カワサキマシンを駆る「RS─ITOH」を母体とする2チームに熱い視線が注がれている。全日本ロードの最高峰JSB1000クラスを戦う「KRP SANYOUKOUGYO RSITOH」は佐野優人(27)をエースライダーとして起用してフル参戦。また、ST1000クラスを戦う「MATSUBA RACING RS─ITOH」は中村竜也(23)が継続参戦。チーム体制をグレードアップして臨む。

無限の可能性求めて再び発進

 マツバレーシングは元々、若手育成を目的に立ち上げられたチームだ。黒川治監督は育成期間を3年と定め、2021年の中盤からST1000クラスに参戦し、昨年3シーズン目を終えた。最終戦で「残ったのは中村竜也がランキング13位、中村修一郎が同16位という結果だった。思い描いていたものではなく、もっとできたのではないかという思いが残ったが、どんな時も懸命に戦ったことは事実」と、後悔を抱えながらも戦い続けられたことに感謝した。

 これでプロジェクト終了と考えていた同監督のもとに、思いがけず、「このままでは終われないだろう」と手を差し伸べてくれる支援者が集まった。継続参戦できることが分かると、迷うことなく中村竜也に連絡を入れた。中村は「お願いします」と即答した。

 中村竜也は2007年、6歳の時に親子でバイク教室に参加してバイクに乗り始め、ロードレースアカデミーに入校してライダーを目指した。15年からはドリームカップに参戦、17年には地方選手権のST600クラスに出場するが、他車と接触転倒して脊椎骨折という大けがを負ってしまう。

 「大きなけがだったが、レースをやめたいという気持ちにはならなかった。独走できていればけがはしなかったとも思う。もっともっと速く走りたいと思って、自分はバイクが心底好きなのだと思いました」

 その強い気持ちを持って中村は19年から全日本ST600を戦い、22年にこのチームと出会ってST1000に参戦を開始した。「目指しているのはワールドスーパーバイク(WSB)なので、大きなバイクに乗りたかった。ST1000参戦が本当にうれしかった」と喜んだ。

 中村のサポートのために、井筒仁康氏もアドバイザーを継続することになった。「中村の助けになればと思う。ST1000クラスは激戦で、1戦1戦の重要性が高いので、開幕から流れに乗っていけるようにサポートしたい」と力を込めた。

 さらに、「RS─ITOH」の代表で、佐野優人をJSB1000クラスに参戦させる伊藤一成氏は「MATSUBA RACING RS─ITOH」のチームアドバイザーを務めており、「中村には技術的なことに加え、精神的にも成長を期待したい。決勝日にピークを持っていけるライダーを目指してほしい」と内面からのサポートを請け負う。

 黒川監督は「チームとしても、さらなるアップデートを目指したい。中村にもスキルアップしてもらい、周りが可能性を感じるレースをして、このチームを踏み台に羽ばたいてもらいたい」と期待をかける。

 そんな周囲に囲まれた中村は「伊藤さんは客観的なアドバイスをくれる。黒川監督は素晴らしいメカニックでもあり、井筒さんにはライダー目線の助言がある。マシンの挙動をうまく伝えられないなど言葉にならない自分の声を、井筒さんが汲んでくれて、黒川監督はマシンに生かしてくれる。常に進歩できる最高の環境が整った。自分の夢をかなえるためにも、しっかりと期待に応えたい」と気を引き締める。常にトップ10以内でのフィニッシュを最低限の目標に掲げてカワサキマシンでのNO・1を目指す。

 ST1000でカワサキ車を駆るのは中村の他に岩戸亮介がおり、岩戸のチームメートとしてJGP3で活躍した彌榮郡(みえ・ぐん)も加わった。ホンダ勢にはV3の渡辺一馬、昨季までJSB1000を戦っていた作本輝介、昨年ランキング2位に浮上した荒川晃大、同3位の國峰啄磨がいる。ヤマハ勢は豊島怜、横山尚太に加え、ST600から井手翔太がステップアップする。これら強豪に立ち向かう中村の躍進に注目が集まる。

強い信頼関係でコラボ RS-ITOH×マツバ

 埼玉県東松山市のバイクショップ「RS─ITOH」は、カワサキ車を駆るプライベートチームとして全日本ロード、鈴鹿8耐に29年参戦し続けている。カワサキのバイクに乗るライダーにとって頼れるチームとして知られている。RS─ITOHとマツバレーシングは3年前からコラボしている。

 両者の結び付きは固い。全日本ロードの2000年スーパーバイククラス王者の井筒仁康氏は2004年、プロゴルファーになるために現役を一時引退したが、09年に復帰する。この年は別チームからJSB1000に参戦したが、11年からRS─ITOHに所属して、後進の育成を掲げてST600に参戦。14〜17年はJGP2で走り続けた。この期間、黒川監督はメカニックとして井筒氏を支えてきた。

 18年に井筒氏がチームを立ち上げ監督業に専念するようになっても、チームの母体はRS─ITOHであり、マシンの保管、基本のメンテナンスなどはRS−ITOHが担っている。その関係は黒川氏が監督になっても変わらず、強い信頼関係が築かれている。

偉大なるライダーから魂の継承

 「KRP SANYOUKOUGYO RSITOH」は1995年から全日本ロードに参戦を続けている老舗チームとして絶大な信頼と人気を誇る。カワサキワークスで活躍した柳川明(52)を2019年から「ウィルレイズRS−ITOH」のエースライダーとしてJSB1000に参戦し、22年から「三陽工業」をチーム名に掲げ、昨年はST1000にも参入して佐野優人を起用した。

 今季の体制発表では、柳川は鈴鹿8耐が中心で、全日本ロードはオートポリス戦にスポット参戦するだけで、佐野をJSB1000のメインライダーに昇格させた。なお、鈴鹿8耐には柳川明、佐野優人と弟の勝人(25)の起用を決めている。

 伊藤一成監督は「柳川はカワサキの顔とも言えるライダーで、彼の代わりはいないが、いつまでも柳川に頼っているわけにはいかず、世代交代が必要だという思いがあった。レースに向かう姿勢が真面目で好感が持てたこと、バトルに強いことで佐野に託すことを決めた」と抜てきの理由を語った。

 1997年生まれの佐野は4歳からバイクに乗り始め、5歳でレースを始める。7歳でミニバイクにステップアップ、10歳で鈴鹿サーキットレーシングスクール(現HRS)に入校。14歳の時(2011年)から全日本GP125参戦。

 18年にはST600に転じ、デビューシーズンからトップ争いに加わった。同年の最終戦(鈴鹿)で激闘の末に勝利して一躍名前を知られるようになり、この年のルーキーオブザイヤーを獲得。鈴鹿での速さは特筆すべきで、どう猛な走りで目を引く存在だった。そして22年の8耐での走りに注目した伊藤監督が昨年このチームに呼び寄せた。

 佐野は「柳川さんに代わって自分がJSB1000にフル参戦することになり、うれしさもあったが、柳川さんは尊敬する大先輩で、代わりなんてできるわけはないとも思った。できることは、自分らしく走ることしかない。ずっと挑戦したいと願っていた最高峰クラスの一員になれたことを感謝して大事に頑張ろうと思っている」と意気込んでいる。

 開幕戦(鈴鹿2&4)の事前テストは厳しい寒さとの戦いとなり、ここで柳川が転倒して左足首を骨折し、開幕戦を欠場。佐野だけの参戦となった開幕戦も寒さは変らずで、レースウイークを通して転倒者が続出。決勝も途中で赤旗終了となったが、佐野は16位で走り切った。

 「決勝朝のウオームアップランの時間帯の寒さが厳しく、転倒の危険が大きかったためチーム判断で走らないことにした。データなしで決勝に挑んだので慎重すぎたと反省もあるが、その厳しい条件の中で走り切ってくれた。彼のポテンシャルは高く、これから、まだまだ光る走りをしてくれるはず」と、伊藤監督は今後の戦いに期待を寄せる。

 JSB1000で唯一人カワサキ車を駆る佐野は、強敵がひしめく戦いに「行くしかない」と攻めの姿勢を貫く覚悟だ。

 鈴鹿8耐(7月21日決勝)には柳川明と佐野優人&勝人兄弟で挑むことになった。柳川は言わずと知れたカワサキを代表するライダー。7月には53歳を迎えるが、厳しいトレーニングを課して現役を貫く姿勢は尊敬を集め続けている。開幕事前テストで負った左足首骨折から4月下旬には復帰予定だ。そして佐野兄弟も、それぞれに速さがあるだけに2人がそろえばその力が倍増すると注目されている。佐野優人は「柳川さんは自分たちにセットアップを合わせてくれると言ってくれた。弟は心強い味方だし、自分が中心となってしっかりセットアップを進めて上位を狙いたい」と誓っている。