密着3年、子ども食堂を運営する“人情お父さん”と、ひとつ屋根の下で生活する高校生・パワー君。実の親子のような生活に“別れ”がやってきました。子ども食堂で育まれた2人の絆…旅立ちの春を追跡しました。
■7年前から「ながや」を運営
豪快にダンクシュートを決める高校3年生。ジョーンズ・パワーくん(18)。
「バスケットボールでプロになって、お金を稼ぐことを考えている」
夢はプロバスケットボールの選手。189センチの長身を生かして、現在、プロチームの下部組織のキャプテンを任されています。
「プロに近づいている。正しいステップを踏んでいると実感している」
パワーくんに初めて会ったのは、ながやに来て半年ほどたった3年前。当時は、顔を隠すことを条件に取材に応じてくれました。
高校1年生のパワーくんは、厳しい家庭環境の中で生活をしていました。
「(当時は)家族みんな、何日間かご飯食べられなかった。覚えているだけで(連続で)4日間ですね」
パワーくんが3歳のころ、アメリカ人の父親と日本人の母親が離婚。母親に引き取られましたが、経済的に困窮。そんな時、学校に紹介されたのが、子ども食堂「よこすか なかながや」でした。
7年前から、この「ながや」を運営しているのは、元トラックドライバーの和田信一さん(57)。
基本は日曜日以外、ここを訪れる子ども誰にでも、朝晩の食事を無料で提供しています。
「経済的に厳しい家庭の子どもが多いですね。その中で、学校に行けていない子どもたちもたくさんいるんです」
「お父さんみたいな感じですよね。ここまで自分のために、何かしてくれたり言ってくれたりするのは、親以外になかなかいないと思う」
実の父親のように、パワーくんを見守ってきた和田さん。
「高校生は、そこの回転ずし店とか行ってるんだろうな」
「金持ってるやつは、金持ってるからな」
「次生まれ変わったら、そういう人生も1回歩んでみたい」
「今は変えられないから。今のこの状況は、しょうがないよ。でも自分の子どもには、そうさせないようにしていこう」
今回取材に訪れると、和田さんは半年前から体調を崩していたと言います。
「大きな病院で入院したりとか検査して、ストレス性の狭心症ということで」
ながやの運営費をまかなうために始めたお弁当屋。心臓への負担を考え5カ月前に店を閉めました。
そのため、子ども食堂の運営費は企業や個人からの寄付だけとなり、これまでになく苦しい状況になっているといいます。
「ここを求めて必要性を感じて(ながやに)来ている子どもたちも、どんどん増えていて。長く続けなきゃいけないなと思っています」