ディズニープラスで配信中の新作ドラマ「SHOGUN 将軍」(全10話)が、話題になっている。2月27日配信の第1回は、全世界で1週間に「900万回」再生され、同社サービスの最高記録を更新したそうである。

「ディズニー傘下のプロダクション〈FX〉が制作した、いわば“ハリウッド製サムライ・ドラマ”です。ところが、これが日本人が観ても驚くほどの迫力と、説得力ある内容なのです。今後、歴史時代劇は「SHOGUN 将軍」以前と以後で、分けて語られるような気がします」

 と語るのは、ベテランの映画ジャーナリストである。

 ご記憶の方も多いと思うが、これは1980年に米NBCで放映されたTVミニ・シリーズのリメイクである。さらにいえば、原作小説がアメリカで出版されたのは1975年。つまり、半世紀も前の作品が、いま、またよみがえっているのだ。なぜこんな古い題材が、いま蘇ったのだろうか。そして、今回の「SHOGUN 将軍」は、いままでと、どうちがうのだろうか。

原作者は元イギリス人将校

 小説『SHŌGUN』は、アメリカだけで800万部、全世界で最終的に1600万部超が売れたといわれる、前代未聞のベストセラーだ。

「著者のジェームズ・クラベル(1924〜1994)は、ベテランの映画脚本家・監督です。『大脱走』(脚本、1963)、『633爆撃隊』(脚本、1964)、『いつも心に太陽を』(脚本・監督、1967)など多くのヒット作を放っています。しかし、ハリウッドに進出するまでは、プロパーのイギリス軍人でした」

 と解説してくれるのは、海外出版に詳しい編集者である。

「彼は18歳のとき、イギリス王立砲兵隊の少尉としてシンガポールへ派兵されるのですが、日本軍の捕虜となり、チャンギ刑務所へ送られます。収容人員をはるかに上回る捕虜を押し込め、大量の死者が出た悪名高い収容所です。クラベルは、ここで初めて日本人と接します」

 その後、終戦で解放されてイギリスに帰国するが、交通事故で大けがを負い、除隊。大学に入って映画産業に興味をもち、ハリウッドに移りアメリカに帰化する。

「初期の脚本作『ハエ男の恐怖』(1958)がヒットし、脚本家として独立しました。ところがあるとき、脚本家組合のストライキがつづき、仕事がなくなってしまった。そこで、捕虜時代の体験をモデルにした小説『キング・ラット』(1962)を発表します。悪辣な環境の収容所における、連合軍捕虜たちの生存競争を描いた小説です」

 この小説がベストセラーとなり、クラベルは「映画脚本家・監督」と「小説家」の二足の草鞋をはくようになる。

「彼は日本軍の捕虜となりましたが、単純な日本嫌いにはなりませんでした。かえって日本文化に興味をもつようになります。その点、おなじくアジアで日本軍の捕虜となり、強制労働に従事したフランスの作家、ピエール・ブールとはちがいます。ブールは戦後、『戦場にかける橋』『猿の惑星』といった小説を発表しますが、これらに登場する日本の軍人や、人間を支配する“サル”は、典型的な“イエロー・モンキー”として描かれていました」

 そんなクラベルが、1975年に発表した大ベストセラー小説が『SHŌGUN』だった。

日本でもドラマが放映

 邦訳『将軍』は、1980年にTBSブリタニカから全3巻で刊行され、日本でもベストセラーとなった(綱淵謙錠監修、宮川一郎訳)。

「TBSブリタニカ(現・CCCメディアハウス)からの刊行という点がポイントです。というのも前年の1979年、同社からエズラ・ヴォーゲル著『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(広中和歌子・木本彰子訳)が出て、大ベストセラーになっていたのです。敗戦国・日本がこれほどの高度成長を遂げた理由に、日本人の勤勉性や読書習慣があることを指摘した、一種の“日本礼賛”本でした。その版元から、つづけてアメリカ人による“日本人論“的な小説が出たとあって、注目度がちがいました」

 発売1週間で10万部を突破、この年のベストセラー第8位にランキングされている。

「なにしろベテラン映画脚本家の筆ですから、ほとんどが会話で進行し、実に読みやすい。全3巻で1500頁超のボリュームながら、読み出すと止まらない小説です」

 内容はあくまでフィクションだが、関ヶ原合戦の前夜がモデルとなっている。史実では、秀吉の没後、徳川家康を含む五大老や石田三成らによる合議制の時代だ。混乱と緊迫の日々が、イングランド人航海士・ブラックソーンの視点で描かれていた。

 当時、週刊新潮が、さっそくこの小説を特集記事で紹介している(1980年9月25日号「欧米で1000万部のベストセラー『将軍』で合点される『日本の歴史』)。そのなかで、いちはやく読んでいた比較文学者の芳賀徹・東大教授(1931〜2020)は、こんな感想を述べている。

「作者のクラベルは面白い時代に目をつけました。(略)もちろん、史実と合わせれば、おかしいところはいっぱいありますよ。荒唐無稽なとでもいうんでしょうか。でも、なかなか読ませるところもありました。特に、イエズス会の連中とブラックソーンらがいがみ合うところなんか、宗教上の対立をうまくストーリーの中に埋め込んでいますね」

 実は、それこそが、この小説の面白さのひとつだった。先の編集者が語る。

「地球上はポルトガルのイエズス会(カトリック)とイングランド(プロテスタント)の2派による“分割支配”が決まっている。日本は、両派の覇権争いの舞台で、いままさにポルトガルによって”侵略”されかけている。しかし日本の戦国大名たちは、そのことに気づいていない。そこへ漂流してきたイングランド人が真実を伝える……のちの江戸時代=太平の世が成立した背景には、ひとりの西洋人がいたというわけです。海外では、この設定が受けました」

 この小説が、1980年、米NBCで計9時間のTVミニ・シリーズとなり、全米で最高視聴率36.9%の大ヒットとなる。放映日には飲食店の客足が減るとまでいわれた。これを機に、アメリカで「寿司ブーム」が起き、日本人が「佐藤サン」「鈴木サマ」と呼ばれるようになった。これらは総じて“ショーグン現象”とまで称された。

 日本では、1980年に2時間余に編集された映画版が劇場で先行公開。翌1981年、テレビ朝日系列で完全放映された。元駐日大使で、ハーバード大学のライシャワー教授が解説者として登場。第1回は31.3%の高視聴率を記録した。

 物語の主要登場人物は、こうだ(日本人名の表記は、2024年版ドラマに即した)。

・名前【史実のモデル】→1980年版ドラマの俳優/2024年版ドラマの俳優

・吉井虎長【徳川家康】→三船敏郎/真田広之
・戸田鞠子【細川ガラシャ】→島田陽子/アンナ・サワイ
・ジョン・ブラックソーン(按針)【ウィリアム・アダムス(三浦按針)】→リチャード・チェンバレン/コズモ・ジャーヴィス
・樫木藪重【本多正信】→フランキー堺/浅野忠信
・石堂和成【石田三成】→金子信雄/平岳大
・戸田広松【細川藤孝】→安部徹/西岡徳馬
・宇佐美藤【按針の妻】→千野弘美/穂志もえか
・落葉の方【秀吉の側室・淀殿】→佐野アツ子/二階堂ふみ

 1980年版ドラマは、エミー賞作品賞のほか多くの賞を受賞した。特に鞠子役の島田陽子はゴールデングローブ賞主演女優賞を獲得し、一躍“国際女優”となった。

 当初、鞠子役はジュディ・オングだったが、《魅せられて》がヒットしはじめていた。そんな時期に1年以上撮影に縛られることは不利だとして、泣く泣く降板する。当時、TV「ザ・ベストテン」で、涙をこらえて降板を語るジュディの姿が話題になったものだ。

 さらにアメリカでは、登場する女性たちの姿が話題となった。

「女性たちは、常に一歩下がって男を支える存在として描かれている。これには、当時のウーマン・リブ運動を苦々しく思っていた旧態依然たる男どもが、溜飲を下げました。特に島田陽子の気丈で献身的な姿は、欧米人が勝手に理想とするニッポン女性そのものでした。TVにしてはけっこう際どい島田の服を脱ぐ場面も話題となったものです」

 そして原作初出から約半世紀、ふたたび、この物語がドラマ化されたというわけだ。

真田広之のこだわり

「今回の主演は真田広之ですが、彼が総合プロデューサーもつとめています。まずこのことが、2024年版が成功した理由でしょう」(映画ジャーナリスト)

 真田は、まさに“命がけ”といってもよいような、八面六臂の大活躍だったようだ。

「1980年版とちがうのは、今回は、全編がカナダで撮影された点です。前回はアメリカ側が来日し、主に大映のスタッフを起用して、ほとんどが日本で撮影されました。三重県の紀伊長島町(現・紀北町)の海岸に村落や港の巨大オープンセットをつくり、アメリカから原寸復元された巨大帆船を回航。室内セットは、当時まだ稼働していた大映京都撮影所に組まれました」

 だが今回は、ロケもセットも海外である。そのため、真田は出演オファーにあたって、「日本人の役は日本人がやり、日本から時代劇専門のスタッフを呼ぶ。それを認めるなら引き受けますよ」と答えたという(読売新聞3月24日付)。

 そこで、カツラ、衣裳、セットデザイン、所作、殺陣、小道具など、”日本文化”にまつわるスタッフはすべて、日本から専門家を呼んだ。脚本も真田自身が全編チェックし、日米間で何度もやり取りを繰り返し、英文も日本語訳も修正させた。結果、それまで日本のTVや映画では観たことのないヴィジュアルが登場した。先の映画ジャーナリストの話。

「当時は電気などありませんから、夜間はロウソクやタイマツで灯りをとっていました。しかし、広い城内や屋敷内で、1本や2本のロウソクでは役に立つはずありません。大量に立てないと、灯りにならない。このドラマは、そこが徹底しており、夜間のシーンは、常にものすごい数のロウソクやタイマツであふれているのです」

 それだけに、いままでの時代劇しか知らない日本人には、夜間のシーンは、かえって異様に感じたようだ。SNSでは、これらを指して「ハリウッドが誤解して大げさに描いている」との声もあったという。

「しかし、これが正確なのです。大河ドラマで、1本のみのロウソクで会話しているような夜間シーンがよくありますが、あんなことはありえないのです。さらに、炎は常に揺れていますから、室内では影もチラチラ揺れていたはずです。今回はほぼ自然光で撮影されたと思われ、夜間シーンは極端に薄暗く、影が揺れている。ここまで徹底して描かれた時代劇は初めてでしょう」

 もうひとつ、この映画ジャーナリストが感心したのは”殺陣”のシーンだった。

「いままでの時代劇では、剣道試合のように刀を上下左右に振ると、相手はバッタリ倒れていました。これまた、当時の殺し合いでは、ありえない。実際には、喉首を斬り割いて、失血死させるのです。よって今回は、刀を敵の首筋にあてて、真横に引き裂く殺陣が続出しています。これらは、有料配信ドラマだからこそ可能になった演出です。地上波ではとても無理だったでしょう」

 こういった細かい点を、真田広之が徹底して指導した。

「1980年版でも、三船敏郎が『日本のサムライは、そんな物言いはしない!』と、セリフを直させています。しかし、あくまで自分自身のシーンに関してのみでした。しかし今回、真田さんは自分の出番のないときでも常に現場にいて、すべてのシーンにかかわり、徹底的に指導したといいます」

 真田広之は、映画「ラスト サムライ」(2003)への出演を契機に、ロサンゼルスに拠点を移した。以後、アメリカの映画やドラマに出演しながら、日本文化に関連した映像などのアドバイザーをつとめ、正確な日本の姿を世界に発信することに腐心してきた。その苦労が、20年目にしてようやく結実したのだ。

「しかし真田さんは、決してガチガチの時代考証にこだわっていません。ちゃんと欧米人が喜ぶような演出も残している。たとえば今回でも、南蛮人を釜茹での刑にしたり、低頭しない村人をその場で殺害したりするなど、原作小説にあったメチャクチャな場面も、ある程度、残しているのです。また、虎永(家康)が伝書鳩を使って情報入手するシーンがありますが、当時の日本には、伝書鳩はまだ伝わっていません。こういう硬軟あわせもった描き方が、世界で受け入れられた要因だと思います」

 もちろん、CGもふんだんに使用されている。

「さすがにハリウッドだけあり、どこまでが実写でどこからがCGなのか、判然としない自然な仕上がりです。昨年の大河ドラマ『どうする家康』は珍妙なCG場面が続出して失笑を買いましたが、あれとはレベルがちがいます」

原作者が本当に言いたかったこと

「もう一点、この2024年版が成功した要因は、原作小説の大筋を生かしながら、全編をダイナミックな政治ドラマに格上げさせた点でしょう」

 映画ジャーナリスト氏は、その点を強調する。

「もともと原作小説は、ブラックソーン(按針)が次第に日本語や日本文化を理解し、鞠子(細川ガラシャ)と心を通い合わせるようになる、ラブロマンスが主軸でした。1980年版も、そこに力を入れていて、だからこそ島田陽子の人気が爆発しました。しかし今回は、それらはあくまで脇筋です。日本を襲う巨大な宗教上の陰謀や、国内の争いに苦悩する虎永(家康)の姿が強調されています。鞠子も内に強いものを秘めた女性として描かれ、海外育ちの日本人、アンナ・サワイが見事に演じています。これこそが、原作初出から半世紀後のいま、ふたたび映像化された理由だと思います」

 よって、まさに、21世紀のいま、世界各地で起きている宗教・民族・国家間の紛争や、女性差別を代弁しているように観ることもできるのだ。

 だが、先の海外出版の編集者は、こんな皮肉な見方を提示する。

「今回、あまり話題になっていませんが、実は原作者のジェームズ・クラベルは、日本では、ある超ロングセラーの著者なんですよ」

 それは、『23分間の奇跡』(青島幸男訳、集英社文庫)。1983年に邦訳初刊。以後、40年以上たったいまでも読まれている名作である。かつて、読書感想文の課題図書で読んだ方もいるのではないか。

「原題は『The Children’s Story』。邦訳で90頁足らずの短編です。舞台は、戦争で負けた、ある国の小学校のクラス。そこへ新任の女性教師がやってきて、朝のたった23分間で、子供たちを、社会主義国と思しき戦勝国の思想に”洗脳”してしまう話です」

 青島幸男は「訳者あとがき」で、こう書いている――〈思えば、この国にも似たようなことがあった。/「鬼畜米英われらの敵だ」「撃ちてしやまん」……(中略)やがて、ラジオから流れる”カム・カム・エブリボーデ”のメロディとともに、子ども心はするすると戦後の民主主義に変っていったのであり、”鬼畜米英”はいつの間にかどこかへ消えたのであった。〉

「この『23分間の奇跡』は、もとは1963年に女性誌に発表された寓話でした。それが1981年になってクラベル自身の脚本・監督でTVドラマ化されるにあたり、初めて単行本化されたのです。つまりTVドラマ『将軍』大ヒットの翌年です。日本人について研究していたクラベルだけあって、この寓話は、青島幸男がいうように、単純に洗脳されてしまう日本人の姿がモデルともいわれました。だとしたら、クラベルが『将軍』でほんとうに描きたかったのは、単なる歴史劇ではなく、すぐに外国に従ってしまう日本人の単純な気質だったような気もするのです」

 実は『将軍』こそは、日本人の本質を見事に突いた、典型的な”日本人論”だったのかもしれない。

森重良太(もりしげ・りょうた)
1958年生まれ。週刊新潮記者を皮切りに、新潮社で42年間、編集者をつとめ、現在はフリー。音楽ライター・富樫鉄火としても活躍中。

デイリー新潮編集部