小園健太〜Aim for the ace of the Baystars 第2回

 ふと気がつくと、四方八方から歓声が雨のように降ってきた。それが重圧となって、いつしか小園健太はリズムを失った──。

 4月10日の横浜スタジアムでの中日戦、3年目の小園はプロ初登板を果たした。先発として一軍のマウンドを踏んだが、結果は2回 2/3を投げ5失点。チームも敗れ、悔しいデビュー戦となってしまった。


4月10日の中日戦でプロ初登板を果たしたDeNAの小園健太 photo by Sankei Visual

【自信がどんどん削られていくような感じ】

 あれから約1カ月、小園は一軍のマウンドの難しさについて吐露した。
 
「シンプルに自信がどんどん削られていくような感じでした。少ない球数で投げることが自分にとって一番自信になるのですが、あの日は球数を重ねてしまって、テンポよくいかないなと思っているうちに、弱気のピッチングになった部分もあったので、やっぱりメンタルの部分の大切さを痛感しました」

 試合後は落ち込みましたかと尋ねると、小園は苦笑した。

「だいぶ落ち込みましたね......」

 そう言うと、畏怖の念を込め続けた。

「一軍っていうのはすごい場所なんだって感じました。洗礼ですか? はい、浴びましたね」

 苦しい胸の内を語っていても、小園の眼は光を宿していた。また、あの場所に戻らなくてはいけない──。

 小園がデビュー戦となる先発を首脳陣から言い渡されたのは、シーズン開幕前のことだった。「日にちは前後するかもしれないけど準備をしておけ」と。小園は心の中で「よし、行くぞ」とつぶやいた。その後、ファームで登板を重ねながら、その日を待った。コンディションは上々だった。

 ただ、登板前日は高揚感からか眠りは浅かったという。

「オープン戦とは違って、シーズン中の横浜スタジアムは初めてでしたし、ベンチやブルペン、観客の熱気とか、どんな空気なんだろうと考えてしまいましたね」

 当日は自分で車を運転して球場入りした。バッテリーミーティングで、後輩の松尾汐恩と組むことを知った。ファームで幾度となくバッテリーを組んできた松尾とのコンビということもあり、多くの言葉をかわす必要はなかった。

 刻一刻と迫る試合開始時間、ブルペンに入りいざピッチングをしてみると、あまりいい感触を得られなかったという。

「自分のなかでは全然よくなくて、やっぱり緊張しているのかなって。けど、試合がいざ始まると、初球の入りがめちゃくちゃよかったんです」

【最高の滑り出しだったが...】

 先頭打者である三好大倫への初球は146キロの外角へのストレート。これをファウルにされ、つづく133キロのスプリットもファウルとなり、2球で相手を追い込んだ。最後はカーブで見逃しの三振を奪い、これ以上ないスタートだった。

「人生で初めてといっていいぐらい、打者とキャッチャーしか見えていないぐらい集中していました。僕は気が散ってしまうと調子が狂ってしまうことはわかっていたので、とにかく集中しようと」

 つづく田中幹也は、フルカウントから四球で出塁させてしまう。粘り負けしてしまったが、厳しいところを攻めたうえでの四球なので、あまり気にはしていなかった。だが、次の高橋周平との対戦で状況は一変してしまう。

 1ボール2ストライクと追い込んだ5球目、インサイドのストレートでセカンドゴロに打ちとってダブルプレーと思いきや、ファーストのタイラー・オースティンの足が塁から離れていた。一塁塁審はアウトをコールしたが、当然中日はリクエストを要求した。

 あの時の状況を小園は振り返る。

「僕はファーストにカバーに入っていたのでTA(オースティン)さんの足がベースから離れていたのが見えていたんです。だから2アウト一塁だなと思ってマウンドに戻ったら、相手からリクエストが出ている。僕は一塁塁審がアウトを出していたのが見えていなくて、もしかしたら二塁のベースを踏み損ねてオールセーフになったのかといろいろと考えてしまったんです」

 何が起こっているのかわからない状況。ここで小園の集中力が切れてしまった。

「それまでバッターしか見えていなかったんですが、リクエストの間に周りを見まわしてしまって......人の多さだったり、歓声の大きさだったりを感じてしまって、これはやばいなって」

 ピッチャーのマインドは繊細だ。状況の変化によっては簡単にリズムを失ってしまうこともある。ましてや経験に乏しい小園は、修正をする術を持ち合わせていなかった。

 その後、二死一塁でプレーは再開されるが、小園は中田翔に四球を与え、つづく細川成也にレフト前にヒットを打たれ失点を喫してしまう。

 一度狂った歯車は戻らない。2回は先頭の木下拓哉にセンター前ヒットを打たれると、つづく村松開人のセーフティーバントを小園が捕球するも、丁寧に行き過ぎて送球が間に合わない。さらに、投手の松葉貴大の送りバントは三塁線ギリギリに転がり見送るもフェアゾーンに止まり、無死満塁となってしまう。

 その後、三好を三振に仕留め1アウトを奪うが、つづく田中の内野ゴロの間に1失点、さらに高橋の打球をファーストのオースティンがダイビングキャッチを試みるがミットを弾きまた失点。

 そして3回に松葉にタイムリーを打たれたところで、小園はマウンドを降りた。76球を投げて7安打、3四球、5失点。2回以降は、ストレートのアベレージも本人いわく3〜4キロ落ちしてしまうなど、小園らしさを発揮できぬまま悔しいデビュー戦となってしまった。

【ベテラン捕手の気遣い】

 ただ安打はすべて単打であり、守備の判断ミスも重なって"運が悪かった"といった向きもある。そのことについて問うと、小園は毅然とした態度でかぶりを振った。

「運が悪いで済めばいいですけど、結局ヒットゾーンに打たれているわけですし、自分がいいテンポで投げていたら、守備も安定したのかもしれない。後手後手のピッチングになってしまったことで、こういう事態が起こったと思うんです」

 すべては自分の責任だと、小園は潔く認めた。

「ところどころでいいボールはありましたが、0か100かというピッチングだったと思います。100のボールを投げたあとに、引っかけて0のボールを投げたり、2球で追い込んでいたにもかかわらず、変化球が甘く入ったり、落ち切らずに失点したり......。そういうのはもったいないし、やはり70〜80ぐらいのボールを常に投げられるようにならなければいけない」

 ベンチに下がったあとは、心にしこりを残しながらも、追い上げを試みるチームに声援を送った。そんな時、横に来て話しかけてくれたのがベテラン捕手の伊藤光だった。

「光さんに『緊張したか?』と訊かれたので、『すごくしました』と。すると光さんは、自分の初スタメンの話をしてくれたんです。『足が震えるほど緊張したけど、ここでやらなきゃいけないって自分を奮い立たせたんだよ』って。自分もそういう経験が3年目にして初めてできて、三振やアウトを取ったりするとファンのみなさんにすごい歓声や拍手をいただいて、それがすごく力になったんです。だからこそ、もう一度投げたいという気持ちが強くなりました。弱い気持ちで投げていたらチャンスはつかめないし、もっと強い気持ちで投げなければとあらためて感じています」

【親友からの辛口エール】

 また、現在トミー・ジョン手術を経てリハビリ中のライバルであり、チームメイトで親友の深沢鳳介がハマスタを訪れ、観客席から小園のピッチングを見つめていた。

「鳳介からは『先頭から三振をとった時はいくなと思ったんだけどなあ』と言われました。だけど、あとはもうディスられまくりです」

 そう言うと小園は苦笑した。盟友だからこそ歯に衣着せぬ言葉がありがたかった。

「きついことを言ってくれるほうがいいですよ。もっと頑張らなきゃなって」

 一軍というステージに上がったことで、自分ひとりのためではなく、チームのためはもちろん、家族のため友人のため、そして応援してくれるファンのために腕を振る意識と覚悟は以前よりも強くなった。この苦い経験を次に生かすことができるのか。真価を問われるのはこれからだ。

 現在はファームでローテーションをまわり、次なるチャンスをうかがっている。与四球も少なく攻めのピッチングで順調にイニングを消化し、また一軍で戦うために引き出しを増やすことをイメージして、チェンジアップや横滑りする改良を施したスライダーといった新球も試している。以前とは違う自分になって、再びハマスタのマウンドを目指す。

「まずはファームのバッターをしっかりと抑えることが大事だと思っています。かわして抑えるのではなく、しっかりストレートを通すところは通すなど、一軍を見据えたピッチングをしていかないとアピールにならない。絶対に同じことを繰り返さないよう、技術もメンタルもレベルアップを目指して、しっかりやっていきたいと思います」

 静かにだが闘志をみなぎらせるように小園は言った。まだ21歳になったばかり。魅力のある投手であることは間違いなく、一軍のレベルを肌で知ったからこそ理解できたこともある。デビュー戦では、予期せぬことでリズムの断裂が起こり負の要素となってしまったが、シーズンはまだ序盤戦。次はどんなトラブルがあろうとも"不動心"で果たして対処することができるのか注目したい。


小園健太(こぞの・けんた)/2003年4月9日、大阪府生まれ。市和歌山高から2021年ドラフト1位で横浜DeNAベイスターズから指名を受け入団。背番号はかつて三浦大輔監督がつけていた「18」を託された。1年目は体力強化に励み、2年目は一軍デビューこそなかったが、ファームで17試合に登板した。最速152キロのストレートにカーブ、スライダー、カットボール、チェンジアップなどの変化球も多彩で、高校時代から投球術を高く評価されていた。

著者:石塚隆●文 text by Ishizuka Takashi