2024年、川崎からMLSのロサンゼルス・ギャラクシーへの移籍を決めたのが、日本代表としてカタール・ワールドカップにも出場した右SBの山根視来である。30歳での初の海外挑戦。その姿を追ったインタビューを3回に分けてお届けしよう。

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 山根は2022年の年末には夢であったカタール・ワールドカップ出場も果たしてみせた。ピッチに立ったのは先発したグループリーグ第2戦・コスタリカ戦での62分のみだったが、「自分のやりたいプレーも出せた一方、逆に経験が足りないなと思う場面もあった」と、躍進した日本代表の一員として貴重な経験を積んだのである。

 そして迎えた、昨年の2023年シーズン。川崎での4年目とあって、慣れ親しんだ環境で落ち着いてスタートすることができた。しかし、これが山根のなかでは引っかかっていたという。

「ワールドカップという目標に突き進んで、その大きな大会が終わった時に、クラブに戻って新しいモチベーションを見つけてサッカーに取り組むなか、やっぱり川崎はすごく居心地が良かったんです。

 キャンプもこういう感じでこうなっていくんだろうな、とイメージできてしまう自分がいた。そのなかでもちろん全力で取り組んでいましたし、より成長することを意識していました。ただ同時に環境はすごく大事だなと感じていました。

 僕は選手には『同じ環境でやり続けられる選手』と『厳しい環境に行くことで新たにエネルギーを生み出していく選手』の2パターンがいると思っています。僕は明らかに後者だった。だからこそ、思い悩んでいたんです。

 これはどちらが正解というわけではなく、現にフロンターレには長く在籍しても常にギラギラしている先輩たちがいて、自分もそういう人たちを見習っていけば、より成長していけるとの想いはありました。ただどこかで、スッキリしない自分もいた。もっとも移籍というのは自分がしたいと言ってできるものではない。だからこそ、まずは目の前のことに全力を尽くしていました」

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 価値観は人それぞれであり、考え方が異なるのは当然である。ただ、共通しているのは“今の自分よりも成長したい”という想いだろう。山根の胸のなかでもその気持ちが膨らんでいったに違いない。

 2023年シーズン、川崎はリーグ8位に甘んじたように厳しい1年を過ごした。その苦境において山根はあえて悪者になるかのように、チームメイトへ厳しい要求をし続けた。それは大好きなクラブへの彼なりの恩返しでもあったように映る。

「なぜか点がいっぱい入って勝つ試合もありましたが、とにかく失点が減らなかった。これってなぜだろうと考えると、やっぱり『日常が緩くなっているんだろうな』という考えに行き着いたんです。

 トレーニングが始まるというタイミングでも、ワイワイしているのは良いと思うんです。僕もそうしたいタイプですから。でも緩んだ空気になってしまうのは絶対に違う。だから周りに厳しい声がけをすることもありましたし、意見がわざとぶつかるような話をしたり、いろんなアプローチをしていましたね」

 
 山根の想いは、シーズン終盤に結実した。

 リーグ戦でも復調傾向にあったチームは、年末に行なわれたACLのグループリーグを無敗で勝ち抜き、天皇杯では柏との決勝戦を制し、見事にトロフィーを掲げたのである。

 天皇杯の優勝後、これまで見せたことのないような喜びようをサポーターの前で示す山根の姿があった。

 この天皇杯決勝の前後で、山根のもとにはロサンゼルス・ギャラクシーからオファーが届いていたという。

「以前から興味を持ってもらっているとの話はいただいていて、それが正式なオファーになるかどうかは分からない状況でした。でも、もしかしたら天皇杯が最後になるかもしれないとの想いがありました。

 だからこそ後悔しないようにPK練習も相当にやっていました。決勝戦がPK戦にもつれることは容易に想像できましたから。“俺が外して、チームが負けて、移籍します”は、絶対に違うだろと自分に言い聞かせていました。だから1、2か月間、ほぼ毎日のようにPK練習はやっていましたね。

 それで実際に試合はPK戦になり、あれだけ練習したのに『俺は8番目か!!』と、後々、オニさんに冗談で言いましたが(笑)、いざ蹴るとなるとめちゃくちゃ緊張しました」

 ネットを揺らしたあと、何度もガッツポーズを作り、サポーターへ両腕を突き上げた彼の姿が、脳裏に焼き付いている人は多いのではないか。その熱は周囲に確実に伝播していた。

 最後は両GKがキッカーになるまでもつれた一戦を、川崎は根気強く、身体を張って手にしたのである。決して綺麗な形ではない。それでも想いの詰まった会心の勝利であった。

「フロンターレに来てからの優勝でダントツで嬉しかったですね。自分が移籍してきた時は圧倒的な優勝が続きましたし、駆け抜けた印象が強かったのですが、この天皇杯はみんなで一つひとつ勝ち進んで、リーグ戦では調子が悪かった分、『なんとしても』という想いがみんなからも、オニさんからも伝わってきていました。自分はそれに応えたかったですし、1年間、不甲斐ないプレーをしても使い続けてくれたオニさんと、絶対に優勝したかった」
 
 山根のなかではひとつの区切りがついたという想いがあったのかもしれない。勝ち上がっているACLを2024年もともに戦いたいという、後ろ髪を引かれる気持ちもあったが、改めて当時の胸中を明かしてくれた。

「現状を変えたかったというのが一番にありました。もちろんACLを優勝したいという気持ちも強かったですし、それができるクラブだと思っていました。みんなでアジア王者になりたかった。そこは一番悩んだ点でした。

 ただ、フロンターレでも去年、いろんな選手、スタッフが新しいチャレンジを決めたなかで、自分も刺激された面はありました。すごく居心地が良かったからこそ、逆にそれが自分にとっては良くない、と。何かを変えなくちゃいけない。想いはそこでしたね」

 もっとも簡単に移籍を決断できたわけではない。そこにはチームメイトらとの会話、流した涙があった。

【パート3へ続く】パート3

■プロフィール
やまね・みき/1993年12月22日生まれ、神奈川県出身。178㌢・72㌔。あざみ野F.C.―東京Vジュニア―東京VJrユースーウィザス高―桐蔭横浜大―湘南―川崎―ロサンゼルス・ギャラクシー。J1通算196試合・14得点。J2通算37試合・0得点。日本代表通算16試合・2得点。粘り強い守備と“なぜそこに?”という絶妙なポジショニングで相手を惑わし、得点も奪う右SB。

取材・文●本田健介(サッカーダイジェスト編集部)


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