松竹芸能は4月18日、公式サイトで「弊社所属芸人みなみかわは、5月末日をもって退所致します」と発表。みなみかわ(41)本人はSNSで「史上初の円満(退所)」とアピールしたが、その決断を後押ししたとされる「史上最強の芸人嫁」と呼ばれる“美人妻”の素顔とは。

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 松竹は退所発表のなかで「本人の意思を尊重致しました」と理由を説明。しかし「その意思」について、みなみかわだけでなく、妻・南川雅代さんの意向も多分に含まれていると話すのは、さるお笑いライターだ。

「雅代さんといえば、みずから夫の仕事を取ってくる“凄腕の営業マン”として知られた存在です。実際、松竹を通さず、みなみかわ本人にも相談せず、吉本所属の東野幸治や千原ジュニア、元テレビ東京プロデュ―サー・佐久間宣行氏らのSNSに直接DMを送って『ウチのみなみかわと何でもいいのでお仕事を一緒にしていただけないでしょうか?』と共演をオファー。一面識もなかったため、送られた側は当初“イタズラちゃうか?”と戸惑ったそうです」

 とはいえ、本物と分かるや、皆が快諾。最終的にみなみかわは3人とそれぞれYouTube番組で共演を果たし、“大物”との仕事を見事ゲットした。

「ジュニアはみなみかわと対談したYouTube番組で『この手があったか』と驚きを隠さなかった。オファーを受けた理由として『奥さんに言われたら、なんか断りづらい』と語り、さらに『こんな根性の持ち主(中略)ホンマ、ええ奥さんもらって』とベタ褒め状態。雅代さんはジュニアへの営業が実を結んだことを機に『DM(営業)に専念したい』と仕事を辞めたことを明かし、ジュニアを爆笑させていました」(同)

mixiが交際のキッカケ

 みなみかわと雅代さんは2012年に結婚。2人の子供に恵まれるが、そもそもの馴れ初めが「ユニーク」だった。

「いまから十数年前、無名時代のみなみかわをたまたまテレビで観た雅代さんは“私、この人と結婚する”と直感したとか。当時はいまほどSNSが発達していなかったため、雅代さんはmixiのDMを使ってみなみかわへ連絡。これがキッカケで交際に発展しますが、夫の仕事だけでなく、恋の成就にもDMが一役買ったそうです。また雅代さんは独身時代、渋谷109のジュエリーショップで販売員を務めていた経験があるなど、“営業”は昔からお手の物だったようです」(同)

 まったく売れていなかった時代から、みなみかわのことを「絶対、売れる」と確信していたという雅代さん。東野らにDMを送った際も「松竹芸能がアテにならないから、うちの旦那、絶対おもろいと思ってもらえるんで」といった文章を添えていたという。

「すでに雅代さんは昨年3月に事務所を設立し、社長に就任。その際、『松竹芸能さん、怒らないでください!』とSNSで謝罪し、みなみかわの所属先である松竹へは“事後報告”の形になった。“掟破り”の行動が目立ちますが、いまのみなみかわのブレイクは雅代さんの存在を抜きに語れず、雅代さん本人は『(タイタン社長の)太田光代になりたい!』と公言しています」(同)

ブレイク後もバイト生活

 実はみなみかわはブレイク後のいまもバイトを続けていると、ネットメディアの「タイミーラボ」で明かしている(2024年3月18日公開)。バイト歴は約20年におよび、「もともとケチ」で何事も「時給で換算」する性分から、いまでも簡素な生活を心掛けているという。

 むしろ「妻のほうが金銭的には芸人気質で、突然30万円のソファーを買ったり、美容室に3万円を使ったりして……」とも語っているが、“ノロけ”のように聞こえると評判だ。

「時に芸人の夫より前面に出るなど、芸人仲間からは“イタイ嫁”などと呼ばれる雅代さんですが、周囲の雑音を気にすることなく邁進できるのも、芸人としての夫の才能を信じているから。雅代さんが憧れる太田光代さんも夫で『爆笑問題』の太田光氏の成功を陰で支えましたが、雅代さんの場合、すでに“内助の功”を飛び越えて実質プロデュース業にまで進出。フツーの会社員だった女性が、業界に何の人脈もないなか、DMという唯一のツールを武器に旦那をブレイクさせた手腕は“アッパレ”のひと言です。いまや進化を遂げる『芸人ヨメの最終形態』なんて囁かれています」(同)

 松竹退社後、みなみかわは雅代さんが設立した事務所「合同会社ナンセ」に所属。第2のタイタンとなる日は来るか。

デイリー新潮編集部