演歌歌手の八代亜紀さんが12月30日に死去していたことが分かりました。73歳でした。
公式サイト で1月9日に発表された訃報によると、八代さんは膠原病の一種「抗 MDA5抗体陽性皮膚筋炎」と急速進行性間質性肺炎を発症し、療養を続けていたそうです。

八代亜紀さん(2017年撮影、時事通信)

八代さんは 1950年8月生まれ 。
ユニバーサルミュージック公式サイト によると、熊本県八代市出身。1971年にレコードデビューした後、『愛の終着駅』『もう一度逢いたい』『おんな港町』『舟唄』などの数々のヒット曲を出しました。レコード・CDの総売上枚数が女性演歌歌手で1位の記録を保持しているそうです。

研ナオコさんが追悼メッセージをXに投稿

八代さんと同年の 1971年 にデビューした歌手の研ナオコさんは、追悼メッセージをX(旧Twitter)に投稿しました。
「何でこんなにも悲しいニュースばかり」と嘆いた上で、八代さんが研さんの娘を気遣ってくれたことを明かしつつ「色々有り難う御座いました」と感謝をつづりました。
「残念としか言いようがありません」「心よりご冥福をお祈り申し上げます」と結んでいます。

所属事務所・ミリオン企画は訃報の中で「一日も早い復帰を目指し治療とリハビリに励んでおりました」容態の急変により皆様へこのようなご報告をしなければならなくなりましたことは無念でなりません」とつづっています。
発表全文は以下の通り。

【ファンの皆様ならびに関係者の皆様へ】

平素よりご厚情をいただき心より感謝申し上げます
2023年9月に膠原病の一種であり指定難病である抗 MDA5 抗体陽性皮膚筋炎と
急速進行性間質性肺炎を発症し療養を続けておりました弊社所属の八代亜紀が
12月30日に永眠いたしましたことを謹んでご報告申し上げます
葬儀は八代自身の強い遺志により弊社スタッフのみで2024年1月8日に執り行い
とても穏やかな顔で旅立ちました
一日も早い復帰を目指し治療とリハビリに励んでおりましたが
容態の急変により皆様へこのようなご報告をしなければならなくなりましたことは
無念でなりません
代弁者として歌を歌い 表現者として絵を描くことを愛し続けた人生の中で
常に大切にしていた言葉は「ありがとう」でした
「一人では何も出来ない、支えてくれる周りの皆様に感謝を」という
父と母からの教えを八代自身は体現し続けて参りました
療養期間中も傍で支えるスタッフや医療従事者の皆様に「みんなありがとう」と感謝を伝え
最期まで八代亜紀らしい人柄が滲み出ておりました
これから先いつまでも八代亜紀が命を吹き込んだ作品の数々が沢山の人達に愛され
皆様の心の中に生き続けることを八代自身も望んでいると思います
後日にお別れの会を執り行いたいと思っております
詳細については改めてご案内申し上げます
今まで応援してくださったファンの皆様 関係者の皆様に心より深く感謝 御礼申し上げます
本当にありがとうございました
2024年1月9日  
株式会社 ミリオン企画

八代亜紀 / 舟唄(日本コロムビア 公式YouTubeチャンネル より)