韓国大統領室は10日、金寛鎮(キム・グァンジン)元国防相を大統領直属の国防革新委員に指名する方針を固めた。

金寛鎮氏は韓国陸軍第2軍団長、合同参謀本部作戦本部長、第3軍司令官、そして制服組トップの合同参謀本部議長などを歴任して陸軍大将で予備役となり、北朝鮮が2010年11月23日に強行した延坪島砲撃事件に際し、前任者の辞任を受けて国防相となった。

同氏は北朝鮮に対し一貫して強硬姿勢を取り続けた。国家安全保障室長となっていた2015年夏には、北朝鮮が非武装地帯に仕掛けた対人地雷により、韓国軍兵士らが身体の一部を吹き飛ばされる事件が発生。

なおも続く北側の武力挑発に対抗し、軍事境界線越しに29発の砲撃を行い、北朝鮮を謝罪に追い込んだ。北朝鮮が白旗を上げた南北高位級会談にも、金寛鎮氏は直接乗り込んでいる。

北朝鮮に金正恩政権が誕生して以降の軍事情勢を巡り、いちばん戦争に近づいたのは2017年だったと考える人が少なくないようだ。前年から相次いだ核実験・ミサイル発射に対し、当時の米トランプ政権が3個空母戦闘群を派遣。北とトランプ大統領との間での「舌戦」が熱を帯びたこともあり、情勢は大いに緊張した。

しかし2015年夏の状況をつぶさに見守った人々の多くは、このときの方がよほど危なかった、との見方で共通している。当時はまだ、北朝鮮で核兵器が実戦配備されていなかったと思われ、政府だけでなく世論も含め、韓国側が相当、前がかりになっていたからだ。

そして、その圧力の前で金正恩氏はひざを折った。その屈辱的な経験が、同氏をその後の「核の暴走」に駆り立てたと考えることもできるのだが。

いずれにせよ、金寛鎮氏は金正恩氏にとって、非常に因縁の深い相手なのだ。

文在寅前政権の発足とともに退任した金寛鎮氏は、在任中の軍当局の違法行為と絡み逮捕・起訴され、裁判は現在も継続中だ。しかし今、軍人として声望の高かった同氏を指弾する声はさほど強くない。少なくとも韓国の保守派は、「闘将復活」に歓迎一色だ。

そのような様子を見ながら、金正恩氏が胸中でどんな思いを巡らせるか、少し不気味ではある。