2013年に大阪府牧方市で松田が主宰した水泳教室での写真。「スポーツを生業にしていく子供はひと握り。だからこそ子供たちには、生涯にわたって役立つさまざまなスキルを、スポーツを通じて学んでほしい」と語る
2013年に大阪府牧方市で松田が主宰した水泳教室での写真。「スポーツを生業にしていく子供はひと握り。だからこそ子供たちには、生涯にわたって役立つさまざまなスキルを、スポーツを通じて学んでほしい」と語る
2004年のアテネ大会から4大会連続で五輪に出場し、うち3大会で計4つのメダルを獲得した日本競泳界が誇るレジェンド・松田丈志がアスリートの視点で、そしてアスリートを支えるさまざまな活動をしている現在の立ち位置から日本のスポーツ界が抱える問題を考察。第3回はスポーツを頑張る子供と親の関係性について取り上げる。

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私には現在、上から小学1年生、幼稚園の年中、今年2歳と、3人の子供がいます。彼らが将来どんなことに興味を持つかはまだわかりませんが、私は親として彼らの可能性を最大限に引き出すサポートをしたいですし、親としての在り方についても常に考えています。子供を持つ親なら皆さん同じ気持ちなのではないでしょうか。

私が子育てをしていく上で意識していることはふたつあって、ひとつは「親の理想やエゴに子供をはめ込まないこと」、もうひとつは「他者との比較をしないこと」です。

特に子供の小さい時期は、心身の成長スピードには個人差があります。身体的な成長においても、小学高学年で既に成人並みの身長に達する子供もいれば、男子の場合は高校生くらいから身長が伸びる子供も少なくありません。勉強やスポーツにおいて、学年や年齢で区切って成績を競う場面は多々ありますが、能力やモチベーション、成長のスピードは子供ごとに異なります。年齢が低いほどその差は顕著ですから、常に子供自身の成長に焦点を当てていきたいと感じています。

2022年3月18日、公益財団法人全日本柔道連盟(全柔連)が主催する「全国小学生学年別柔道大会」の廃止が発表され、論争の的となりました。親や指導者が小学生に過度な減量を求めたり、勝利のために組手争いに終止するなど小手先の技術ばかりを教えたりすることが問題視されたのです。

私は「小学生の日本一は決めないほうがいい」と思っています。前述のとおり小学生の子供は成長に個人差がありますから、いわゆる「下駄をはいた状態」で日本一を決めてしまうと、勝った選手がその日本一という栄光を背負い、のちに苦労するということがあります。むしろ私の経験上そのパターンのほうが多いと考えていて、競泳においても顕著です。小学生時代に脚光を浴びても、いつしか同世代の選手に追いつかれるとモチベーションが下がり、周囲からの評価も変わります。その結果自信が揺らぎ、競技を離れる選手をたくさん見てきました。実際、「小学生の頃は強かった」と言われ続けるのは精神的にもしんどいと思います。

ちなみに私は小学生時代に日本一にはなれませんでした。初めての全国大会は小学4年生で、レースでは最下位に終わりました。同世代の選手の速さに驚き、絶望感に襲われ、一時は水泳を諦めようと考えるほどでした。しかし、同時に「少しでも順位を上げたい」「いつか決勝に残ってみたい」という目標――大きなモチベーションも得ました。こうした「自分よりレベルの高い選手がたくさんいる」という事実を知る機会は何も、「小学生の日本一を決める大会」という形でなくても、例えばエリアごとの大会や対抗戦をする、合宿や研修会を開催するなどでも得られると私は考えています。

子供に競争をさせるなと言っているわけではありません。むしろ競争はしてほしい。スポーツの競争を通して、この競争社会を勝ち抜いていくマインドやスキルを身につけてほしいと思います。しかし、最終的にスポーツを生業として取り組む子供はほんのひと握りであり、しかもそれは人生の一時期でしかありません。であれば、子供たちへの指導はスポーツを通して得られる学び――課題を抽出する力やコミュニケーション能力の向上、目標設定し計画的・継続的に努力する力、スポーツをすることで得られる心身の健康維持、プレッシャーやストレスのコントロールなど、生涯において役立つスキルを磨くことを念頭に置くべきです。

大会や試合に出ることでスポーツをする楽しさや学びを得られ、何より成長の機会になるというのは事実ですから、子供の頃の大会や競争はその規模と頻度を大人がうまくコントロールする必要があるでしょう。全国大会という規模の大きな大会を年に一度や二度やるよりは、エリア別など規模は小さくてもいいので大会の頻度を増やし、子供たちが何度でも挑戦、競争、リベンジできる舞台をつくってほしいと思います。

2023年2月に開催されたトヨタ財団シンポジウムにて、1988年ソウル五輪シンクロデュエット銅メダリストで、現在はスポーツ心理学者として活動している田中ウルヴェ京(みやこ)氏(右)とディスカッションする松田
2023年2月に開催されたトヨタ財団シンポジウムにて、1988年ソウル五輪シンクロデュエット銅メダリストで、現在はスポーツ心理学者として活動している田中ウルヴェ京(みやこ)氏(右)とディスカッションする松田
スポーツを頑張る子供との向き合い方では、水泳界の先輩であり現在はスポーツ心理学者として活躍している田中ウルヴェ京さんが、トヨタ財団主催のシンポジウム(2023年)で語っていた言葉が印象的でした。要約すると、「スポーツをする子供の親は、子供の安全な基地として、ただそこに存在するだけで役立つことが大切であり、勝ち負けに関わらず安定した態度を示すことが重要。<セキュアベースリーダーシップ>という考え方があり、親が充電器のように子供を受け入れ、どこでもプラグを刺して充電できるような環境を提供することが、子供にとって安心感を与える親の役割である」ということを説いていました。

セキュアベースリーダーシップの鍵は、「安心して失敗できる環境」を提供することだそうです。失敗から学び、成長するための土壌を整えることが子供たちには不可欠です。私自身もそうで、私が選手として成長を感じたとき、それ以前の段階で必ず失敗がありました。子供にとって身近にいて最も影響力のあるリーダーは親です。だからこそ、親には子供が挑戦に臨む際に失敗を恐れず、安心感を持てる環境を提供することが求められます。

私の親もそれを実践してくれたと感じています。競技結果や練習の成果に関わらず、日々の食事や練習の送り迎えなど、常に私をサポートしてくれました。親と、私を指導するコーチはよく練習後に話をしていました。その内容は知りませんが、私に関する情報交換も行なわれていたのだろうと思います。

地元・延岡の居酒屋で撮影された、高校時代の松田と両親との写真。隣はコーチの久世由美子氏。大事な大会の前には必ず地元に帰るようにしていたという松田は、「自分にとって自宅や家族が『安全基地』として機能していた」と振り返る
地元・延岡の居酒屋で撮影された、高校時代の松田と両親との写真。隣はコーチの久世由美子氏。大事な大会の前には必ず地元に帰るようにしていたという松田は、「自分にとって自宅や家族が『安全基地』として機能していた」と振り返る
実際、コーチからはこんなことを言われたそうです。「プールでは厳しい練習もするし、厳しいことも言うので、家では美味しいご飯をたくさん食べさせてやって、目一杯のんびりさせてあげてください」と。まさに私にとって、自宅や家族という存在が「安全基地」として機能していたのだと思います。競技レベルが上がっても、例えば五輪選考会や五輪といった極度のプレッシャーがかかる大会前には、私は必ず地元に帰るようにしていました。家族と過ごし、地元の雰囲気を味わうだけで、「負けても死ぬわけじゃないし、ここにいる家族や地元の人々はどんなことがあっても私の味方だ」と感じることで、戦う勇気が湧いてきたものです。

引退後に取材させてもらったアスリートの中では、サーフィンの五十嵐カノア選手や柔道の阿部一二三・詩兄妹とご家族の関係性はとても印象的でした。それぞれの家族にサーフィンや柔道というスポーツが共通の話題としてあり、それを通じて親子のコミュニケーションが生まれ、自然な形で競技について語り合う姿がありました。現在世界で活躍するアスリートたちは、親子でもオープンでフラットな関係性を築き、スポーツについてディスカッションしているということに感銘を受けました。

私自身は、選手のときは家で水泳の話をすることを好みませんでした。常に自分で考えたかった部分もあったし、私自身が自己開示に不器用で、自分の悩みや弱みをうまく吐き出せていないところもあったと思います。今更ながら「うちの親ももっと私と水泳の話をしたかったんじゃないかな」と思うこともあります。ただ、それでも私が決めたことを100パーセント支持し、見守り、応援してくれた両親には今でも感謝しています。

スポーツを通じた親子の関係性には、さまざまな形があって然るべきなのでしょう。子供がどんなスポーツをやるにしても、きっかけは子供だけではつくれませんから、最初のレールは親が敷いてあげる必要があるかもしれません。ただ、親が忘れてはならないのは、子供が自走していける環境をつくってあげることです。子供に寄り添い、他者との過度な比較を避け、対話を大切にし、その成長を見守っていくことです。私も自身の子供に対して、「存在してくれているだけで父ちゃんはうれしいよ」のスタンスでいこうと思っています。

文/松田丈志 写真提供/株式会社Cloud9