「アウトレイジビヨンド」や「翔んで埼玉」など硬軟問わずに俳優として存在感を示し、バラエティー番組でも活躍した中尾彬(なかお・あきら)さんが16日、心不全のため都内の自宅で死去した。81歳。千葉県木更津市出身。妻で女優の池波志乃(69)とはおしどり夫婦として知られ、その人柄は多くの人に愛されていた。突然の訃報に、芸能界には悲しみの声が広がっている。

 「北野武」として監督を務める映画で深い縁があったビートたけしは、公式サイトを2カ月ぶりに更新し、「また一人、いい役者がいなくなった」と投稿。たけしは、映画「アウトレイジ ビヨンド」や「龍三と七人の子分たち」で中尾さんを重用していただけに「大変ショックです」と悲痛な思いを記した。

 日活ニューフェースの第5期同期・高橋英樹は「日活の入社も 同期 奥さん同士とも 共演しあって 心は 近い存在でした。 この頃 テレビで観ないなあ と 思っていましたら この 突然の訃報です」と驚きを吐露。「長く長く付き合いたかったなあ!逝ってしまうのはまだ!早いぜ!!寂しくて涙もでないよ」と、天国の中尾さんへ呼びかけた。

 また、伝説的バラエティー番組「はねるのトびら」で中尾さんのモノマネを披露したり、主演ドラマ「裸の大将」シリーズで共演したお笑いコンビ「ドランクドラゴン」塚地武雅は、「裸の大将で、主演という立場に恐縮している僕に“塚地、座長なんだから堂々としなさい。他業種だからとか関係ない。良い芝居してるから自信を持ちなさい。”と。僕の指針となるお言葉をいただきました」と、中尾さんからもらった金言を明かし「ご冥福をお祈りします」と偲んだ。

 同じ「古舘プロジェクト」所属の古舘伊知郎は、「仏教の教えで死ぬことってちっとも悪いことじゃないと思ってはいるんですけど、やはりひと回り違う大先輩、事務所の仲間が突然、旅立ってしまって、やはり寂しいですよね」と、番組を通じて追悼した。

 俳優・中野英雄は「中尾彬さん めちゃくちゃ悲しい 1979年に公開した映画 白昼の死角が僕は大好きだった 中尾彬さんは出演しており 貴方に会う度にその映画の話を しつこく聞いていた もっともっと話がしたかった…」と悲痛な思いをつづり「少年だった私に素晴らしいお芝居を見せて頂き有難う御座いました」とした。

 70年代からともに活躍してきた女優・ひし美ゆり子も「つい前までお元気そうにテレビにご出演されてたので吃驚しました」と衝撃を受けた様子。「70年代から何度かご一緒させて頂きました。夫婦役もやったわね…」と振り返った。

 番組などで何度も共演していた東国原英夫氏は、訃報を受け「驚いた!番組やその他、これまで色々お世話になった」と回顧。「有難う御座いました。心よりご冥福をお祈りいたします」と感謝を込めた。

 共に千葉県木更津市のPR大使を務めていた「氣志團」の綾小路翔は、同市のキャラクター「きさポン」のぬいぐるみを手にしたツーショットを掲載し、「Mr.KISARAZU FOREVER.」と記した。

 ワイドショーで同じみの紀藤正樹弁護士は「残念です。合掌」と言葉少な。元内閣官房参与で慶応大学大学院教授、コメンテーターなどで活躍する岸博幸氏は「かつてテレ朝のグッドモーニングで一緒にコメンテーターやっていた時、色んなことを教えていただいた。今は若い薄いコメンテーターばかりなので、中尾さんにもっと正論を吠えてほしかった」と人柄を称えた。

 綿矢りさ原作の映画「インストール」(上戸彩演)などで知られる映画監督・演出家の片岡K氏は、SNSで「えっ、中尾彬さん亡くなったのか…。悲しい。ホント悲しい」と追悼。「中尾さんの声が好きで好きで、番組のナレーションをお願いした時があったんだけど、ギリギリまで原稿が仕上がらなくてMA室で2時間半待たせちゃった。それでも笑って許してくれたっけ。優しい人だったな」と振り返った。

 フジテレビ「ザ・ベストハウス123」などで共演した脳科学者・茂木健一郎氏は「いろいろなことをご存知で、人間を深く愛し、すばらしい趣味をお持ちの、本当に類まれな方でした。こんなことになるなら、遠慮せずに、もっとご連絡して、いろいろお話をうかがっておけばよかったと、悔やまれてなりません」と悔やみ「ご一緒した時間で教えていただいたこと、これからもずっと忘れません。ありがとうございました」と、長文に込めた思いを感謝の言葉で締めた。

 タレント・フィフィは「私が芸能界で活動を始めた頃、バラエティーの特番に呼ばれて、前室にタレントさんが集まって収録待ちをしていた際、まだ知り合いのいない私を気遣って中尾彬さんがお声をかけて下さいました。あなたはどこの国なの?と、そんな些細な会話で心が救われました」と回顧。

 お笑いタレント・キンタロー。は「行列で芸歴1年目未満のデビュー組チームの会でMVPで“ねじねじ賞”にキンタロー。選んで頂き、その後も会う度に優しく声をかけてくださり励みにしていました。寂しいです」と思い出を振り返った。