作家のものとは思えない展示物

 3月30日から横浜市の神奈川近代文学館で開催されている「帰って来た橋本治展」。展示された約450点の作品群は、5年前に70歳で亡くなった橋本さんの魅力が満載だ。橋本治さんが遺したマルチな“表現”とは。

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 小説家の回顧展といえば、著者近影の大型パネルに、代表作の生原稿、そして数々の受賞歴を記した年譜の展示が相場だが、この方の場合、手編みのセーターやポスター、切り絵、絵画など、およそ作家のものとは思えない多様な展示物で溢れている。

 橋本さんの名前が最初に世に出たのは、東京大学在学中、2年生の時に作成した駒場祭のポスターだ。

 任侠映画風のポスターの「とめてくれるな/おっかさん/背中のいちょうが/泣いている/男東大どこへ行く」の粋なキャッチフレーズは今読んでも格好いい。東大生のお堅いイメージを覆すしゃれの利いた表現は、当時大いに話題になった。

 東大卒業後はイラストレーターや切り絵作家として活動。

 有名なヒット曲「昭和枯れすゝき」(さくらと一郎)のレコードジャケットも実は橋本さんの手によるものだ。

 そんな橋本さんに再びスポットライトが当たったのは、29歳の時。1978年に刊行された小説「桃尻娘」だ。女子高生の話し言葉を駆使したこの作品は、後に映画化され、“作家・橋本治”の知名度を高めた。これを機に橋本さんは評論、小説、古典の現代語訳など本格的に創作活動を開始する。

権威にこびない姿

「ものすごく頭の良い人。だけど、勉強家という印象はない。好きでやったことの延長に作品があるという感じ」と言うのは、今回の企画展の編集委員であり、出版社勤務時代には担当編集者として橋本さんと伴走した経験のある作家の松家仁之(まさし)さん(65)だ。

 松家さんが懐かしそうに語ってくれたエピソードに、権威にこびない橋本さんの横顔がある。

「2002年、橋本さんは、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』で『小林秀雄賞』の第1回受賞者に選ばれました。きっと喜んでくれると、勇んで電話をかけたんですが、“どうしようかなあ。だってこれもらうと小林秀雄について何か書かなきゃいけないんでしょ”と反応が芳しくない。説得してようやく承諾してもらいました」

 受賞を渋った橋本さんだが、その後、賞に応える形で『小林秀雄の恵み』を上梓。
義理堅い人なのだ。

 一方で、2005年『蝶のゆくえ』で柴田錬三郎賞を受賞した折には、子どものように喜んだという。

「きっと小説家として評価されたことが心の底からうれしかったのでしょう」(松家さん)。

 多芸多才の人、橋本治。そのマルチな“表現”をこの機会にぜひご堪能いただきたい(会期は6月2日まで)。

撮影・本田武士

「週刊新潮」2024年4月11日号 掲載