◇渋谷真コラム「龍の背に乗って」

◇17日 中日2−0ヤクルト(バンテリンドーム)

 12試合連続2失点以下の球団タイ記録。14年前の記録に関わったエースは、ラジオ解説の仕事でバンテリンドームにいた。「9月でしたよね? 僕が投げたのはナゴヤドームでした…」

 吉見一起さんが投げたのは、3試合目の9月3日。一流選手の記憶力には本当に驚かされるが、まるで数日前のことのようにスラスラと話す。何とこの3試合前の登板から、登板間隔も含めあらゆる場面を正確に覚えていた。

 「それには理由があるんですよ。あの試合まで、僕は3回連続巨人戦、それも全て内海(哲也)さんとの投げ合いだったんです。森さんに言われたんです。『巨人戦には全部回ってくれ。どの試合に投げるかはおまえが決めていいから』って。あんなことを言われたのは、後にも先にもあの時だけだったので」

 吉見さんは8月19日(ナゴヤドーム)に完封したが、26日(東京ドーム)は何と5本塁打を浴び、2イニング7失点でノックアウトされていた。そこから中7日。三たびエース対決に臨み、6回途中まで1失点で踏ん張り、鉄より固い勝利の方程式(高橋、浅尾、岩瀬)に後を託した。

 しかし、残り9試合に吉見さんは投げていない。右肘が限界に達していたからだ。日本シリーズまでは投げたが、11月には手術。エースは痛みに耐え、チームを背負っていたのだ。

 当時の12試合は10勝1敗1分け(3完封)。この間に首位に立ち、10月1日に優勝を決めた。今回は9勝2敗1分け(4完封)。まだ4月だというのは重々承知しているが、吉見さんに「どちらが強い?」と聞いた。

 「あの頃の僕は20代です。今、40手前になって野球の見方が変わっているんですが、僕は今の方が強いんじゃないかと思います。当時の投手陣も良かったですが、今は本当に全員がいいですもん」

 最強のエースにこんなことを言われると、何だか舞い上がってしまう。それでも目の前の試合をひとつずつ。他球団は間違いなく中日の投手を恐れている。