同じ時期には「だいじょうV!」「ダッダーン! ボヨヨン、ボヨヨン」

 1991年、年号が昭和から平成に変わって3年目、日本はまだバブル景気が続いていた。モノがよく売れた時代ゆえ、企業はさらにモノを売るためにテレビCMに資金を投下する。おかげでこの時代には記憶に残るCMや名作CMが多数生まれている。【華川富士也/ライター】

 例えばハリウッドスターとして絶頂期にあったアーノルド・シュワルツェネッガーが、やかんを持って体操する「日清食品カップヌードル」(1990年)。魔神になったシュワルツェネッガーが「だいじょうV!」とゆるいダジャレをかます武田の栄養ドリンク「アリナミンV」(1990年)。女子プロレスラーのレジー・ベネットが水の中から現れ「ダッダーン! ボヨヨン、ボヨヨン」と胸を揺らしながらポーズを取るピップフジモトの栄養ドリンク「ダダン」(1991年)。2000年代にEXILEの代表曲となった「Choo Choo TRAIN」は、1991年の「JR東日本 JR ski ski」キャンペーンソングとして使用された。歌っていたのはZOO。EXILEを率いたHIROもメンバーだったのは有名な話だ。

「日清食品カップヌードル」は、1992年に「hungry?」シリーズを開始し、原始人がマンモスを追いかけるCMはカンヌ国際広告映画祭でグランプリを受賞している。同じ時期には三共・リゲインの「24時間、戦えますか。」や、高田純次のハマり方が見事だった中外製薬・グロンサンの「5時から男のグロンサン」といったCMも放送されており、どちらもコピーが一人歩きして広く使われるほど人気を博していた。栄養剤が目立つのは、それだけ日本人が“モーレツ”に働いていたってことだろう。

キャラの声は故・財津一郎さんが担当

 このような濃いCMが数多く放送される中で、ほっこりとしたキャラと内容で人気を博したのがNECの「バザールでござーる」と、登場するおさるのキャラクター「バザール」だった。NECの販売促進キャンペーンのために誕生し、1991年11月にテレビCMが放送されると、キャラの声を担当した故・財津一郎さんが醸し出す独特の味わいも相まって、一気に人気に火がついた。プレミアムグッズを作れば同社が驚くほどの応募があったといい、文房具やマグカップ、ブランケットといった数々のノベルティグッズが生産された。なんと絵本にもなって2冊出版されている。キャンペーンの枠を超え、大人から子供まで、パソコンを買わない層にも大人気になったのだ。

「バザールでござーる」のキャンペーンを手掛けたのは、当時電通に在籍していたCMプランナー・佐藤雅彦氏。湖池屋の「ドンタコス」「ポリンキー」「スコーン」、サントリーの「モルツ」など、覚えやすいメロディに商品名を乗せて連呼するヒットCMを次々と生み出していた。94年に電通を退社した後も、NHK教育「おかあさんといっしょ」内で流された「だんご3兄弟」のような社会現象になるほどの大ヒット作を作詞&プロデュース。同局の幼児向け番組「ピタゴラスイッチ」の監修も務めている。佐藤氏は1999年に教育界に転身して慶應義塾大学環境情報学部教授に。2006年から東京芸術大学大学院映像研究科教授。2021年に東京芸術大学名誉教授に就任している。

NECのキャラクターを継続

 広告業界で誰もが「天才」と認めた佐藤氏の代表作のひとつが「バザールでござーる」。そしてそのキャラは、誕生から33年経った今もNECのキャラクターとしてマイペースで活躍中だ。

 NECのホームページで検索欄に「バザール」と打ち込むと、「バザールでござーる」のサイトが表示される。そこにはPC用、スマホ用のカレンダー壁紙、印刷できる卓上カレンダーなどがあり、毎年更新されている。さらに「プリントアイテム」コーナーには、印刷して使えるポストカードやブックカバー、メモ、原稿用紙なども用意されている。バザールはNECのキャラクターとして生き続け、“ファンサービス”は今も継続しているのだ。

 とはいえ、NECは、2013年にスマホ事業から撤退。個人向けパソコンに関してはブランド名こそ残っているが、レノボの傘下にある。CMが始まった1990年代とは事業構造がガラッと変わって個人向け事業が縮小しており、「バザールでござーる」のサイトやキャラを維持する必要性も小さくなっている。リアルタイムでCMを見ていたファンには懐かしさもあって嬉しいが、わざわざコストをかけて残しているのはなぜなのか。疑問点をNECに聞いてみた。

テレビCMの終了から20年経ったものの

 まず、CMはいつまで放送していたのか? NECの広報担当者によれば、「2004年1月まで放送していました」。テレビCMがなくなってちょうど20年だった。

 上記のように元々は販売促進のキャンペーンキャラクターと位置付けていたが、現在は、「お客様にNECへの親しみを持っていただくためのキャラクターという位置付けです」。放送されたCMのインパクトはかなり大きかったようで、「90年代から2000年代前半にかけて多くの方にバザールでござーるを認知いただいたおかげで、その後、ビジネスのお客様にも変わらず認知いただけている状態でした。また、バザールが皆様に親しみをもっていただけるキャラクターでしたので、変更することなく、現在に至っています」という。

 企業のひとつのキャンペーンキャラが、キャンペーンおよびCM放送を終えて20年を経ても企業に大切に残され、一方で見ていた人々の記憶から消えず、キャラへの愛情さえ抱かれ続けているのは、かなりレアなことだといえる。この点については「露出はたしかに減りましたが、出過ぎなかったことで『飽きた』と言われることもあまりなかったように思います。長く続けたことで、世代を超えて、幅広い年齢層のお客様に受け入れていただけていると感じます」。

「日々淡々というスタイル」

 コロナ渦中にはCM放送から30周年を迎えていた。この30年の間にNECの事業構造が変わったことで、バザールは大きな役割は終えているが、「何周年というような特別なことは行わず、日々淡々というスタイルにしています。今後も日々の中で時々皆様にクスっと笑っていただけるキャラクターでいられますと、幸いです」。X(旧ツイッター)アカウント@NEC_bazarは「積極的な投稿を予定していないため削除しました」という。

 昨年10月にはバザールの声優を務めた財津一郎さんが亡くなっている。動画を復活する可能性や今後については「今回、このような形で取り上げていただきありがとうございます。今の状態が現在の“通常モード”となっております。積極的に展開するような新たな計画は現状予定しておりません。動画等の作成は予定しておりません」とした上で「バザールの声を務めていただきました財津一郎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます」とした。

 バブル景気は遠い昔に泡と消え、あの頃の派手なアレコレも夢のような思い出話になっている。不景気も長い年月もものともせず、会社の事情も乗り越えて今も愛されているバザール。これからも思い出した時にNECのサイトにアクセスすれば会える。

華川富士也(かがわ・ふじや)
ライター、構成作家、フォトグラファー。記録屋。1970年生まれ。長く勤めた新聞社を退社し1年間子育てに専念。現在はフリーで活動。アイドル、洋楽、邦楽、建築、旅、町ネタ、昭和ネタなどを得意とする。過去にはシリーズ累計200万部以上売れた大ヒット書籍に立ち上げから関わりライターも務めた。

デイリー新潮編集部