島には火山起源のものとサンゴ起源のものがあるという。火山島とサンゴ島では、利用できる資源が違うので、人間が住んでいる場合、そこに交易が生まれる。たとえばサンゴ島からは織物やベッ甲素材、火山島からは土器やウコンといった具合だ。そうやってオセアニアの島々では人類の交易が続いてきた。

 なぜ急にオセアニアのことを書き始めたかというと、国立民族学博物館へ行ってきたからだ。1977年に大阪万博跡地に開館したミュージアムだ。

「人類の進歩と調和」を掲げた大阪万博は「未来」らしさにばかり注目が集まる。確かに電気自動車や動く歩道など、当時としては物珍しいものが溢れていた万博は、訪れた人に未来を想起させる場所だった。人類は無限の進歩をしていくのだろう。21世紀は素晴らしい時代になっているのだろう。そんなふうに信じた来場者もいただろう。

 だが万博も一枚岩だったわけではない。太陽の塔の設計者として有名な岡本太郎は、万博準備中から「人類は進歩していない」と公言してはばからなかったという。そして進歩史観をもとにした未来志向の万博に、強い違和感を抱いていた(「季刊 民族学」165号)。

 そこで岡本は進歩とは真反対の原初的なモチーフを万博にぶっ込んだ。それが太陽の塔を中心としたテーマ館である。

 その時から岡本には「万博を利用して民族学博物館を造るべきだ」という構想があった。万博予算を使いながら世界中から民族資料を集め、太陽の塔の地下空間に展示したのである。特に「いのり」という空間では、おびただしい数の仮面や神像が並べられた。

 万博終了後、そうした資料は民族学博物館へ移管された。博物館自体に岡本はほとんど関わっていないというが、初代館長の梅棹忠夫らが構想を引き継いだ。

 博物館に、国宝や文化財に指定されるような貴重品はほとんどない。代わりに古今東西の人々の「日常」を垣間見ることができる。

 岡本の収集品はもちろん、時流に合った展示品も増えている。目についたのは「リュックサック」だ。現代のプロダクトの一例かと思って説明をよく読むと、「難民のたどった道」という展示だった。2014年にイラクを離れ、トルコ経由でオーストリアへ向かった難民女性の道筋を記録しているのだ。

 数万年前、全人類は難民のような存在だった。住む場所も食べるものもままならず、安住の地を求めてさまよった人々の子孫として現代人がいる。遠いところまで来たものだと思う。

 決して派手ではないし、大人気施設というわけではないが、国立民族学博物館は1970年万博のレガシーの一つだ。2025年万博はどのようなレガシーを残してくれるのだろうか。大阪が誘致を目指すのはカジノを中心としたIR施設。まあカジノも交易といえば交易施設。「カジノで大負けした人のたどった道」なども民族学博物館の展示材料の一つになるだろうか。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

「週刊新潮」2024年3月7日号 掲載