◇記者コラム「ターフビジョン」

 2003年12月28日。まだ競馬を知らなかった中学生の自分は、テレビにたまたま映っていた有馬記念で1頭の漆黒の馬にくぎ付けになった。その馬の名前はシンボリクリスエス。オリビエ・ペリエに導かれた圧勝劇は、競馬の魅力を知るのに十分な衝撃で、その人馬は今でも自分にとってのスターだ。

 先週、そのペリエが現役を引退した。騎乗数減少はニュースで知っていたが、まだ51歳。武豊やデットーリよりも年下だけに、まだやれると思ってしまうのは自分だけではないだろう。

 ペリエとの個人的な思い出は、22年9月30日の仏・サンクルー競馬場でのこと。その日のサンクルーでは、スミヨンがレース中に他の騎手を肘打ちして落馬させる衝撃の出来事があり、競馬場全体がざわついていた。そんな中でもペリエは、凱旋門賞のために渡仏していた日本の記者団のために時間をとって取材に快く応じてくれた。

 自分にとってはスターと話す絶好の機会。「凱旋門賞を勝つ可能性があった日本馬は」と思い切って質問すると「ゼンノロブロイは勝てたと思うよ」と即答。背中で感じた能力や英国でも好走したタフさなど理由を真剣な表情で説明する姿、何よりペリエと話せた感動を一人の競馬ファンとして今でも覚えている。

 凱旋門賞3連覇、有馬記念3連覇など輝かしい実績を持つ名手の騎乗はもう見られない。ただ、現役を引退してフットワークも軽くなるはず。またいつか来日し、有馬記念のプレゼンターなど何らかの形で日本競馬に携わってほしいと思う。

(関俊彦)