2011年の東日本大震災で震度7を記録した宮城県栗原市。その栗原市出身の脚本家・宮藤官九郎氏(53)が、TBS「不適切にもほどがある!」(金曜午後10時)で、初めて「震災と人間」を描いている。岩手県北三陸を舞台の1つとしたNHK連続テレビ小説「あまちゃん」(2013年度上期)では被災シーンの直接的な描写を避けたが、今度は震災がもたらす悲劇に踏み込んでいる。【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】

クドカンが初めて描く震災

「あまちゃん」では東日本大震災の表現をオブラートに包んだクドカンこと宮藤官九郎氏が、「不適切にもほどがある!」では阪神・淡路大震災(1995年1月17日)の悲劇を描き始めた。

「あまちゃん」で東日本大震災の様子が放送されたのは2013年9月2日の第133話。クドカンは、人々の悲嘆も流される家も一切映さなかった。ジオラマだけで震災を表現。登場人物も誰一人として死なせなかった。

 クドカンは誰かが傷つくのが嫌だったのだろう。また、まだ震災から2年半しか過ぎていなかったので、自分の中で整理がついていない面もあったのではないか。クドカンは当時、「震災をフィクションの中に入れることには抵抗があった」と口にした。

 だが、ここにきてクドカンは震災に向き合う作品をつくり始めている。昨年、ディズニープラスで企画・監督・脚本を担当した山本周五郎原作の連続ドラマ「季節のない街」(全10回)である。このドラマは12年前に被災し、仮設住宅に住んでいる18世帯の住民たちが描かれた。東日本大震災を想起させた。

1995年に幕を閉じる父娘の歴史

「不適切にもほどがある!」はより踏み込み、震災がもたらす不幸を描き始めている。阪神・淡路大震災に巻き込まれる主人公・小川市郎(阿部サダヲ・53)にとって、一番の関心事は自分の生死ではなく、家族との関係だった。亡き妻・ゆり(蛙亭 イワクラ・33)の手紙から、1人娘の純子(河合優実・23)のヘソの緒まで常に持ち歩く市郎らしかった。

 市郎は不良女子高生の純子に手を焼きつつ、溺愛していた。純子もまた市郎が好きだった。第2回。現代から1986年にやって来た社会学者の向坂サカエ(吉田羊)に対し、純子が漏らした言葉でそれは分かった。

「(5年前にゆりが病気で死んだら)おやじがね、笑っちゃうぐらいダメになっちゃって、毎晩泣いてて。だから今は私がグレて気を逸らしてやってる感じ」(純子)

 しかし、父娘の歴史は1995年に幕を閉じることが約束されていた。2024年にタイムリープ中の市郎は、1990年に純子と結婚した洋服の仕立屋・犬島ゆずる(古田新太・58)から、自分と純子を待ち受けている悲運を知らされる。阪神・淡路大震災で父娘は死んでしまう。市郎はしばし言葉を失った。

市郎が大切なのは家族

 その後、市郎の口から出てきた言葉は自分の死についての嘆きや怯えではなく、家族との関係の話だけだった。純子とゆずる、孫の渚(仲里依紗・34)との短い未来である。

「良かった。(純子、ゆずると)ちゃんと打ち解けて仲良くなって」(市郎)

 純子夫婦の結婚後、市郎は2人と絶交していた。市郎は結婚に反対だったのだ。しかし、自分の判断を悔いているようだった。

 ゆずるから聞かされた話によると、市郎は震災の直前に純子とゆずるの住む神戸市に行き、スーツを仕立ててもらう。和解した。市郎は娘夫婦、孫と束の間の団らんがあることを喜んだ。

「(自分と純子、ゆずるで)酒飲んだり、孫を抱っこしたり、一通りあるんだろ。楽しみだ」(市郎)

 クドカンは「あまちゃん」のころから震災がもたらす最大の不幸は何なのかを考え続けていたのではないか。それは家族を失うこと、家族との歴史が終わってしまうことだという結論に至ったのではないだろうか。

 クドカンは郷里について無関心を装うこともあるものの、実際には宮城県の震災復興情報の発信や県のPRを行う「みやぎ絆大使」を務めている。「季節のない街」を撮ったことにも表れている通り、震災を忘れたことはないはずだ。

最初から核心は家族の物語だった

 ここで気づかされる。クドカンと磯山晶プロデューサー(56)はこのドラマで「昭和と現代で変わってしまったもの」を描きつつ、「いつの時代も決して変わらないもの」を伝えようとしているのである。それは家族愛だ。

 価値観や文化の変遷を表すだけのドラマなら、第1回から市郎の孫・渚を出す必要はなかった。最初から核心は家族の物語だった。いつもながらクドカンと磯山氏の作品には企みが隠れている。

 クドカンと磯山氏にとって、家族愛は定番とも言えるテーマである。2人がTBSのプライム帯(午後7〜同11時)で初めて組んだ「池袋ウエストゲートパーク」(2000年)の主人公・マコト(長瀬智也・45)は母親・律子(森下愛子・65)の無軌道な行動に悩まされ続けたが、一方で母親を悲しませる存在を決して許さなかった。

「木更津キャッツアイ」(2002年)は、死期が迫った主人公・ぶっさん(岡田准一・43)と父親・公助(小日向文世・70)の不器用な親子愛の物語でもあった。「タイガー&ドラゴン」(2005年)、「うぬぼれ刑事」(2010年)、でも親子愛は表された。「流星の絆」(2008年)では兄妹愛が描かれた。近作「俺の家の話」(2021年)の主人公・寿一(長瀬智也)は家族を愛するあまり、自分の死に気づかなかった。

常に完成度が高いクドカン・磯山作品

 一方で市郎は自分の死を甘受するのか。これも興味の的である。運命を受け入れるのか、それとも自分も純子たちも震災前に神戸市を離れさせ、歴史に抗うのか。過去を変えると未来も変化することは、作品内で何度も説明されている。伏線なのかも知れない。

 同じタイムリープ作品の日本テレビ「ブラッシュアップライフ」(2023年)の主人公・麻美(安藤サクラ・38)は運命に抗い続け、最後は幼なじみの命を救った。大抵のタイムリープ作品は運命に抵抗する。クドカンはどうするのか。彼の運命観が表れるのだろう。

 クドカン、磯山氏の作品はいつもそうだが、完成度が高い。働き方改革などを歌ったミュージカル部分は「ニッポン無責任時代」(1962年)など一連のハナ肇とクレージーキャッツの映画へのオマージュにほかならないが、元祖を超えている。歌詞とストーリーが完璧なまでに合致している。

 ギャグも冴えている。特に純子の毒舌や暴論に妙なリアリティがあり、笑わせてくれる。

「10代のうちに遊びまくって、クラリオンガールになるの」(第3回)
「(大学は)川島なお美と同じところに入りたいの」(第5回)

 青山学院大である。確かに、当時の多くの女子高生が偏差値を考えずに憧れる大学だった。

視聴率も好調

 構成も緻密。渚が市郎の孫であることが明確になったのは第5回だが、その関係は第1回から暗示されていた。元気だったころの妻・ゆりと幼い純子がピンク・レディーの「渚のシンドバッド」で踊っているビデオを、市郎が宝物にしていることが明かされていた。純子が娘に渚と命名したのは素直にうなずけた。

 視聴率は高く、13歳から49歳までに絞り込んだ個人視聴率のコアは4.4%で断トツ。ほかのドラマを寄せ付けない。意外や1986年を肌で知らない世代にウケている。

 全年齢に調査対象を拡げた個人視聴率は5.0%。同じTBSの「日曜劇場 さよならマエストロ〜父と私のアパッシオナート〜」(日曜午後9時)の6.7%に次いで2位だ。冬ドラマで1、2を争うヒット作になった。

 一部に前時代的な表現があることを問題視する向きもあるが、どうだろう。このドラマは旧作ドラマや古い映画を大量に流すCS放送のパロディでもあると見ている。

 CSは現代では許されぬ表現の修正を一切せず、冒頭でお断りを流すだけ。「不適切にもほどがある!」より、ずっと過激だ。

 過去、社会の総意として認めていた表現を否定しても仕方がないのではないか。それより、何が間違っていたか、どうやって繰り返さぬようにするのかを考えるべきだ。おそらく、このドラマはそれも訴え掛けている。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。放送批評懇談会出版編集委員。1990年にスポーツニッポン新聞社に入社し、放送担当記者、専門委員。2015年に毎日新聞出版社に入社し、サンデー毎日編集次長。2019年に独立。

デイリー新潮編集部