死について考えるとき、いつも思い出すエピソードがある。2012年の舞台「海辺のカフカ」のパンフレットで、俳優の木場勝己が語った話だ。彼が15歳のとき、祖母が隅田川に入水。父と遺体を洗っているときに、父が放屁したという。「人間は悲しみのど真ん中にいる時、それとは全く別の要素がいつも隣にあるという感覚は、自分がものを見る物差しになっていると思います」。俳優としてだけでなく人として大好きになった文言だ。ドラマでは死を美しく盛りがちだが、日常と地続きなのだと教えてくれた気もする。

 今期ドラマは死を扱う作品も多い。余命いくばくの父や祖母と向き合ったり、タイムリープで妻の死を防ごうと四苦八苦したり、姉や恋人の死の真相を突き止めようとしたり。ファンタジーやサスペンスはさておき、最も日常と地続きと感じたのは「お別れホスピタル」だ。

 原作は沖田×華(おきたばっか)。世の中の事象を奇麗事にせず、曇りなき目で見つめる作風が秀逸な漫画家だ。重度の疾患で医療を必要とする人や在宅治療が厳しい人、家族が介助できない、あるいは一人暮らしで生活が成り立たない人を受け入れる療養病棟が舞台。一度来たら元気になって退院する人はほぼいない。ここに勤務する看護師・辺見歩が主人公だ。

 演じるのは岸井ゆきの。患者との距離に日々迷いながら、「死とは」「愛とは」「家族とは」という正解がない問いに直面する姿を最適な湿度で表現。淡々と仕事をこなすが、問題も抱えている。妹(小野花梨)は、中学時代のいじめを機に摂食障害を患い、自傷を繰り返し、実家にこもっている。母(麻生祐未)は疲弊し、歩に妹のケアを託してくる。職場には「死にたくない」と叫ぶ人がいて、実家には「死にたい」と暴れる妹がいる。歩自身「死」「愛」「家族」を常に意識せざるをえない状況だ。

 看護師陣は師長役の仙道敦子を筆頭に、内田慈に円井わん。仕事ぶりに説得力のあるキャスティングだ。穏やかに冷静に終末期医療を担う医師陣には国広富之、そして患者家族の本音を読み取る能力が高い医師を松山ケンイチが演じている。

 医療従事者陣も盤石だが、患者や患者の家族を演じる役者も手練れを集結。十人十色の人生の閉幕を演じるにふさわしい顔ぶれなのよね。

 一人亡くなると立て続けに他界してしまった、同じ病室の女性たち(丘みつ子・白川和子・松金よね子)、死に方を自ら選んだ孤独な男性(古田新太)、家族がわんさか見舞いにくる隣の患者に嫉妬して、ナースコールを押しまくる寂しん坊おじさん(きたろう)、大病で性格が変わってしまった夫に寄り添い、人工呼吸器による延命治療を選んだ妻(泉ピン子)、土地や建物の権利書を持ち込み、金にも命にも執着する銭ゲバ患者(木野花)など。尊く美しく悲しい、だけではない死の現実味を体現していた。

 特に、第2話で夫の介護に疲弊した妻(高橋惠子)の心情描写が生々しく切実で。人それぞれの向き合い方がある。私も「死」「愛」「家族」を考える適齢期なので、刺さりまくっているわけよ。

吉田 潮(よしだ・うしお)
テレビ評論家、ライター、イラストレーター。1972年生まれの千葉県人。編集プロダクション勤務を経て、2001年よりフリーランスに。2010年より「週刊新潮」にて「TV ふうーん録」の連載を開始(※連載中)。主要なテレビドラマはほぼすべて視聴している。

「週刊新潮」2024年2月29日号 掲載