長い時間をともに過ごしてきた愛犬Aとのあたたかい記憶と介護生活、お別れの日までを描いた、つづ井さんによるコミックエッセイ『老犬とつづ井』。たくさん笑えてほろりと泣ける本作が出来上がるまでのお話を、つづ井さんにうかがいました。


老犬との時間を忘れないうちに「絵日記」に


『老犬とつづ井』。

――単行本一冊、老犬とのエピソードに絞って描かれた本作。とても充実した読み応えがありました。

つづ井 実家でずっと飼っていた犬を介護するために仕事を辞めて地元に帰ってきて。それまでの元気で若いころの犬との生活とはちがって、老犬をお世話するのは私にとって初めての経験でした。元気な犬とはまた違ってうっすら悲しいけれど、すごく穏やかで私にとって特別な時間で。犬を看取ったときに、すぐには難しいけれど、この時間のことを絵日記の形で忘れないうちに残しておきたいと思いました。

――看取ってから描くまでにはある程度、気持ちを整理する時間が必要だったんですね。

つづ井 1年くらい経ってから、絵日記にするならどういうことを描きたいなとか、逆にこういうことはわざわざ描きたくないなといった気持ちが固まってきた頃、担当編集さんから「連載として一冊の本にするのはどうですか」とお声がけいただいたんです。

――どんなお気持ちで描かれていたのでしょうか。

つづ井 エピソードは自分が思い出して楽しい気持ちになるものをメインにしようと考えていたので、描いているときは楽しかったです。最後の方の看取りの話、まとめのあとがきのあたりは思い出して悲しくなっちゃったりもしましたけど。気をつけたのは、センチメンタルになりすぎないようにということです。

――センチメンタルになりすぎると自分の本心とズレてしまう?


『老犬とつづ井』。

つづ井 そうですね。私の場合、今までの絵日記は全部楽しかったことをメインに描いてきました。でも、『老犬とつづ井』は老犬とお別れする準備の時間を描いた一冊なので、どうしても描きながら感傷的になってしまうことがあって。たとえば、あとから思い返して「犬のAはあのとき、私にこんなことを伝えようとしてくれたんじゃないか」とか、過剰に過去に意味を持たせようとしてしまわないかなと。美化して描くようなことはしたくない、フラットな感じで描きたいと思いました。

――とても心打たれる内容ですが、抑制がきいていると感じました。

つづ井 担当さんには「私がAの気持ちを勝手に代弁したり、過剰にエモーショナルな感じになったり、読んでる人を泣かそうとするような演出が入っていそうだったらその場で私を殴ってでも止めてください」と連載が始まる前にお話ししていたんです。幸い、殴られることはなく無事に描き上げたんですけど(笑)。

「しっぽをふっている=うれしい」は本当?


『老犬とつづ井』。

――動物とこんなふうに理解しあいながら共生することができるんだなと思う一方で、言葉が通じる人間同士でもこんなにていねいに接しているだろうかと反省したりもしました。特に描きたかったエピソードは?

つづ井 特に描きたかったのは2つ。まず、一番描きたかったのが「老犬と感情」です。「犬はしっぽをふったらうれしいといわれてるけどそれって本当?」と悩み続けていて。

――その疑問を出発点に、長く一緒にいるうちにAの感情を感じ取れるようになってきたことが描かれたエピソードですね。

つづ井 もう一つが最後の方の「老犬と愛情」です。私からAに対して愛情表現をしたいけれど、どうやったら伝わるんだろうと悩んで。人間なら抱きしめるとか「大好きだよ」とかなんですけど。それで、Aが私にしてくれる「頭ぐりぐり」をしたら、喜んでくれているような気がしたんです。この2つはとても描きたかったですね。

 同じ言葉を持たない犬と人間という関係だけど、長く過ごしてると「気持ちが伝わったんじゃないか」とか、「今心が通じ合ってるんじゃないか」と思い込ませてくれる時間があった……という、どちらも同じような地味なエピソードなんですけど、Aと過ごした時間の中で、このことがすごく印象に残っているので。これからも忘れたくないし、絵日記に残せてとてもうれしいんです。

――地味なようでとてもドラマチックです。「こんなに穏やかに一緒の空間で過ごしておれるのってすごいことやない?」というセリフがありますが、本当にすごいことです!

つづ井 居心地がいいと思ってくれてるのかなと思って。

――ただそばにいて「一緒に過ごす」だけが居心地いいって最上位の関係ではないでしょうか。

つづ井 これが私の中で犬と暮らしたときの一番うれしかったことです。この先も一番思い返すんだろうなと思います。

別の生き物と暮らすおもしろさ


『老犬とつづ井』。

――Aちゃんが脱走しちゃったエピソード、「老犬と冒険」も微笑ましかったです。ひとりで外に出たことのない犬が遊びに行っちゃうなんて!

つづ井 何年一緒にいても「えっ、そんなことするんや」っていう意外なことが毎日のようにあるんですよね。別の生き物と暮らすおもしろさを実感します。

――人間でも「この人はこんなことしない」と勝手に思ってるだけなのかも、と考えたりしましたね。ちょうちょを追いかけるAちゃんの背中にそんなことを思って。本当に深い作品です。

つづ井 今でもたまにこのときのことを家族と話すんです。「こんなことする子だったんだ」って。みんな、不思議なエピソードとして感じてたみたいで。いい思い出です。

――Aちゃんとのドラマがたくさん詰まっていますね。つづ井さんが高校生の頃、Aちゃんが子犬を見つけた話といい。


『老犬とつづ井』。

つづ井 この話も、いつかどこかで描きたいなと思っていたんです。特別オチがある話でもないんですが、好きな思い出なのでこのタイミングで描けてよかったです。

――犬のちょっとした動作や反応も細かく描かれていて、読んでいて愛おしくなってきます。完全にご自身の中に姿が記録されているんでしょうか?

つづ井 自然に目に浮かぶというか……。そう言われるとそうなのかも? 疑いもせずに描いてましたけど。

老犬を遠隔で“撫で撫で”


『老犬とつづ井』。

――あとがきに老犬を看取ったあと、その思い出を時間をかけて振り返る中で「『ただただ悲しいこと』から『絶対に忘れたくない大切なこと』に変化した」と書かれていました。本作は、大切な存在をなくした方がこういう心持ちになれたらと思う作品ではないかと思います。

つづ井 そうなれたらうれしいです。

――描き上げたとき、特別な感慨がありましたか?

つづ井 老犬と介護の思い出をちゃんと一冊にしていただけてうれしかったです。今まで出させてもらった本とはまた違うテイストなので。じつは、表紙に関しては私のわがままで、担当さんとデザイナーさんにちょっと無理を言ってしまったんです。表紙のAのところだけ素材が違ったらさわりたくなる……たくさん撫でてもらえるかなと思って。

――これ、そういう意図だったんですね、すごい! Aちゃんを撫でられてうれしい!

つづ井 本作の中でも描いたんですけど、Aがなかなか眠れないときに遠隔でみんなに撫でてもらったんですよ。

――ツイッター(現X)のスペースで、リスナーのみなさんが手のスタンプで遠隔撫で撫でするエピソードですね。なんて素晴らしいアイディアだろうと思いました。

つづ井 Aは撫でられるのが好きな犬だったと思っているので、みんなに撫でてもらえたらと。私の自己満足なんですけど、こんな形でかなえてもらえて。ちょっとツルツルになったらどうかなと思っていたんですけど、こんなきれいな箔押しにしてもらえるなんて。とても大切な一冊になりました。

――これまでのつづ井さんファンはもちろん、「老犬」というテーマを通して多くの新しい読者が手に取り、長く愛される一冊になるのではないでしょうか。

つづ井 ありがとうございます。たくさんの方に読んでいただけたらうれしいです。

つづ井

元気で楽しそうな姿が評判を呼んでいる。作品に『まるごと 腐女子のつづ井さん』(文春文庫)『裸一貫! つづ井さん』『とびだせ! つづ井さん』(文藝春秋)。

文=粟生こずえ