.news@gmail.com

X(Twitter)
@shuon_news 

取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班