連載◆『元アスリート、今メシ屋』

第3回:山口俊(元DeNAほか)後編

 クローザー、そしてエースとして11年間袖を通したベイスターズのユニフォームを脱ぎ、2017年にFAで巨人へ移籍した山口俊。移籍2年目にはノーヒットノーランを含む9勝、3年目となる2019年にはハーラートップの15勝をあげ、最多勝、最高勝率、最多奪三振、ベストナインのタイトルも獲得し、5年ぶりとなるリーグ優勝の立役者となった。翌2020年には満を持してMLBに挑戦するも、世界中で新型コロナウイルスが猛威を振るい、米国全土、そしてMLBもまたパンデミックの波に飲み込まれていく。

 インタビュー後編では、巨人へのFA移籍と未練が残るというMLB挑戦、そして現役引退後のセカンドキャリアについて話を訊いた。


2023年に現役を引退した山口俊。現在は六本木でちゃんこ店を経営している Photo by Hasebe Hideaki

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【想像以上の注目と、自らの成長を実感した巨人時代】

――2017年シーズンから巨人でプレーをしますが、"球界の盟主"といわれる球団の雰囲気はいかがでしたか。

山口俊(以下・山口) 僕自身、選手たちの雰囲気はベイスターズと変わらないと思ったんです。選手同士、仲がいいですし、ピッチャーと野手の壁もありませんでした。先輩後輩の関係もそれほどきついわけでない。ただ、ジャイアンツという球団は、想像以上に注目されているんだなっていうのは感じましたね。

――マスコミの数も多いですしね。

山口 はい。野球選手としてはもちろん、もっと社会人としてしっかりとしなければといけないと気づかされました。それを痛感させられた1年目でしたね。

――グラウンド外のことであっても話題になるのが巨人の選手ですからね。

山口 試合で活躍すればマスコミに大きく取り上げられますし、またその逆もあるわけです。そういった覚悟が必要な場所だと強く思いました。

――FAで入団してきたことで、まず考えたことは何でしょうか。

山口 やはりFAで入った以上は、チームの勝利に貢献しなければいけません。あとは当時、生え抜きのエースとして菅野智之がいて、僕は彼の調子が良くない時に何とかカバーしなければいけない、と考えていましたね。いかに菅野をラクにさせてあげられるのか。それが先発としての自分の役割なんだって。

――移籍1年目こそ故障の影響がありましたが、2年目は9勝に加えノーヒットノーランを達成。3年目は15勝を挙げ、5年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。

山口 ジャイアンツ時代はピッチャーとしての自分の成長を感じることができましたね。スピードアップなど目に見えるようなスキルアップはありませんでしたが、打者との駆け引きだったり、緩急や間合いの使い方など、阿部慎之助さんや坂本勇人らといろいろと話す中で、ヒントをもらってレベルアップすることができました。特にリーグ優勝できた3年目は、すごくやりがいを感じられました。


2018年のノーヒットノーランは、平成最後の大記録となった photo by Sankei Visual

【コロナ禍でのMLB挑戦と残した未練】

――そして2019年のオフ、巨人としては初となるポスティングシステムを使い、MLBのトロント・ブルージェイズへと移籍をします。ベイスターズ時代もポスティングでメジャーへといった噂がありましたが、メジャーへの想いはいつから胸に抱いていたんですか。

山口 NPBに入る前からでした。中学生の時だったでしょうか、イチローさんがシアトル・マリナーズに入団(2001年)して活躍する姿を見て、野球をやる以上、最高峰の舞台であるMLBに挑戦したいと目標にしていたんです。

――その思いがついに叶ったわけですね。しかしブルージェイズに入団した2020年と言えば......。

山口 右も左もわからないなかキャンプに参加して、だいぶ環境にも慣れて、「さあ開幕か!」という時に新型コロナでロックダウンしてしまって......。移籍1年目でこんなことになるなんて夢にも思っていませんでした。

――シーズンも60試合に短縮されました。山口さんはリリーフで17試合に登板して防御率8点台と苦しみましたね。

山口 これがコロナもなく、普段のレギュラーシーズンのように開幕していたらどうなっていたのかなって思うこともあります。本当、野球人生を振り返ると、いつもタイミングが悪いというか、自分らしいなって(苦笑)。

――翌年はサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍するも、開幕ではロースターに入れずトリプルAのサクラメント・リバーキャッツへ。しかし数試合投げると退団し、同年6月に巨人に復帰しました。

山口 正直に言って、あの時は逃げてしまったんです。マイナーでもコロナの制約が多くて、球場とホテルの往復だけで、すごく孤独というかメンタル的にやられてしまって......。強いていうのならば、自分の野球人生で唯一後悔しているのが、あの決断です。どうして1年間我慢できなかったのか。マイナーとはいえ、なかなか立つことのできないステージにいたのに、自ら手放してしまったのは今でも悔やまれます。

【「最後は横浜でやりたい」という思いがあった】

――2021年の途中から巨人に復帰し、2シーズン在籍しましたが、思うような結果は出せませんでしたね。

山口 はい。拾っていただいてありがたかったんですが、特に2022年は配置転換もあって、自分自身燃え尽きてしまった感覚もあったかもしれません。結局そのまま自由契約となり、独立リーグの球団からお話をいただいても、「野球をやりたい」という気持ちが湧いてくることはなく、2023年の春に引退を発表しました。

――もう野球に未練はありませんか。

山口 ないですね。完全に燃え尽きたし、やり切った感はあります。

――そういえば、昨年12月に開催された『YOKOHAMA STADIUM 45th DREAM MATCH』では、久しぶりにベイスターズのユニフォームに袖を通し横浜スタジアムに登場しました。

山口 ベイスターズに声を掛けていただいて本当にうれしかったです。久々のハマスタのマウンド。まだプロデビュー前の度会隆輝選手にセンター前ヒットを打たれましたけど(笑)。

――山口さんの名前がコールされると、ハマスタの観衆がどよめいた後、大きな拍手が沸き起こったのが印象的でした。

山口 ありがたかったですね。実は、最後は横浜でやりたいという思いが自分の中にありました。現役時代には叶いませんでしたが、今回機会をいただいてユニフォームを着てハマスタでファンの皆さんの前でプレーできたのは、僕にとって引退試合のような感じだったんです。球団にもファンの皆さんにも感謝しかありません。

【第二の人生は、実家から受け継いだ秘伝のちゃんこと共に】

――そうだったんですね。さて、第二の人生を現在は『TANIARASHI』のオーナーとして歩んでいます。ちゃんこ鍋屋というと、相撲由来の和風な店内をイメージしますが、ここはシックな装いですね。

山口 六本木からは近いんですけど、人通りの少ない隠れ家チックな場所なので、自分がターゲットにしているお客様にはちょうどいいかな、と思っています。内装は和と洋の融合にこだわって、グレーを基調とした"和モダン"といった雰囲気にさせてもらいました。

――なるほど。やはりオススメはちゃんこ鍋になるわけですよね。

山口 もちろんです。創業から57年続いている秘伝の出汁で作る『寄せ鍋ちゃんこ』は絶品ですので、ぜひ召し上がってもらいたいですね。元々は、(父・谷嵐関も在籍していた)時津風部屋のちゃんこ鍋がベースになっているのですが、それを一般向けに改良したものになります。オリジナルのつみれに糸こんにゃく、あと出汁をたっぷり吸った油揚げ。どれも絶品ですよ。



実家である『谷嵐』の味を継いだ名物『寄せ鍋ちゃんこ』(写真はお店提供)


――大分料理というと、あまり馴染みがないのですが、どういったものが名物になりますか。

山口 大分名物といえ、ばまずは『とり天』ですね。一度召し上がったお客様には、ほぼ100%リピートいただく美味しさです。それと、本店のある中津市の名物といえば『唐揚げ』なんですよ。



リピート率も抜群の大分名物『とり天』(写真はお店提供)


大分県中津の名物『唐揚げ』も楽しめる(写真はお店提供)


――中津市は"唐揚げの聖地"ですもんね。

山口 はい。中津は唐揚げ熱が半端ない場所なんですよ。下味にかつお出汁と九州独特の甘いたまり醤油を使っていて、豊かなテイストに仕上がっているので、ぜひ食べてもらいたいです。あとは『牛肉のタタキ』や『山芋鉄板』、郷土料理である魚の漬けである『鯛のりゅうきゅう』なども人気がありますね。

――ワインにもこだわりがあるとか。

山口 はい。オーガニックにこだわった白ワインをお求めやすい価格帯で提供しています。開店前に50〜60種のワインを試飲して、これだ、というものを厳選しました。ちゃんこ鍋や大分料理と相性も抜群で、邪道ではあるのですが、個人的には白ワインに氷を入れてキンキンに冷やして飲むのが最高ですね。

【『TANIARASHI』でアメリカに借りを返そうかと】

――なるほど。リピーターさんも多くなっていますか。

山口 開店して1年4カ月ほどになりますが、おかげさまで多くの方にリピートしていただいています。元プロ野球選手の私ではなく、店の味に惚れてくださって何度も足を運んでいただくお客様もいるので、そこはありがたいですね。もちろん、私にお話を聞きたいという野球ファンの方がいらっしゃれば、裏話とかいくらでもお話します(笑)。

――(笑)。飲食店のオーナーとして、どこにやりがいを感じていますか。

山口 お客様を満足させるのはもちろん、やはり従業員が働いて良かったと思ってくれることが、経営をする者としてのやりがいだと思っています。個人経営の小さなお店ですが、毎日の予約状況は気になりますし、どうやって店の質を高め、集客していこうか。そんなことを毎日考えることが面白いんですよね。

――経営者として何か今後の夢はありますか。

山口 実は来年、アメリカに進出しようと画策しています。野球ではアメリカで成功できなかったので、『TANIARASHI』で借りを返そうかと、今その準備をしているところなんです。

――それは面白いチャレンジですね。

山口 それから、恵比寿でエステサロン店も経営していて、まずはこのふたつを大きくしていけたらなと考えています。それに付随しアスリートのセカンドキャリアを受け入れていく会社にしていきたいという希望もあります。少しでも野球に恩返しができたらなって。

――山口さんの事業家としての歩み、楽しみにしています。

山口 ありがとうございます。いいサービスを提供できるよう、今後も精進して参ります。皆さん、ぜひ『TANIARASHI』へ足を運んでください。従業員一同、お待ちしております!

【Profile】山口俊(やまぐち・しゅん)
1987年7月11日生まれ。大分県中津市出身の元プロ野球選手。大相撲の元幕内力士である谷嵐関を父に持つ。甲子園に2度出場し、2005年の高校生ドラフトで横浜ベイスターズ(当時)から1位指名を受け入団。2009年のシーズン中にクローザーとして頭角を現し、2010年から2年連続で30セーブを記録。その後先発に転向し、自身初となる二桁(11勝)勝利をあげた2016年オフにFAで巨人に移籍。2018年には平成最後となるノーヒットノーランを達成。2019年は勝利(15勝)、勝率(.789)、奪三振(188)の3冠に輝く。2019年オフに、巨人の選手としては初となるポスティングシステムによる移籍でMLB挑戦を表明。2023年春に現役引退を表明した。現在は東京・六本木でちゃんこ店『TANIARASHI』を経営している。日米通算460試合に登板し、68勝70敗112セーブ。

<山口俊さんのインタビューの動画はこちら>

著者:石塚隆●取材・文 text by Ishizuka Takashi