九代目春風亭小柳枝(こりゅうし)さんは落語ファンにはおなじみの顔だ。芸にはお客を納得させる力が宿っていた。

「先人師匠方の創られた良き落語の継承と伝達」が自分の目標といつも語っていた小柳枝さんの芸は、正統派の古典落語である。

 作家で落語に造詣の深い吉川潮さんは言う。

「時代を超えて通じる芸が古典です。小柳枝さんは古典を演じて、お客を江戸の世界にすんなり連れて行くことができました。物語にすっかり入り込み、おかげで登場人物は生き生きとして、情景も浮かぶようでした。芸の継承というのは、ただ古い噺(はなし)をすればいいのではありません。小柳枝さんは芸の重さを知り謙虚でした。自分らしさを強調せず、物語そのものを大切にして、先人がどういう気持ちで演じていたかも考えていました」

 落語評論家の広瀬和生さんも振り返る。

「小柳枝さんが出てくると安心感がありました。穏やかな気持ちにさせるのです。人柄が登場人物にも重なってくるようでした。無理に笑わせることもなく、落ち着いた語り口。日常的な部分の表現も大切にして、人物、情景に奥行きが出ました。お客を自然に楽しませ、必ず満足させることができました」

29歳で入門

 1936年、東京・四谷荒木町生まれ。本名は臼井正春。生家は酒屋を営んでいた。高校卒業後、測量会社で営業担当のサラリーマンに。落語を聴くのは趣味程度だったが、65年、四代目春風亭柳好さんに入門する。時に29歳と奥手である。

 自分がやってみたい噺をして自己満足になってはいけない、お客さんが聴きたい噺をしなさい、との師匠の教えを生涯大切にした。

 76年、春風亭柳昇さんの門下に移る。78年に真打に昇進、九代目春風亭小柳枝を襲名。当時、落語芸術協会では新作が多く、古典落語の本格派として期待された。

 意外なところでも名が広まった。80年に自宅の玄関で刃渡り20センチ以上の牛刀で斬りつけられ、両腕を50針以上縫う全治1カ月の重傷を負う。犯人は小柳枝さんが住む団地の1階上にいる顔見知り。自分の妻が小柳枝さんとできていると妄想して、殺してやると飛び込んできたのだ。男は殺人未遂の現行犯で逮捕。小柳枝さんは前年に結婚したばかり、全く浮いた様子もないのに災難だった。全国紙に「小柳枝さんご難」と顔写真入りで報じられる始末。

在留邦人に落語を披露するために世界各地へ

 高座以外でも注目された。日本航空から声がかかり、在留邦人に落語を披露するため世界各地を訪ねている。三代目古今亭志ん朝さんと一緒にヨーロッパを回ったこともあった。

「欲がなく賞を狙うような動きもしない。抜群の知名度こそないが、聴けば良さがわかる。日航に重宝されたのも納得です」(吉川さん)

「井戸の茶碗」「二番煎じ」「抜け雀」などが得意といわれた。

「登場人物が善人のものは、小柳枝さんが演じるといっそう良い人になるのです。情の部分がしっかり伝わり、お客も温かい気持ちになりました」(広瀬さん)

 古典落語を弟子のみならず、後進に気さくに教えた。ハワイアンバンド「アロハマンダラーズ」に入り、ウクレレや歌を披露していた。

 読書好きで、池波正太郎さん、落合信彦さん、そして古典落語研究家の興津要さんを特に愛読。趣味の日曜大工は玄人はだしだった。

 2013年、文化庁芸術祭賞の大衆芸能部門大賞を受賞。16年に脳梗塞で倒れるがリハビリに励み、1年後には復帰。20年、アロハマンダラーズの浅草演芸ホールでの舞台にも車椅子姿で出演、「君といつまでも」を楽しそうに歌っていた。

 1月31日、老衰のため88歳で逝去。入院していたが、その日も朝食を取り、眠るように亡くなった。

 江戸情緒を感じさせ、器の大きな人柄は終生変わらず。落語界の至宝だろう。

「週刊新潮」2024年2月29日号 掲載