作曲家のキダ・タローさんが14日に亡くなりました。93歳でした。CMソングやテレビ番組のテーマ曲など、一度耳にしたら忘れない数々のメロディーを世に送り出しました。


■“浪花のモーツァルト”のCMソング

18歳の時、ピアノを弾いていたキャバレーのテーマ曲を頼まれ、作曲家として歩み始めました。

キダタローさん(当時62歳)
「自分が歌って涙が出るような、切ったらパッと赤い血がほとばしり出るような、そういうのが好きなんです」

1930年、兵庫県宝塚市で生まれ、西宮市で育ちました。刑事だった父が、結核で亡くなった兄のために買ったアコーディオンのおもちゃが、音楽を志すきっかけでした。戦後、ラジオから流れてきたジャズに心を奪われたといいます。

上品な語り口ながら、はっきりモノを言うスタイルはテレビ番組でも欠かせない存在に。

キダ・タローさん(当時62歳)
「上岡龍太郎さんがキダ・タローに“先生”と言うのが何でや?投書がまいりまして。『探偵!ナイトスクープ』の中で、キダ・タローとはこういう男であるとVTRをつくって出していただいたんです。それのタイトルが『浪花のモーツァルト』やったんです。別に辞退することもございませんし。(Q.モーツァルトも短期間にたくさん作曲)私の方が多いと思いますね」

■校歌を手がけ…町おこしも

校歌もつくりました。

校歌『伊丹市立荻野小学校』
「花のかおりあふれる庭に 集まる みんな さわやかな えがお きまり守って ちからを合わせ やりぬく子どもたちだ 荻野小学校」

伊丹市立荻野小学校 中江洋忠校長
「特に我々の世代はキダ先生を近く感じているので(着任して)感動しました。とてもこのリズムがテンポよくて、子どもたちもすぐに覚えます」

関西の活動にこだわり、愛し愛されたキダ・タローさん。2000年、好きだったゴルフが縁となり、町おこしに一役買うことになりました。妻の美千代さんと度々訪れ、中学校では本格的に指導も。当時中学生だった久間弥生さん。今は音楽の先生になりました。

中学時代に指導を受けた 久間弥生さん
「みんなで音楽を奏でることの楽しさ、色んな曲を聴く楽しさを教えてもらった。(今に)結びついていると思います。吹奏楽コンクールが終わると、ごほうびにホテルの食事に連れて行ってくれた。優しい方でもありました」

自らを弟子と言う、円広志さんは素顔をこう語ります。

円広志さん
「人間関係で悩んで、長いこと文章書いて、僕が悩んでますねんって言った時、キダ先生が一言だけ『あまり人に近づかんこっちゃ』と。その時に深い言葉やなと思って。(人に)近づかない。でも近づく人は大事にする。そういう人生観や美学があったんじゃないかな」

キダ・タローさん(当時62歳)
「青春の音楽なんですよ。長いことあったCMというのは、その時代に生きられました方が、ずっと聞いて育ってくださいますから」

「死ぬまで作曲」と話していたキダ・タローさん。オープンしたてのお店のテーマ曲が今日も街に流れています。