入省試験で弾かれた農家の長男を掬い上げた小山進次郎の眼に、狂いはなかった。

元霞が関トップの“遺言”

年金ほど長い間「政局」に使われ続けた制度は他にない。激しい攻防といえば消費税が挙げられようが、1980年代後半からのことで、それも散発的なものだ。年金は制度発足以来、「少なくとも5年ごと」の法改正が義務付けられている。現役世代なら保険料の「出」、高齢者なら年金受給額の「入り」という金に直結する問題だから、改正ごとに大きな政治パワーが必要となる。

そのせいか、年金史に刻まれる「大改革」は、決まって強い政権の時に成立している。1959年の国民年金法成立時の総理は岸信介、1973年改正は田中角栄、1985年改正は中曽根康弘、2004年改正は小泉純一郎、GPIF改革は安倍晋三……というように。

いまわれわれが接している制度は、国会審議、世論、マスコミに揉みくちゃにされながら、「法改正」という襷がつながって形づくられたものだ。彼ら名のある政治家を軸に据え、国民皆年金制度が始まって60年に及ぶ変遷を描くことで、年金の本質が見えてくるのでは──そう、私は考えた。

ところが、「政治と年金」の切り口で官僚OBや政治家に取材を申し込み、その歴史を紐解いていくうち、私は煮え切らないものを感じた。多くの政治家たちは、どうやら年金制度の中身を理解していない。彼らは「年金額」「保険料率」「支給開始年齢」といった国民が反応する数字を示し、大まかな方針を示したに過ぎないのだ。

その緻密な叩き台をつくったのは、言うまでもなく年金官僚である。彼らは目先の選挙などに左右されないから、遠い将来にわたって国民生活に根付かせる制度設計を考えている。ところが年金官僚にスポットライトが当たる機会は、そう多くない。法律は建前上、役所の審議会、国会審議を経てつくられ、官僚に決定権があるわけではなく、その発言も「官僚答弁」で面白みに欠けるからだろう。

そうこうしている間に古川貞二郎の死の報に接した。その時私は、古川が甲高い声でポツリと漏らした言葉を思い起こした。「(私の取材は)彼ら(年金官僚)の供養にもなるからね」という〝遺言〟であった。するとモヤモヤしたものが晴れていく心境になった。

年金官僚にも本音は存在する。顧みられなかった彼らの思惑を推し量り、記録していくことで、現行年金制度の本質に迫れるのではないか。その視点で年金の歴史を紐解くと、「改革」の舞台の奥底から、確かに年金官僚の壮絶な攻防が浮かび上がってきた。

2025年、日本は、団塊の世代すべてが75歳以上の後期高齢者となり、国民の5人に1人が後期高齢者となる「2025年問題」に直面する。その年には年金法改正が予定されている。

歴史上経験したことのない高齢社会に私たちが立ち向かう時、年金はどう位置付けられるべきなのか。

その解は、政治とメディア、そして巨額な積立金に翻弄された年金官僚たちのドラマの中に、ちりばめられているはずである。

著者:和田 泰明