2024年4月2日(火)、歌舞伎座にて『四月大歌舞伎』が開幕した。16時30分開演の夜の部にて上演された、片岡仁左衛門と坂東玉三郎出演の『於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)』、『神田祭(かんだまつり)』、そして舞踊作品『四季(しき)』をレポートする。

『於染久松色読販』

片岡仁左衛門がつとめる鬼門の喜兵衛は、小悪党。坂東玉三郎がつとめる土手のお六は、悪婆。

夜の部『於染久松色読販』(左より)土手のお六=坂東玉三郎、鬼門の喜兵衛=片岡仁左衛門 /(C)松竹

夜の部『於染久松色読販』(左より)土手のお六=坂東玉三郎、鬼門の喜兵衛=片岡仁左衛門 /(C)松竹

柳島妙見の場からはじまった。どの登場人物も台詞、芝居が明瞭で、充実したイントロダクションだった。市村橘太郎の嫁菜売り久作は、親しみやすく実直な田舎者。意気揚々と悪だくみをする油屋の番頭・善六(片岡千次郎)。そして明るい丁稚の久太(尾上松三)がテンポ感よく、この先の伏線となる要素を散りばめ、茶屋の女中おたけ(中村京妙)は歌舞伎の序幕らしい味わいを添える。真面目で誠実な商人・油屋太郎七(坂東彦三郎)の登場を要に物語が動き出し、中村錦之助の山屋清兵衛は清涼剤のような爽やかさで物語を広げた。

夜の部『於染久松色読販』(前列)左より、鬼門の喜兵衛=片岡仁左衛門、土手のお六=坂東玉三郎、(後列)左より、油屋太郎七=坂東彦三郎、山家屋清兵衛=中村錦之助 /(C)松竹

夜の部『於染久松色読販』(前列)左より、鬼門の喜兵衛=片岡仁左衛門、土手のお六=坂東玉三郎、(後列)左より、油屋太郎七=坂東彦三郎、山家屋清兵衛=中村錦之助 /(C)松竹

舞台はお六の莨屋(たばこや)へ。序幕の要素が喜兵衛とお六の悪だくみにつながる。お六は、かつての奉公先のためなら、そして喜兵衛とならば悪い事にも手を染める。玉三郎は台詞のキャッチボールとなる会話は軽妙に、ひとりでの語りはグッと引き込む台詞回しで聞かせた。仁左衛門の喜兵衛は、登場した瞬間から日陰の生活をまとうような空気感だった。悪事を悪と理解したうえで、だから何だという態度。久作と亀吉(中村福之助)のおしゃべりの間、喜兵衛とお六は晩酌をする。黙っていても、ふたりの存在感が常にそこにあった。喜兵衛が剃刀を手に悪だくみの仕度をする場面は、偶然それを目撃してしまったかのようなリアルな緊張感。喜兵衛がふと顔を上げて辺りを警戒した時は思わず息を殺した。客席にいながら、覗き見ていたことがバレたかも……という恐ろしさだった。剃刀をくわえ桶を蹴り倒し、花道で勢いよく大きく足をふみ出しての見得には、その美しさに息をのんだ。

夜の部『於染久松色読販』(左より)土手のお六=坂東玉三郎、鬼門の喜兵衛=片岡仁左衛門 /(C)松竹

夜の部『於染久松色読販』(左より)土手のお六=坂東玉三郎、鬼門の喜兵衛=片岡仁左衛門 /(C)松竹

瓦町油屋の場。ふたりは架空の弟の死亡をでっち上げて大金を強請りとろうとする。お六は啖呵を切ろうと、騙りを働こうと、心がピュアなのだろう。どこか愛らしさがある。計画がぐずぐずになってからは笑いが絶えない。せっかく格好良く登場した喜兵衛も、堂々と逃げていくことに。勧善懲悪を悪者目線で描くことで浮かぶ人間らしさと面白さ。花道をいく、格好良いとはいえない喜兵衛とお六により明るい笑いと惜しみない拍手で結ばれた。

『神田祭』

夜の部『神田祭』(左より)芸者=坂東玉三郎、鳶頭=片岡仁左衛門 /(C)松竹

夜の部『神田祭』(左より)芸者=坂東玉三郎、鳶頭=片岡仁左衛門 /(C)松竹

清元節の演奏で幕が開くと、舞台は浅黄幕に覆われていた。その向こうに誰がいるのか、多くの方は承知しているのだろう。ワクワクが連鎖して広がる。いよいよ幕が切って落とされると、片岡仁左衛門の鳶頭。鮮やかに想像を超えていく良い男ぶりに弾けるような拍手がおきた。若い者との立廻りには無駄がなく、すっきりとカッコいいだけが詰め込まれる。さらに坂東玉三郎の芸者は揚幕から登場。黒い着物の裾に描かれた波が打ち寄せるように花道の七三へ。追いかけるように拍手がわく。決して派手な衣裳を着ているわけでもない。一体どこから湧き上がるのか、という圧倒的な華が満員の観客を恍惚とさせる。

夜の部『神田祭』(左より)鳶頭=片岡仁左衛門、芸者=坂東玉三郎 /(C)松竹

夜の部『神田祭』(左より)鳶頭=片岡仁左衛門、芸者=坂東玉三郎 /(C)松竹

『於染久松色読販』からの『神田祭』という狂言の並びは、仁左衛門と玉三郎にとって初めてではない。このふたりの、この2演目の振り幅だから生まれるカタルシスがある。昭和、平成、令和と輝きつづけるふたりの華と、鳶頭と芸者の仲睦まじさに夢見心地になり、痴話げんかでさえうっとりした気持ちにさせる。花道で帯を直し合えば拍手が起き、頬を寄せ合えば天井を突き抜けような多幸感に眩暈がした。長きにわたり芸を磨き続けてきたふたり。客席には、長きにわたり応援し続けてきたたくさんの観客。たくさんの時間と思いが結実した美しくて幸せな景色に、万雷の拍手が降り注いだ。

『四季』

夜の部『四季<春 紙雛>』(左より)男雛=片岡愛之助、女雛=尾上菊之助 /(C)松竹

夜の部『四季<春 紙雛>』(左より)男雛=片岡愛之助、女雛=尾上菊之助 /(C)松竹

〈春 紙雛〉は桃の節句。紙雛に命が吹き込まれ、尾上菊之助の女雛と片岡愛之助の男雛が動き出す。気品に丸みがあり、雅やかで、どこかおとぎ話のよう。春霞に包まれるような心地の中、ふたりの恋の思い出がしっとり浮かび上がる。五人囃子(中村萬太郎、中村種之助、尾上菊市郎、尾上菊史郎、上村吉太朗)が若々しく賑やかに、独特の長唄の旋律とともに舞い納めた。

夜の部『四季<夏 魂まつり>』(左より)仲居=中村梅花、若衆=中村橋之助、舞妓=中村児太郎、亭主=中村芝翫、太鼓持=中村歌之助 /(C)松竹

夜の部『四季<夏 魂まつり>』(左より)仲居=中村梅花、若衆=中村橋之助、舞妓=中村児太郎、亭主=中村芝翫、太鼓持=中村歌之助 /(C)松竹

夢から醒めて、次の夢がはじまるように暗転が繋ぎ、季節は変わり〈夏 魂まつり〉。加茂川のほとりに、端正な顔立ちの若衆(中村橋之助)。そこへ舞妓(中村児太郎)が駆け寄ってくる。彼女が恋をしていることは、3秒あれば十二分に伝わってくる。太鼓持に中村歌之助、仲居に中村梅花。さらに中村芝翫の亭主が花道から本舞台へ。夏の夜の風情と、芝居らしい趣きが強まった。色気に夏の風情があった。山で大文字の送り火が焚かれ夜は深まっていった。

夜の部『四季<秋 砧>』若き妻=片岡孝太郎 /(C)松竹

夜の部『四季<秋 砧>』若き妻=片岡孝太郎 /(C)松竹

月に浮かび上がる〈秋 砧〉。能の『砧』ではなく、李白の『子夜呉歌』から作られた。片岡孝太郎が、徴兵された夫の帰りを待つ若き妻をつとめる。たったひとりで砧を打つ。そのひと槌、ひと槌が愛と悲しみの深さを思わせる。心を乱して、袖が宙に大きく弧を描く。激情が迸る。紗幕越しの月光と箏の演奏が、情感の陰影を深めていた。

夜の部『四季<冬 木枯>』(左より)木の葉=尾上眞秀、尾上左近、みみずく=尾上松緑、坂東亀蔵、木の葉=坂東亀三郎 /(C)松竹

夜の部『四季<冬 木枯>』(左より)木の葉=尾上眞秀、尾上左近、みみずく=尾上松緑、坂東亀蔵、木の葉=坂東亀三郎 /(C)松竹

気づけば〈冬 木枯〉。木の葉がアクロバティックに登場する。ケレンとしての面白さ以上に、表現のための創意工夫が感じられた。尾上松緑、坂東亀蔵のみみずくはおとぎ話のキャラクターのよう。さらに幻想的な木の葉の女(尾上左近)の可憐さと妖艶さに目を奪われる。木の葉(男)に大谷廣松、中村福之助、中村鷹之資、坂東亀三郎、尾上眞秀。木の葉(女)に市川男寅、中村莟玉、中村玉太郎。大小様々な葉が舞い上がり舞いおり、吹き寄せられ吹きあがる。子どもの頃、木枯らしに舞う落ち葉たちが、あたかも遊んでいるように見えたことを思い出す。幕切れは、群舞の真ん中が当代屈指によく似合う松緑が気持ちよくまとめ上げた。

観劇前、季節を風流に描いた舞踊作品を想像していた。たしかに四季折々を描いていたが、想像の斜め上を行く意欲的でファンタジックな作品に喝采が送られた。最後は「音羽屋!」の大向うに混じり「Bravo!」の声も聞かれた。歌舞伎舞踊の可能性に胸が高鳴る一幕だった。

『四月大歌舞伎』は歌舞伎座にて4月26日(金)までの上演。「昼の部」は別の記事にてレポートする。

取材・文=塚田史香