全国のえびす神社の総本社、西宮神社(兵庫県西宮市社家町)ゆかりの伝統芸能「えびすかき」の継承に尽力した武地秀実(本名・小笠原秀実)さんが3日、死去した。68歳だった。

 えびすかきは、かつて西宮神社周辺に住み、全国にえびす信仰を広めた人形遣い集団。室町時代から活動していたとみられ、その人形芝居はユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産・人形浄瑠璃文楽の源流になったとも言われている。

 武地さんがえびすかきに関わり始めたきっかけは、1995年の阪神・淡路大震災だ。西宮市も大きな揺れに見舞われ、西宮神社に近い中央商店街も大きな被害を受けた。

 武地さんは2001年に起業し、この商店街に事務所を構えた。復興に向けて歩み出していた街のために、何か貢献できないか。着目したのが、地域に伝わるえびすかきだった。

 「地域が誇れる伝統芸能の復活を」。そう願い動き出したものの、簡単なことではなかった。

 明治後期に途絶えていたえびすかきの技術は口伝で、資料はほとんど残っていない。断片的に残る文献などをかき集め、人形浄瑠璃の演目として残る「えびす舞」や各地に伝わる神楽の動きを細かく研究。5年かけて再現にこぎつけた。

 06年に「人形芝居えびす座」を発足させ、座長に就いた。西宮神社でえびす舞を上演したり、近くの市立浜脇中学校の生徒に教えたりしながら、伝統芸能の継承に力を尽くした。

 「えべっさんがやってきた 幸せ配りにやってきた」。からっと明るい口上と笑顔が多くの人を引きつけた。だが、7年前にリンパ腫がみつかり、入退院を繰り返しながらの活動が続いていた。

 亡くなる2日前、明石市の住吉神社であった能楽会を車いすで鑑賞した。自身も芸の幅を広げようと毎年狂言を演じていた舞台だ。大雨のなか、いつまでもにこにこと舞台を見つめていたという。

 今後は、ともに活動してきた囃子方(はやしかた)の松田恵司さん(63)が、武地さんに代わり人形を操る。病床を見舞った際、「元気になって必ず戻るから、それまでしっかり頼むで」と言われたという。

 「心残りもあったと思う。みんなを笑顔にしたいという彼女の思いを継ぎ、元気で明るい舞台を続けたい」

 6月1日には、浜脇中学校と淡路人形浄瑠璃を学ぶ南あわじ市立南淡中学校の生徒らとの公演を控える。「西宮・浜脇のふるさとづくり」と題した舞台は今年で16回目。午後1時から、浜脇中に隣接する浜脇小学校の体育館で。問い合わせは人形芝居えびす座(0798・39・1723)。(真常法彦)