2020年に初期の中咽頭がんと診断されたお笑いコンビ・ペナルティのワッキーさん。つらい闘病生活では、「舞台に立ちたい」という思いがモチベーションになったそう。高校の先輩でもある相方、ヒデさんへの思いも聞きました。

「原点の舞台でネタをもう一度やる」それだけを考えていた お笑いコンビ・ペナルティのワッキーさん闘病中は「笑い」が支えになっていた

── 闘病中、仕事のことが気がかりだったと思います。復帰後について、どんなふうに考えていましたか?

ワッキーさん:「復帰したら何をしたいだろう」と考えたときに、まず最初に浮かんだのが、「舞台でネタがやりたい」ということでした。劇場の舞台の上で、生のお客さんを前に、ヒデさんと一緒にコンビネタがやりたい。自分たちのホームであるルミネの劇場の舞台に立ちたいなと、ずっと思っていました。

── お客さんを前にネタをする“舞台”には、やはり特別な思いがあるのでしょうか。

ワッキーさん:僕らはやっぱり舞台が“原点”なんです。かつて銀座にあった銀座7丁目劇場でデビューし、みんなで切磋琢磨してネタを考え、ゴングショー形式で上がったり下がったりしながら、お客さんにも育てていただいた。ベースにあるのは、劇場の舞台でネタをすること。その原点に戻ったのでしょうね。

復帰後の再会でいつもはクールな相方の涙にもらい泣き

── 21年3月、公式YouTube「ペナルティちゃんねる」での復帰動画で、相方のヒデさんが再会に涙している姿に思わずグッときました。

ワッキーさん:相方はわりとクールなところがあって、人前で泣いたりするタイプではないんです。そんなヒデさんが、僕より先に泣くものだから、思わずつられちゃいました。

普段はたいして連絡なんかない…というか、むしろまったくないくらい(笑)。ただ、やっぱりヒデさんが、そこに居つづけてくれて、存在が感じられるだけでありがたかったし、自分のなかでデカかったんですよね。直接僕には言いませんが、“アイツがいない間は自分が頑張る”という思いでやってくれていたみたいです。つまり、それは僕の戻る場所があるということ。すごく助けられましたし、感謝しています。

お笑いコンビ・ペナルティ最初の復帰後、久しぶりにふたりで舞台に立った日の一枚(ワッキーInstagram【@japan_wacky】より引用)

── いったん復帰されたものの、再び休養されました。

ワッキーさん:自分の思っていた感じには、体調が戻らなかったんです。唾液も出ないし、もうちょっと療養が必要だなと。

── “ヒデさんを待たせている”というプレッシャーもあったりしたのでしょうか。

ワッキーさん:いや、それはなかったんです。ヒデさんはいつも、「待ってるから。大丈夫だから」と言い続けてくれたので、“待たせてしまって申し訳ない…”という後ろめたさを感じることなく、体を治すことに専念できました。

ただ、やっぱり僕らの原点である劇場をすごく大事に思っていることは伝わってきました。復帰してまだ劇場のことを考えていなかったときにも、「劇場、いつできそう…?」ということだけは、聞かれましたから。

── 劇場に復帰したのは、23年6月。会場のお客さんも大盛り上がりだったそうですね。久しぶりに舞台に立ち、どんなことを思われましたか?

ワッキーさん:「ようやくここに戻ってこられたな」と感慨深い思いがありました。お客さんが「おかえり!」と拍手で迎えてくれて、嬉しかったですね。

ただ、久しぶりの舞台だったので、さすがに緊張しました。ネタ合わせもまったくやらなかったので…。

── そうなんですか?あれほど待ち焦がれた舞台なのに。

ワッキーさん:“いや、もうそこはさすがにできるだろう。長い間やってきたわけだし”みたいな感じでしたね。お互いに「ネタ合わせしておこうよ」とも言わなかったですし。

夜逃げしたサッカー部の寮…戻ったら先輩に呼び出され「お笑いやろうぜ」

── さすがつき合いの長いお2人ですね。さかのぼりますが、ワッキーさんとヒデさんは、高校と大学のサッカー部の先輩と後輩ですよね。そもそもコンビ結成のきっかけは、なんだったのでしょう?

ワッキーさん:ヒデさんに誘われたのが直接のきっかけですね。高校(サッカーの強豪校・市立船橋高のサッカー部)時代から、サッカー選手を目指していたものの、大学時代に膝のケガでサッカーができなくなって、サッカー部の寮から夜逃げしたんです。

それから2〜3年ほど寮にも行っていなかったんですが、久々に遊びに行ったとき、一発目に開けた部屋に、ヒデさんがいて。「オイ!ちょっと便所に来い!」と言われ、「殴られるのかな」と思ったら、「俺と一緒にお笑いやらないか?」と言われたんです。いきなりの誘いだったので「まさか!?」とビックリしました。

お笑いコンビ・ペナルティの市立船橋高校サッカー部時代高校時代はサッカーの強豪・市立船橋高校で活躍したふたり

── そうなのですね。ヒデさんは、もともとお笑い志望だったのでしょうか。

ワッキーさん:大学卒業時に、当時の横浜フリューゲルスというプロサッカークラブからスカウトされていたのですが、本人はお笑いに興味があったみたいですね。当時からコントのネタのようなものを書きためていて、“これを誰と、どこで披露しようか”と考えていたらしいです。

── ワッキーさんの気持ちはどうだったのですか?

ワッキーさん:じつは僕も、高校時代から芸能界にチャレンジしてみたいという気持ちがあったんです。高校時代の夢は、サッカー選手になるか、海外に移住するか、芸能界にチャレンジするか。この3つのうちのどれかになると、周りには宣言していましたね。ただ、それがお笑い芸人なのか、歌手なのか、俳優なのかは考えていませんでしたけど。

僕らの世代は、ザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』を観て育っているので、志村けんさんの影響はすごく受けていますし、タレントのコロッケさんも好きでした。だから、ヒデさんに誘われたときも、「もしかして、いまがそのタイミングなのかもしれない」と思って、「じゃあやろうか」ということになりました。

── いいタイミングだったわけですね。

ワッキーさん:そうでしたね。なので、ヒデさんとは、もう35年くらいのつき合い。家族よりも長い時間を一緒に過ごしていることになりますね。

RPOFILE ワッキーさん

1972年生まれ、北海道出身。吉本興業所属のお笑い芸人「ペナルティ」のボケ担当。94年、高校・大学のサッカー部の先輩だったヒデと「ペナルティ」を結成。同年、銀座7丁目劇場のオーディションに合格し、デビュー。その後、テレビや舞台など幅広く活躍。2020年に初期の中咽頭がんを発症。21年3月に仕事復帰するも体調が戻らず、再び休養。同年12月に仕事を再開し、2023年6月に劇場に復帰。

取材・文/西尾英子 写真提供/ワッキー