娯楽色の強い21本で語る世界史

 最近は「…で学ぶ歴史」「…で身につく教養」といったタイプの本が人気だ。そんな中、「またか」といいたくなる書籍が出た。『名作映画で読み解く世界史』(PHP研究所)である。名作映画を観て世界史を学ぼうという、映画ガイド本のようである。ところが……。

「著者名を見て驚きました。東京大学名誉教授で、古代ローマ史研究の大家、本村凌二先生ではないですか」

 と教えてくれたのは、ベテランの学術書編集者である。

 本村凌二教授(76)は、長く東京大学で教壇に立ち、古代ローマ史を専門にしてきた。1994年には『薄闇のローマ世界――嬰児遺棄と奴隷制』(東京大学出版会)でサントリー学芸賞を受賞した。『多神教と一神教 古代地中海世界の宗教ドラマ』(岩波新書)や、『興亡の世界史 地中海世界とローマ帝国』(講談社学術文庫)などのロングセラーのほか、初心者向けのローマ史解説書も多い。

「本村先生が映画ファンであることは有名で、『裕次郎』(講談社刊)なる本まで出しているほどです。しかし、今回驚いたのは、そのラインナップと解説内容です。さすがに凡百の映画ガイドとは一線を画した、ユニークな内容です」

 目次を見てみると、題材となった時代の古い順に、全部で21本の映画が紹介されている。最初は、古代ローマを描いた「ベン・ハー」「グラディエーター」だ。著者の専門分野なのだから、これらが取り上げられていることは、不思議でもなんでもない。ところが、そのほかは……「七人の侍」「幕末太陽傳」「スティング」「ニュー・シネマ・パラダイス」なども登場する。あらためて書名を見れば、間違いなく「世界史」とある。「七人の侍」で、どう世界史を読み解くのだろうか。これは要するに、本村教授が好きな娯楽映画を並べただけではないのだろうか?

「そうですよ。世界史がどうのこうのではなく、まず、私自身が好きな、しかも、あまり難しくない、娯楽色の強い映画を21本選んだのです。そのうえで、あとから世界史を読みとる論考解説を加えたのです」

 と、著者の本村凌二教授が平然と語る。

「ベン・ハー」の知られざる秘密

「編集者の協力も得ながら、1か月に2〜3本の割合で書いていきました。書く前に必ずもう一回見直していたので、全部でまる1年かかったでしょうか。そして、この年齢になって見直すと、自分のなかの“変化”に気づき、何度か驚かされました」

 もっとも驚いたのが、「ベン・ハー」(ウィリアム・ワイラー監督、1959)だった。

「この映画は、ユダヤ人のジュダ・ベン・ハーと、ローマ軍の兵士メッサラの物語です。子供のころ、初めて見たときは、傲慢な支配者=ローマ軍のメッサラと、虐げられる哀れなユダヤ人=ジュダとの、単純な善悪の対立話だと思っていました。しかし、大人になって古代ローマ史を研究するようになって、完全に見方が変わりました」

 実は、このころのローマ帝国の属州統治は、意外と寛容だったというのだ。

「だって、ローマ兵メッサラと、属州のユダヤ教徒ジュダが、対等に戦車競走に出場して、争っているじゃありませんか。しかもジュダは敬虔なユダヤ教徒でした。ということは、属州には信仰の自由が与えられていたのです。実はメッサラは、幼馴染みのジュダに対して、『ユダヤもローマの属州になったのだから、形だけでいいのでローマ皇帝に敬意を示してほしい』と言っているだけなのです。しかしジュダは聞く耳を持たない。あれではメッサラの立場がありません。いまではメッサラに同情したくなりました」

 では、なぜユダヤ教徒たちは、そこまで頑なだったのか。ここから先は、まさに“本村ブシ”全開。おそらく、映画「ベン・ハー」の解説で、ここまでわかりやすく、かつ深い文章は、ないだろう。中学生でも、十分読んで理解できる内容だ。

 前出の編集者が語る――「この『ベン・ハー』の章で、もうひとつ、目からウロコが落ちたのは、有名な戦車競走シーンの解説でした」

 このシーンは、映画史に残る15分間として、あまりに有名だ。

「映画では、馬4頭立ての戦車が、ローマ帝国が支配する主要都市の数=9台登場し、死闘レースを繰り広げます。ところが本村解説によれば、当時の戦車は2頭立てが主流だったそうです。しかも9台は多すぎで、実際には四季を意味する〈緑・赤・青・白〉4台で争われていたそうです。また、周回回数も史実より増やされているとか。映画を面白くするために、様々なフィクションが盛り込まれていたのです」

 本村教授は、大の競馬ファンでもある。『馬の世界史』(中公文庫)、『競馬の世界史 サラブレッド誕生から21世紀の凱旋門賞まで』(中公新書)といった“専門書”も上梓している。それだけに並大抵の説得力ではない。

 さて、ということは、「七人の侍」(黒澤明監督、1954)も、騎馬合戦シーンが有名なので、“馬”の視点で解説されるのか……と思いきや、ことはそう単純ではない。本文から引用する。

〈公権力が未発達な社会では、『七人の侍』の野武士に限らず、暴力によって他人の財産を奪う者が必ず現れます。そして、そうした者たちから命と財産を守るには、自力で戦うか、金銭で守ってくれる者を雇うしか方法はありません〉

 そのあと、

〈実は、こうした治安の問題は古代ローマにもあり、公権力の発達がローマの発展と深く結びついていたことがわかっています〉

 とつながって、若きカエサルが地中海で海賊に捕まった逸話が解説されるのだ。「七人の侍」で古代ローマ史を語ったのは、本村教授が世界で初めてだろう。

ロシア革命を描く「ドクトル・ジバゴ」を選んだ理由

 もちろん本書は、古代ローマ史の解説ばかりではない。1930年代のシカゴを舞台にした詐欺師の物語「スティング」(ジョージ・ロイ・ヒル監督、1973)では、当時の世界恐慌、シカゴの経済状況が解説される。ラストの大勝負が競馬がらみなので、ここでも“本村ブシ”がさく裂する。

「今回の21本は、基本的に私の好みで選びましたが、1本だけ、編集者の推薦で入れた作品があります。中国映画『活きる』(チャン・イーモウ監督、1994)です。今回初めて見ましたが、素晴らしい作品でした。ある家族を中心に、1940年代の内戦から、1960年代の文化大革命までを描く物語で、中国本国では未公開だそうです」

 本書では、この映画を紹介しながら、民主主義、社会主義、双方の問題点を解説し、ドストエフスキーや魯迅の文学作品へと話題が広がっていく。

「また、21本のなかには、周囲から『入れなくてもよいのでは』と反対されかけた映画もありました」

 それが、「ドクトル・ジバゴ」(デビッド・リーン監督、1965)だった。ロシア革命を背景にした壮大なメロドラマである。

「もうソ連を中心とした社会主義の国は、ほとんどが消滅したので、特にいま50歳代以下のひとたちには、古い内容だと思われたようです。しかし、資本主義が行き詰まると、必ず社会主義的な考え方がよみがえるものなのです。現に、ロシアも帝国主義が行き詰まり、人類初の社会主義革命(ロシア革命)が起きました。歴史は繰り返すといわれますが、これからの世の中がどうなっていくかを見極める意味でも、『ドクトル・ジバゴ』はたいへん重要な映画です」

 本村教授が映画好きになったきっかけのひとつが、小学校4年で観た、「嵐を呼ぶ男」だ。ファンが高じて『裕次郎』なる本まで上梓したのは先述のとおりである。

「主演の石原裕次郎は、実にカッコいいお兄さんだなあと、憧れました。その後は、『OK牧場の決斗 』のようなアメリカの西部劇を観て、欧米に対する憧れを抱くようになりました。しかし基本的に、私が愛好するのは、娯楽映画です。以前、美術評論家の高階秀爾先生と、ある席で映画の話になったことがあります。どんな映画がお好きなのか聞いてみたら、『先日観た薬師丸ひろ子の映画が、とてもよかった』と言われて、なるほどなあと感心したことがあります。映画って、それでいいのではないでしょうか」

 本村教授は、2021年に『20の古典で読み解く世界史』(PHP研究所)を出している。これは文字通り、『オデュッセイア』から『カラマーゾフの兄弟』まで、内外の古典名作を紹介しながら世界史を解説する本だった。

「しかし、ドストエフスキーのような長大な古典文学を何度も読むことは、時間的にも体力的にもたいへんです。それが映画なら、2〜3時間あれば十分楽しめて、勉強にもなる。ぜひ、いまの若い方々には、ここで紹介したような名作映画を観ていただきたいと思っています」

 本村教授は、この4月から、いよいよライフワークである「地中海世界の歴史」に関する本を、全8巻で刊行開始する(講談社選書メチエ)。

「それが終わったら、また、本書のような楽しい解説書を書きたいと思っています。ネタは山ほどありますので」

 今度は、何を素材にして「世界史」を読み解くのか、いまから楽しみである。

富樫鉄火(とがし・てっか)
昭和の香り漂う音楽ライター。吹奏楽、クラシックなどのほか、本、舞台、映画などエンタメ全般を執筆。東京佼成ウインドオーケストラ、シエナ・ウインド・オーケストラなどの解説も手がける。

デイリー新潮編集部