私が全日本選手権初優勝をしても、誌面には「愛ちゃんが何回戦で負けた!」だったと語る元卓球選手の平野早矢香さん。「卓球3姉妹」と言われたなかで何を思っていたのか。(全4回中の2回)

「オリンピックで絶対にメダルを」が3人の共通認識だった

── 平野さんは2012年ロンドンオリンピックで、女子団体銀メダルを獲得。ロンドンオリンピック前後で変わったことはありましたか?

平野さん:ロンドンオリンピック前は、私は卓球界の中では知られた存在だったとは思うのですが、一般的には知られていませんでした。それがロンドンオリンピックを機に卓球の平野という存在がいると認識してもらえて、応援してもらえるように。

それまでの私は、(福原)愛ちゃんや(石川)佳純のように一般の方が見るようなメディアで取り上げていただく機会もほとんどありませんでした。18歳で全日本選手権初優勝をしたときも、「愛ちゃんが何回戦で負けた!」といった報道がほとんどでしたね。

── それを目にしてどのように感じていましたか?

平野さん:そのころの卓球はマイナー競技だったので、しょうがないというか、「卓球=愛ちゃん」の時代でしたので、それが普通。「いいな〜」とかそんなふうに思うこともありませんでした。私は、卓球で有名になりたいようなといった願望がまったくなくて、思っていたのは試合で目の前の選手に勝つこと。自分が強くなることや勝てなかった選手に勝てるようになること。卓球をする目的のベクトルはまったくそちらには向いていなかったので。

でも、言われてみれば優勝した映像ぐらい流してくれてもいいのにな、とか名前ぐらい載せてくれてもいいのにな、とは思っていたかも(笑)。

── ロンドンではそんなふたりと一緒に「卓球三姉妹」として注目されましたよね。その関係性にも視線が集まりました。

平野さん:仲よかったの?悪かったの?とたくさん聞かれましたね(笑)。仲よしグループっていうような人間関係ではなくて、プロフェッショナルなチームだったと思います。

卓球ってチームを組むこともある一方で、試合で対戦することもしょっちゅう。一番過酷だなと思うのは、きょうダブルスでパートナー組んでいた人と、翌日はシングルスで対戦しなきゃいけない、なんてこともあること。他の競技ではあんまりないですよね。

だから、自分のいろんな部分、卓球のことも含めてすべて明かせる仲だったかっていうと、そうではなかった。そうなると「仲悪いんですか?」と言われるので困るんですが、普通にみんなでワイワイ話しもしますし、コミュニケーションもとります。

当時を振り返ると、とにかくオリンピックで絶対にメダル取りたい、そのために自分が全力を尽くすことは3人の共通認識でした。別に誰が誰に話さなくても、みんなその気持ちでやっていましたよ。